Int.26:Affection profonde;

 そうして、清水寺の境内から出た二人は再び清水道の参道へ戻り、そこでちょっとした昼食を摂ってから、更に日が暮れるまであちこちを見て回った。

 清水の近場にある八坂神社や南禅寺、ついでに一真は前も訪れた平安神宮に、その後はまだ時間があるからと、少し足を伸ばして金閣寺まで行ってみたりもした。

 とはいえ、流石にそこまで足を伸ばしてしまえば、そこまでで時間切れ。流石に日も暮れてきたので、今日は帰ろうかという話になり、金閣寺を一通り巡り終わった所で二人は再びバスに乗車。そこから地下鉄を乗り継ぎ、そうして京都駅にまで戻ってきた。

 京都駅から東海道本線に乗り、桂川駅に戻る僅かな道中。流石に疲れたのか、椅子に座ろうと提案してきたエマはどうやら眠くなってきたらしく、なんだかこくり、こくりと船を・・漕ぎ始めた・・・・・

「…………むぅ」

 そんな風にエマは小さく声を漏らすと、船を漕いでいた頭がこてん、と傾き。意識を失いながら、その頭を隣に座る一真の肩に預けてしまう。

「え、エマ……?」

 流石に驚いた一真が小さく声を掛けるが、しかし横目に見たエマは既に瞼を閉じ、安らかな寝息を立てていて。これが僅か五分ばかりの道のりだとしても、そんな風に子供みたいな寝顔のエマを起こすような真似は、一真にはとても出来ることじゃなかった。

「ったく、しゃーないか……」

 諦めて、一真は小さく、肩にもたれ掛かってくるエマを起こさない程度に小さな声でそう独り言を呟く。竦める肩からすぅすぅと寝息を立てるエマの微かな揺れが伝わってくると、自然と一真もその頬を緩ませてしまう。

「寝ても覚めても、どちらにしてもそれは天使に相違ない、か」

 ガラにもなくそんな洒落たことをひとりごちれば、次に一真が浮かべるのは自嘲めいた笑み。本当にガラでもないが、しかしそれは言葉を飾りこそすれど、しかし割と本心から出た言葉だった。

「…………」

 他の乗客など誰一人としておらず、がらんとした車内の中。日没が深まっていき、薄暗くなった外界を見せず、車内の景色ばかりを鏡のように反射する車両の窓越しに、一真は自分と、そんな自分に寄りかかり寝息を立てるエマの姿を何気なく眺めていた。

 ――――本当に、その寝顔は天使のようだった。紛れもなく、腹の奥の奥、本心から一真はそう思える。隣に寄りかかる少女が、まるで現実の存在じゃないかのように。夢幻ゆめまぼろしの類かと思えるぐらいに、寄りかかる彼女の寝顔は幻想的で、それでいて現実味が無かった。

「……なんで、俺なんだ?」

 寝息を立てる彼女に向かって、きっと届かないであろう一言を一真はふと、そう問いかける。

 ――――どうやら僕はさ、カズマ。戦う君の姿に、恋をしてしまったみたいだ。

「…………」

 あの日、クラス対抗TAMS武闘大会の決勝戦の日。唐突に隣の彼女が己に向かって言い放った、そんな衝撃的な一言が。何の拍子かも知れず、ふとした時に一真の頭の中で激しく反響した。まるでガラスケースに封じられた遊戯台の中で弾け回るピンボールの球のように、あの時にエマが言い放った一言が、一真の頭の中で激しすぎるほどに反響し続ける。

「なんで……なんで、君は俺なんかを」

 ――――そんなもんだよ、カズマ。見てなよ? 僕は僕の力で、必ず君をモノにしてみせる。

「どうして、そこまで俺を……?」

 確かに、エマはその言葉通り、全力で己に寄り添ってくれようとしている。

 …………それは、嬉しい。

 エマの気持ちは、己に対する強烈な想いは、十分すぎる程に分かっているつもりだ。しかし――――どうしてだか一真は、それに応えることが出来ないでいる。

 何故なのか、それは未だに分からない。彼女の気持ちは十二分に分かっていて、それでいて自分自身もまんざらでないと思いつつも……しかし、どうしても一真は、そんなエマの気持ちに、今までずっと応えられなかった。

「情けない男だぜ、俺って奴は…………」

 それを思えば、一真は自然と、そんな自嘲めいた顔と独り言を、半分無意識の内に漏らしてしまう。

「ああ、情けないぜ……」

 今の俺の姿を見たら、アイツは、白井はきっと笑うだろうか。茶化すだろうか。それとも、あの時一瞬垣間見せたような、達観しきったみたいなクールな顔になるのか。

 ――――……いつかは、誰かを選ばなきゃ。男として一発、ケジメを付けにゃならないんだ。今すぐってワケじゃないけど、それだけは肝に銘じとけ。

 そうしていると、そんな白井の言葉がまた、一真の頭の中で激しすぎるほどに反響した。

「……俺は」

 どうするのが正解なのか、分からない。どうしたら良いのか、分からない。何が正解で、何が間違いなのか。そして、自分は誰を選び、どうしたいのか――――。それが、どうしても分からない。

