Int.27:古き時代、古き英雄たちの瞳の先に

「よっこい、しょっと…………」

 ――――その頃、京都士官学校・校舎地下のシミュレータ・ルームでは。

 夏休みで静まりかえっているはずのこのシミュレータ・ルームの中、先刻まで忙しなく動き回っていた"01"のシミュレータ装置がキャット・ウォーク近くのスタンバイ位置に戻ると、その上面にある乗降ハッチから漸うと這い出してきたのは、意外にも錦戸だった。

「どうだ錦戸、勘は取り戻せたか?」

 そんな錦戸に、あっはっは、なんて相変わらずな高笑いを上げながら、そんなことを言う西條が近づいてくる。ここが火気厳禁だというのに、忘れてか構わず煙草を吹かしている辺り、流石というべきか何というべきか。

 それに錦戸はキャット・ウォークの上へ降りながら、「いやはや」と苦く笑う。

「まだまだですね、勘を取り戻すまでは」

「そうか、まあ仕方ないさ。これだけのブランクがあるんだ、それにしては上出来だよ」

 キャット・ウォークの手すりにもたれ掛かる錦戸の隣へ、フッと笑みを浮かべながら西條もその隣にもたれ掛かる。そうしながら「ほれ」と、片手に提げていたミネラル・ウォーターのペットボトルを錦戸に手渡す。

「では、遠慮無く」

 ギンギンに冷えたソイツを85式パイロット・スーツのグローブに包まれた手で受け取り、開栓すると一気に喉へ流し込む。流れ込んでくる水と共に冷気が伝われば、冷えた感触が五臓六腑に染み渡り。久々の操縦で疲れた身体も、少しは癒えてくれたような気がする。

「ブランクというのは、恐ろしいものですな」

「全くだ」しみじみとした錦戸の言葉に、隣で煙草を吹かしながらの西條が頷く。

「それにしては、お前はやれてる方だよ。流石だ」

「あくまでシミュレータですからね。実機で実戦ともなれば、また話は別です」

「実機なら、割と結構乗ってるだろ?」

「ちょっとした対人訓練なんて、乗った内に入りませんよ」

 フッと小さな笑みを浮かべながら錦戸がそう返せば、西條は「ん」と言って、胸ポケットから出したマールボロ・ライトの箱を差し出してきた。箱から煙草が一本突き出ている辺り、吸えということだろう。

