Int.37:暗雲、一寸先は闇か或いは

 ――――翌日。

 朝も早くから士官学校の校長に呼び出され、西條は錦戸を横に伴いながら、士官学校の徴用校舎二階・職員室の真横にある校長室を訪れていた。

「…………朝から悪いね、西條少佐。いや? 今は一等軍曹とお呼びした方が良いかな?」

(チッ……)

 内心で激しく舌を打つ西條の、その視線の先には校長と、そして国防陸軍の制服を纏う、年頃五十かそこらといった風な高級将校の姿があった。

 直立不動の西條に向かい、開口一番からそんな嫌みったらしいことを言ってくるこの男は――――倉本くらもと、あの倉本陸軍少将だった。若干白髪の交じったコールマン髭を口元に蓄えた、顔からして既に嫌味ったらしいあの顔を拝むのは西條としても五年以上ぶりといったぐらいだが、相変わらず視界に入れるだけで虫唾の走る顔だ。

「しかし、君らのように優秀な者を教官などに甘んじさせておくのはあまりに惜しい。久方振りに直接顔を拝んだが、やはり私はそう思うね」

 ――――私らを教官職に追い込んだのは、他でもない貴様だろうに。

 表情には出さないながらも、しかし西條は今の時点で既にはらわたが煮えくり返りそうな思いだった。≪ブレイド・ダンサーズ≫を解体し、まだまだ一線で戦えたはずの自分たちを教官職などに追いやった張本人にこんなことを言われてしまえば、西條じゃなくてもはらわたは煮えくり返る。現に隣に立つ錦戸も、同じように顔には出さないものの、どうやら内心は同じようだった。

 こんな俗物めいた下衆な男が将官の座に就くとは、誉れ高き国防軍も地に落ちたものだ――――。

「……少将、お互い忙しい身ですし、手短にいきましょう」

 腹の奥では今すぐにでも目の前の無能を撃ち殺してやりたいぐらいの気持ちだったが、しかし西條はそれを何とか理性で必死に押さえ付けつつ。そうやって、あくまでも公的な表向きの顔と語気で以て倉本を急かす。単純に、こんな男と長話は御免だった。

「まあ、要件は三日前に送っておいた書面の通りだ」

「訓練生小隊……ですか」

 うむ、と倉本は西條の苦々しい色の言葉に頷く。そうすれば、西條は思わず舌を打ちそうになった。

 ――――実を言えば、三日前の段階で既に倉本からの命令書というか、それに近い書類はこの京都士官学校、ひいては西條の元に届いていたのだ。西條と錦戸、二人が予測していながら、しかし懸念していたあの事案に関する命令書が。

 ――――訓練生小隊の編成。

 それが、倉本が陸軍少将としての立場から出した、陸軍参謀本部付けの。そして、国防省の統合参謀本部付けの、正式な命令書だった。

「今日は、一応君の意志を訊いておきたくてね、西條軍曹。故にこうして、私自らここへ参ったというわけだよ。分かるかね?」

 ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら、そんなことを言われると。"一応"だなんて、さも全て決まったことのように言われてしまえば、西條も軽くカチンときてしまい。返す言葉の語気は、自然と荒くなってしまう。

「……この際、回りくどいことは抜きで言わせて貰いましょうか、少将。

 ――――私は断固として反対です、こんなふざけた話は」

 睨み付けるように、それこそ眼光だけで人一人が殺せそうなぐらいに鋭く尖った目付きで西條は言うが、しかし倉本は「ははは」と高笑いをするのみで、それをまるで意に返さない。

「君の気持ちは分かるがね、軍曹。これは既に決定事項なのだよ、分かるかね?」

「……分かりかねます」

「いいや、分かって貰わなければ困るのだよ。これは我が中部方面軍、ひいては国防省・統合参謀本部付けの、君に対する正式な命令だ。

 分かるかね? いいや分かるだろう、軍曹。これは私の一存ではない、軍の正式な命令なのだ。たかが一介の教官、たかが一等軍曹でしかない下士官の分際でどうこう言えることでは無いのだよ」

 まあ尤も、昔の、303機動中隊があった頃の君だったならば、話はまた違ってきただろうがね――――。

 至極嫌みったらしい顔で、下卑た笑みを浮かべた醜悪な顔で。そんなことを倉本の口から直接聞かされてしまえば、西條は今にも殴りかかりそうになってしまう。今すぐに奴の首をへし折りたい気分を抑えつけるのには、どうにも苦労する。

(その≪ブレイド・ダンサーズ≫を私から奪ったのは、他ならぬ貴様だろうが)

 本当に、今にも飛びかかりそうな思いだった。本音を言えば錦戸に全部丸投げして、自分はここに来たくなかった。屋上で煙草でも吹かして、時間を潰していたかった。

 だが、そうもいかないからこそ、西條は今ここに立つ。矢面に立つのだ。己が矢面に立たなければ、一体誰が彼女らを――――教え子を護るというのか。そういう気持ちが、西條の逃げたい気持ちを抑えつけ、そのくさびとなっていたのだ。