 なら、悩むしかない。悩みに悩んで、悩み抜いて。その先で、最後に結論を見出す他に、一真に出来ることはない…………。

「そういう意味で、ある意味良い機会だったのかもな、今回のは」

 フッと息をつくように笑いながら、一真はまたそんな独り言を口走る。人がいないのを良いことに、独り言を吐き放題だ。

 ――――彼女らとの関係を見直すという意味で、成り行きで成立してしまった夏休みのデートラッシュは、ある意味で己にとって良い機会だったのかもしれないと、一真はふと思っていた。いつまでもこのままじゃいられないというのは、もう分かっていたから。

 何故、自分がここまで関係をキッパリ付けるのを焦っているのか、その根本的な理由わけまでは、一真も自分自身のことながらよく分からない。

 分からないが……予感はしていた。嫌な予感、とでもいうのだろうか。背筋を這うような、纏わり付くような嫌な気配が、一歩ずつ忍び寄っているような、そんな予感。ただの第六感に過ぎないが、しかし一真はどうしても、その気配が告げてくる不安感を拭い切れていなかった。

 本能というものは、時に人智を越えたちからを発揮することがある。それを昔、あるヒト・・・・の口から嫌って程に聞かされてきたから、一真は今日に至るまで、極力は本能の赴くままに生き、選ぶようにしてきた。

 そんな一真の、頼りにしてきた本能が――――告げるのだ。警告を、嫌な予感という形で。

 だからなのかもしれない。自分が、今更になって関係の整理を急ぎ始めてしまうのは。今はまだそんなことをする必要が無いと頭では分かっていても、しかしどうしても思考はそういう所に向いてしまう。何故かは、確たる根拠なんてアリはしないのだが……。

「エマ…………」

 きっと、彼女は心の底から己を愛してくれているのだろう。それは、彼女の露骨すぎる接し方を見ていれば分かる。これで分からないようなら、よっぽどの唐変木か、或いは気の抜けた野郎だろう。いずれにせよ、そんな野郎はもう男じゃない。

 しかし――――それが分かっていながら、一真はそんなエマの想いに、応えることは出来なかった。

「俺は……」

 一真。其方とならば、私は――――。

「っ……!」

 そう思うたびに、何故か瀬那の言葉が頭の中で反響し、そして彼女の顔が思い浮かんでしまう。何故かは分からないが、しかしあの時、全てを吐露した瀬那に感じた気持ちが、そして彼女自身が打ち明けた言葉が。それがチラついて、一真を何度も思い留まらせていたのだ。

「…………俺は、どうしたらいいんだろうな」

 なぁ、教えてくれよ舞依。昔みたいにさ――――。

 口に出すことはなく、胸の内でそう呼びかけるが、しかし答える者など誰一人としてはおらず。一真は独り、堂々巡りの思考の迷路の中を、地図も持たないままにただ一人、延々と迷い続けていた。

 やがて、車内アナウンスが流れる。次が桂川駅だと告げるその声で、短い旅路は終わりを告げようとしていた。

(考えるのは、また今度だ)

 そう思いながら、一真は「エマ、着いたぜ」と言って、寝息を立てていた彼女を揺り起こす。

「ん……? あ、れ……? もしかして僕、寝ちゃってた……?」

「ちょっとだけな」寝ぼけた様子のエマに苦く笑いながら、一真がそう答えてやる。

 そうして一真は立ち上がると、エマの方に振り返って。未だ寝ぼけた様子の彼女に向かい、まるで普段の意趣返しのように、その手をスッと差し伸べた。

「帰ろう、エマ。俺たちの帰るべき場所へ」

 フッと、儚くも見える小さな笑みを浮かべながら、一真がそう告げれば。まだ寝ぼけた顔のエマも小さく微笑んで、「……うん」と短く頷く。

「帰ろう、一緒に。楽しい一日は、これで終わりだけれど――――」

 ――――カズマとは、これでお別れじゃないから。

 そんな、何処か遠い目をして呟いたエマの言葉は。静かに一真の胸へ深く突き刺さり、そしてその向こう側へと通り抜けていく。

(そう、これで最後じゃない)

 なら――――答えを急ぎすぎる必要も、きっと無い。

 握り返してくる華奢な手を、絡みつく長い指を固く握り締めながら。一真はそう、胸の内でひとりごちていた。

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