「少佐、ここは火気厳禁ですよ?」

「あっ」

 苦く笑いながら錦戸がそう言えば、どうやら西條は本気で気付いていなかったらしく。素っ頓狂な顔をすれば、煙草の箱を持っていた手を慌てて引っ込めた。

「しまった、すっかり忘れたよ」

 そんな風にひとりごちながら、バツが悪そうに西條は吸いかけの煙草を慌てて口から離し、懐から引っ張り出した携帯灰皿に放り入れる。

「ははは、少佐らしい」

 西條のそんな具合な仕草を横目で見ながら錦戸が笑えば、西條は「うるせーやい」と、誤魔化すようにぷいっとそっぽを向く。

「全く、煙草ぐらい好きに吸わせてくれればいいんだ」

「少佐が好きに吸い過ぎなんです」

 独り毒づく西條に向かって錦戸が苦笑いしながら言うと、西條は「ちぇっ」と小さく舌を打つ。

「…………それにしても、本当にブランクというものは怖いものですな」

「あと、加齢だろ?」

「それは言わないお約束です」

 錦戸が言えば、しかし隣の西條はニッと笑って、

「寄る年波には、勝てないってか?」

 悪戯っぽい顔でそんなことを口走るものだから、錦戸も「はぁ」と大きく溜息をつき、肩を竦めるしか出来ない。

「……にしても、私の腕も随分と衰えたものです」

「かもな」

 錦戸の言葉に相槌を打ちながら、手持ち無沙汰な両腕を組む西條。

「つっても、衰えてアレなら上出来も上出来だ。だろ?」

 大袈裟な手振りを交えながらそう言ってやれば、錦戸は「そうでしょうか……」と微妙な顔色で頷き、

「長く、教官職に慣れすぎた代償やもしれませんね」

 そんなことを遠い目で呟けば、「それは私も同じさ」と西條が即座に言い返す。

「まあでも、十何年振りでこれなら上々も上々だ。後は実戦で勘を取り戻せばいい」

「やはり、それが最善ですね」

 肩を竦めながら言う西條の言葉に錦戸も同意して、また同じように大袈裟な手振りで肩を竦める。

「…………錦戸」

「はい」すると、急に西條はシリアスな声色になって呼びかけてくるものだから。錦戸もまた神妙な顔付きと声音に変えて反応する。

「万が一となったら、アイツらのことはお前に任せる」

「元より、承知の上です。それに、彼らは私にとっても大事な教え子たちですからね」

「それを聞いて、安心したよ」

 西條はまたフッと小さな笑みを浮かべ、心底安心したように小さく息をついた。

「……本当なら、私が出たいところだが」

「しかし、それは状況が許しません」

「だな」冷静な錦戸の言葉に頷きながら、西條は至極参ったように指で眉間を押さえる。

「だから、アイツらのことはお前に任せる。私は私で、後方指揮に専念するよ。――――だがね」

 もし、本当に万が一の万が一、真面目にヤバいような状況になった時は――――。

「この私が、直接矢面やおもてに立つ。そんな状況になってしまえば、くだらないしがらみなんか知ったことじゃないからな」

「いやはや、全く」

 ははは、なんて笑いながら、ニヤニヤとする錦戸は何度も頷いてそんな錦戸に同意した。しかし、その後で再び声を潜めると、

「……しかし、そんな最悪の事態は、訪れないに越したことはありません」

「全くだ」頷く西條。「私が出るような状況ってことは、つまりこの京都が燃えるような状況ってコトだからな。そんなの、私だって見たくないさ」

「しかし、少佐。いざとなれば――――」

「分かってるよ、錦戸」

 自分より少し背の高い、そんな錦戸の肩を叩きながら見上げる西條の顔は、何処か不敵な色の笑みに染め上がっていた。

「いざとなれば、この私が全部平らげてやる。白い死神も、そして私たちの≪ブレイド・ダンサーズ≫も。何もかも、まだ死んじゃいないってことを、あの間抜けな虫っころ共に教えてやらにゃならん」

 そんな風に、自分の顔を見上げながらニッと不敵に笑う西條の顔に、錦戸は嘗てのスーパー・エース、"関門海峡の白い死神"と呼ばれていた若かりし頃の彼女の面影とを重ね、言い知れぬ頼もしさを感じつつ。しかし何処かに、不意に崩れそうなぐらいの危うさをも感じ取っていた。まるで、抜けば二度と鞘に戻らぬ諸刃の剣のような、そんな危うさを。

(……少佐、やはり貴女は昔も今も、まるで変わらない)

 強いお人だ、とても気高く、強いお人だ。そして、脆いお人だ――――。

(ならばこそ、私が護らねばならないのですね)

 貴女も、そして貴女の子供たちも。二度と死神が剣を抜くことのないよう、私が護らねばならない――――。

 西條に気取られることなく、錦戸はそんな静かな決意を、胸の内でそっと固めていた。それは嘗ての≪ブレイド・ダンサーズ≫の副官として。そして、十数年来の古い親友としてやらねばならないことだと、そう錦戸は感じていたのだ。

(A-311小隊構想……。こんなもの)

 ――――現実に、ならないのが一番です。

 しかし、時代の流れは、どうやらそれを許してくれなさそうでもあった。光の矢の如き速さで流れゆく時代の大河は、次なる英雄を欲している。嘗ての西條がそうであったように、潮流の向きすらをも変えてしまうだけのちからを持つ、次世代の英雄を……。

 だからこそ、だからこそ錦戸は、その流れに逆らおうと心に決めていた。これからの時代に、英雄はもう必要無い。自分たちが全て終わらせ、そして遺してやるのだ。子供たちへ、次の世代へ、再び平和となった世界を――――。

(……ならばこそ、私は)

 盟友と並び立ち、しかし男が独り決意を胸に秘める中、しかしときの流れは無情であり。そうしている間にも、夜は段々と更けこんでいくのだった…………。

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