Int.31:飛鳥双月、誓いの爪痕②

 訓練生寮を出て、士官学校の敷地からも出た一真と霧香の二人がそのまま向かうのは、やはりというべきか東海道本線・桂川駅だった。

 士官学校から一番の最寄り駅だから仕方ないといえ、こうも頻繁に来る羽目になると、流石に飽きてくる。しかも向かう先はやはり京都駅だというものだから、ここまで頻繁に行き来することになっては、いい加減定期券の一枚や二枚欲しくなってくる気分だ。

「……ん」

 そんな桂川駅の構内。相も変わらず朝からクソ暑い中を歩いてきて火照った身体を冷房の冷気で涼みながら、霧香の後ろで一真が券売機の順番が空くのを待っていると、振り向いた霧香が何やら小振りな薄い紙切れを一真に向かって差し出してきた。

 京都駅までの、切符だった。それを霧香は、何気ない風に一真に向かって差し出してくる。受け取れ、ということだろうか。

「……いいのか?」

 恐る恐るといった風に一真が訊き返せば、霧香は「……ん」とまた言って、小さく頷く。それが肯定の意を示していることは、見れば明らかだった。

「わ、分かった。遠慮無く甘えさせて貰うよ。……しかし、後が怖いな…………」

 戸惑いながら差し出されたその切符を受け取りながら、一真が最後に小さくひとりごちれば。すると霧香はふっとまた小さな笑みを浮かべて、

「大丈夫、大丈夫。取って食べたり、しないから……」

 なんて具合に意味の分からないことを言うと、彼女は一真の反応を待たずして自動改札の方にスタスタと歩いて行ってしまう。

「あ、待てって!」

 それに慌てて一真も後を追い、急ぎ自動改札を潜る。パタン、と外向きに倒れた改札のゲートを潜りながら、再び改札の口から出てきた切符を引ったくりつつ、さっさと先に行ってしまった霧香の後を追い掛けていく。

「ヒトを置いてくなよ、霧香……」

 ホームに辿り着く頃、やっとこさ霧香に追いついた一真が辟易した口振りでそう言うと、隣を歩く霧香は振り向かないままで、少し横目の視線を投げながらこう言った。

「電車、もうすぐ来ちゃうからね……」

「えっ?」

 そんな霧香の口走った一言に一真が首を傾げた、その矢先のことだった。構内を流れるアナウンスと少しの時間差を置いて、京都駅方面へ向かう東海道本線の列車がホームに滑り込んできたのは。

「ふふ、時間ぴったり……」

 滑り込んでくる電車を横目に眺めながら、ホームに吹き付けてくる突風に黒い前髪を由良しつつ、霧香が小さくほくそ笑む。

「まさか、時刻表記憶してるって言わないよな」

「流石に、それは無いよ……」

「だよなあ。幾ら霧香でも、そこまでは」

「今朝のこの時間のだけ、覚えてただけ……」

「やっぱり覚えてるんじゃないか……」

 呆れた顔で一真が言えば、「ふふふ……」と霧香は相変わらずの妙な笑みを薄い無表情の上に張り付かせる。

 そんな斜め上なやり取りを霧香と交わしている内に、滑り込んできた列車のドアが独りでに開く。そこへ霧香がさっさと歩いて行ってしまうので、一真も肩を竦めながら、半分諦めたように肩を竦めつつ、大人しく彼女に従って車内に足を踏み入れた。

 そして、電車に揺られること五分少々と極めて短い時間で、二人を乗せた東海道本線の列車は京都駅に到着する。たかだか二駅分の短い距離だが、しかしこの骨まで溶解してきそうな暑さの中を数十分あることを思えば、切符分ぐらい安いものだ。

(まあ、半分無理矢理といえ霧香の奢りになっちまったけどさ)

 なんてことを思いながら、一真は気取られない程度に苦く笑う。同時に霧香に対して少しの負い目というか、そんなようなものも感じつつ、しかし彼女の気持ちを無碍にするまいと思い、有り難く使わせて貰うことにして一真はその切符を京都駅の自動改札に吸い込ませた。

「で、付き合うったって何処行くのさ?」

 自動改札から出た直後、隣の霧香に一真がそう訊けば。霧香は「……ん」と言って、近くにあるコインロッカーの方を指差した。

「アレが、どうかしたか?」

 霧香の指し示す方にチラッと視線を流しながら、怪訝そうに一真がもう一度訊き返す。そんな一真の視線の先、霧香の指し示すコインロッカーはスーツケースが入りそうなぐらいの大きさだが、しかしこれといって目立った点は見当たらない。