(どうせ、貴様の根回しだろうが……)

 ――――恐らくだが、奴は綾崎の本流である瀬那がここに潜り込んでいるのを、掴んでいる。

 だからこそ、こんな回りくどいことをしてくるのだろう。立場上直接始末するわけにはいかないが、しかし戦死というていならば幾らでもやりようはある、というワケだ。

「…………君らも知っての通り、G06の活発化が始まって以降、瀬戸内海絶対防衛線は押されに押されている状況だ。殆ど中部方面軍の全兵力を集めているような状況でも、しかし戦況は芳しくない。小規模ではあるが、戦線をすり抜け本州に上陸し、この京都を目指し東進している幻魔の小規模集団も、日増しに数を増しているのだ」

 悔しいが、倉本の言うことは紛れもない事実だった。

 先月――――丁度、冠島かんむりじまでのサヴァイヴァル訓練が終わる頃からだろうか。四国中央部の国際コード・G06の幻基巣が今までに類を見ないほどの活発化を見せ、国防軍に対して凄まじい勢いの攻勢を仕掛けてきたのだ。

 それは、嘗て若かりし頃の西條が死神の伝説を築き上げる要因となった、第十六次瀬戸内海防衛戦。アレに匹敵する……いや、明らかにあの時よりも敵の勢いは上回っている。

 だからこそ、今倉本が言った通り、国防軍は中部方面軍の全力を挙げてこれに対処。瀬戸内海沿いの本州・九州に張った瀬戸内海絶対防衛線を、安保による米軍の支援と、そして国連軍の支援を受けて何とか持ちこたえさせているといった状況なのだ。

 とはいえ、アレだけの長い防衛線で、ネズミ一匹通さないというのは到底無理がある話。何処かで防衛線が小さく瓦解し、そこから無防備な本州の奥へ小規模の敵が進軍するという事例は、今までにも多々あった。いわゆる"はぐれ幻魔"という奴らで、通常ならば後方の予備兵力が対処に当たるのだが……。

「そこで、西條軍曹。君の教え子たちにも働いて貰いたい。生憎と、正規軍の尻拭いではあるがね」

 ――――倉本はその任を、西條の教え子たちに押し付けようというのだ。

「……到底、容認しきれません。大体、その為に後方へ予備兵力を配置しているのでしょうに」

其奴そやつらが追いつかぬほど、はぐれ幻魔の数が増しているのだよ。分かるかね、西條軍曹」

「……仰ることは」

 倉本の言うことが、確かに事実だから。事実だからこそ、余計に西條はやりきれない思いだった。

 奴の言う通り、今年の大攻勢はその勢いがあまりに異常だ。その為に防衛線はどんどん喰い破られ、そして各地を不作法に荒らし回るはぐれ幻魔の数は、史上類を見ない程に増えている。だから、後方の予備部隊でも対処しきれないという理屈は、分かる。

 だが――――それを敢えて、訓練生なんて身分に押し付けるなんてことは、到底納得出来ることでは無かった。

「西條軍曹、君の気持ちは分かる」

 嘘をつけ、この外道が――――。

「しかし、これは命令なのだ。君が承服しようと出来まいと、やって貰わねばならない。……君も軍人ならば、この意味が分かるだろう?」

 逆らうことなど、許さないと言いたいのか――――。

「では、改めて命じよう。

 ――――西條軍曹、貴様には至急、訓練生小隊の編成を命じる。猶予は四日……いや? 五日やろう。五日後までに小隊を編成し、報告したまえ。その後、小隊にははぐれ幻魔を遊撃する別命を与える」

 ていよく瀬那を始末したいのだろう? 魂胆は見え見えだ――――。

 しかし、逆らうことは出来ない。突き付けられた命令書に、確かに国防省・統合参謀本部の名前がある以上。今の西條の権限では、逆らうことなど出来はしなかった。

 昔のコネを、昔築いたパイプを使えば、きっとこの命令を跳ね返すことは出来るだろう。しかし――――たかが五日では、あまりに時間がなさ過ぎた。

 そこまで含めてのことだろうと、目の前にある倉本の下衆極まりない顔を見ていれば、西條は自然と察せられた。

 ――――悔しいが、今回は完全にこちらが出遅れてしまった。

 事態がここまで進行してしまえば、もうどうしようも無い。今の西條では、どうすることも出来ない。その現実が――――どうしようもなく、歯痒かった。

「私からの話は、以上だ。下がって構わんぞ、西條軍曹」

 だから、西條は煮えくり返る内心を必死に押し殺し。必死に表面おもてづらを取り繕いながら、小さく敬礼しつつただ一言、こう言うしか無かった。

「――――了解しました、少将」

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