「…………」

 そんなコインロッカーを眺めながら一真が首を傾げていると、その間に霧香はそんな一真を意にも介さず、そのコインロッカーの方へと独りで歩いて行ってしまう。

「お、おい霧香っ」

 慌てて霧香を追い掛ける一真。そうやって彼女に追いつく頃には、霧香は立ち並ぶコインロッカーの中、ひとつの前で立ち止まっていた。

「ったく、だから先に行くなってのに……。

 ――――で、ここに用があって?」

 辟易したみたいな口振りで言いつつ、一真が最後にそう訊けば。霧香はこくり、と小さく頷いてその問いを肯定する。

「ちょっと、待ってて……」

 そう言うと、霧香はいつものブライヤー型マルチツールにも似た特殊工具を、さも平然とした顔で懐から取り出し。それを目の当たりにした一真が「げっ」と青ざめている隙に、マルチツールから取り出した棒状の工具を霧香は何の迷いも無く、そのコインロッカーの鍵穴に突き刺してしまった。

「き、霧香……!?」

 駅員か誰かに見つかりでもしたら、どう言い訳するんだよ……――――!?

「心配、ご無用……ふふふ…………」

 狼狽する一真をよそに、しかし霧香は涼しい顔どころか、ほくそ笑みながらこちょこちょと手元を弄くる。

 ――――そして、約五秒後。

 カチャン、と鍵が開いた音が聞こえたかと思えば、霧香はマルチツールを鍵穴から取り出し。そうしてコインロッカーの戸に手を掛ければ、何の抵抗もなくそれが開いてしまった。

「早っ……」

 ピッキングにしてはあまりに常識外な早業に一真が目を丸くしていると、ほくそ笑む霧香は「ふふふ、他愛なし……」なんて独り言を呟きながら、その中から何やら大きなバッグを取り出す。

 比較的大きめなサイズの、リュックにも似た黒いナイロン製のバッグだ。リュックサックというまでは大きなサイズではないが、しかし肩掛けの紐は幅の広い肩当てのパッドが付いた、それこそリュックに付いているような物だ。例えるなら、一眼レフカメラ運搬用のカメラバッグより、二回りほど大きめといったところか。

「それが、君のお目当てか?」

 一真が訊けば、霧香は「……うん」と頷きながらコインロッカーの戸を閉め、また鍵穴にマルチツールを突っ込む。すると三秒ほどでまたガチャリ、とシリンダーが動作する音がして、今度は逆に鍵が施錠された。

「こりゃあ……なんだ、これ?」

 霧香がよいしょっと左肩に背負ったバッグに視線をやりながら、一真が怪訝そうに訊く。

「ないしょ……」

 すると霧香はそんな風に返してくるものだから、一真は「おいおい……」と肩を竦める。ともすれば霧香はふっ、とまた小さく笑みを浮かべ、

「冗談だよ、冗談……。後で見せてあげるから、落ち込まない、落ち込まない……」

「別に落ち込んでないっての……」

「それに、一真にも一応、把握しておいて欲しいからね……」

「俺に?」

 妙なことを口走った霧香の言葉に首を傾げ、一真は頭の上に疑問符を浮かべるが、しかし霧香は「うん」と頷くのみで具体的に答えることはしない。

「それよりも、行こうか……」

「行くって、何処にさ? 本題はもう終わったんだろ?」

「まあね……」霧香はそれをあっさりと肯定するが、しかし続けてこんなことを言った。

「用事自体は、これで終わり……。だから、後は、私が遊び回るのに、付き合って……」

 しかし、霧香の横顔を見る限り、どうやらそちらの方が本題らしいことは何となくだが読み取れた。……相変わらずの薄い無表情だが、多分そうだと思う。

「まあいいさね、どのみち今日一日は丸々開けてるんだ。霧香の思う通りに動いてくれれば、俺はそれに付き合うまでよ」

 半分諦めたみたいに一真は言って、小さく息をつく。今口に出した通り、どのみち今日一日は霧香の為に丸々フリーにしてあるのだ。何処へ連れて行かれようが、きっと霧香のことだ。まず間違いなく、自分は暇を持て余すことなんてないだろう。

「……相変わらず、君は無自覚だね…………」

 そうすると、目を細くした霧香が返す言葉はそんな妙なもので。言葉の意図が分からなかった一真は「なんのことだ?」と訊き返すが、しかし霧香は「なんでもないよ」と小さく返し、ふふふ……と小さな笑みを浮かべるだけで、やはり具体的に答えようとはしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る