Int.25:真影の詩、真夏の蒼穹と金色の少女⑥

 本堂東側の階段を降りて、降りきった更にその先。そこにある音羽の滝というものが、どうやら先程舞台の上からエマが見つけた滝らしきものの正体のようだった。

 地上4mほどの高さに据えられた三つのかけいから、それぞれ真下へ向かって流れ落ちていく霊水。これこそがどうやら清水寺が清水たる所以であり、寺号の由来でもあるらしい。古来より"黄金水"だとか"延命水"だとか呼ばれているこの水は、古くより清めの水として信仰の対象になっていたそうだ。

 ちなみにこの音羽の滝、この水自体が"八功徳水はっこうどくすい"の利益があるとされている。要は八つの功徳を有する聖なる水のことを指し、即ち極楽浄土にある池の水のことを指しているとされている。

 例えば、この八功徳水はある宗派だと『甘・冷・軟・軽・清浄・不臭・飲時不損喉(飲むときに喉を痛めない)・飲已不傷腸(腹を壊さない)』の八種の益とされていて、また別の宗派だと『澄浄・清冷・甘美・軽軟・潤沢・安和・除患・養根』の八つとも言われている。

 とまあ中々に難しい話になってしまったが、分かりやすく乱暴に掻い摘まんだ言い方をすれば、要は身体に良くて美味い水というワケだ。かなりアレな言い方ではあるが、言いたいことはこんな具合だろう。実際の所は岩盤から湧き出る地下伏流水なので、ミネラル豊富で非常に飲みやすく、事実身体に良い水ではある。

「カズマ、これを飲めばいいの?」

「らしいな」解説の立て看板を読むエマに相槌を打ちながら、一真はその音羽の滝を眺める。

「ふーん……?」

 そんな一真に生返事のように頷きながら、エマはその説明書きの立て看板をじっと眺めていた。

 ――――これは解説を読まなかった一真の知らぬコトではあったが、三つの筧から流れ落ちる滝には、それぞれ違った御利益があるそうだ。音羽の滝と向かい合って、右の筧から順番に延命長寿、恋愛成就、学業成就という三つの御利益があるらしい。

「ふふっ……♪」

 すると、立て看板を一通り読み終えたエマが、何やら悪戯っぽい笑みを独りで浮かべる。そうしながら振り向いて「行こっか、カズマ」と彼に呼びかけ、ボケーッとしながら振り向いた一真の手を取れば、半分無理矢理に引っ張りながら音羽の滝の上へと登っていく。

「だ、だから引っ張るなって! 自分で歩けるからっ!」

「はいはい、分かった分かった♪」

 そうやってエマに引っ張られながら、一真も一緒になって音羽の滝の前に立つ。

「はい、カズマっ」

 また一真がボーッと滝を、今度は間近で眺めていると、エマはそう言いながら一真に柄杓ひしゃくを手渡してきた。どうやら傍らにあるケースから取ってきた奴らしく、ちゃっかり自分の分も反対側の手に持っている。

「おっ、悪いねえ」

 軽くそんな風に礼を言いながら、一真はその柄杓を受け取った。木製でなく、何故かギンギラギンのアルミ製なのが妙に雰囲気というか気分を削がれてしまうような気もするが、まあその辺りは直に口を付けて飲む都合上、衛生観念の問題があるのだろう。こればかりは、仕方の無いことだ。

「……で、どれを飲めばいいんだ? 全部かこれ、全部飲めばいいのかこれ」

「三つも全部飲んだら、お腹ガバガバになっちゃうよ」

 あはは、なんて苦笑いしながら、妙にボケたことを言う一真へエマが冷静なツッコミを入れる。

「……じゃ、じゃあさ。真ん中で、どうかな…………?」

 そうすると、エマは軽く頬を朱に染めながら、何処かたどたどしく言葉を詰まらせながら、一真にそう提案した。それに一真は「ん?」と反応すると、

「まあ、エマがそう言うなら。いいぜ、別に俺はなんでも」

 エマの妙な口振りに軽く首を傾げながらも、しかしその柄杓をすいっと目の前の滝、その真ん中に差し出した。

「あっ、ぼっ、僕もっ!」

 そうすれば、エマも慌てて一緒になって柄杓を伸ばす。そうして二つの柄杓が霊水をいっぱいに掬うと、二人揃ってそれを手前に持ってくる。

「じゃあ、早速頂いて……と」

 柄杓に口を付け、先に一真がぐいっと一気に水を口に含む。それに続いてエマも、少しだけ躊躇しながらも、しかし意を決して口を付けた。

(恋愛成就の御利益、か)

 ――――本当に、信じちゃうからね。

 淡い想いを霊水に籠めつつ、エマもまたその水を一気に流し込み、喉に通す。ミネラル豊富な地下水だけあって、実際中々に美味しかった。

「……っぷはぁ。なんだ、結構美味いじゃないのさ」

 割とマジになって味わっていたらしい一真がそうひとりごちる横で、俯き気味のエマは独り、ぽわぁっと頬を真っ赤に染め上げていたのだが、それを一真が知る由もない。

「っと、もうこんな時間か……」

 そんなエマをよそに、一真は独り左腕に巻いていた腕時計に視線を落としていた。それに「ん?」と反応したエマも、自前の細身な腕時計に視線を落としてみれば。確かに、もう時刻は午前十一時半に差し掛かろうかという頃合いだった。

「なんだか早いね、今日は」

「だな」一真は相槌を打ちながら、そんなエマの方に振り向いた。「そろそろ、降りて昼にするか?」

「そうだね、そろそろお腹も空いてきたし……」

 一真の提案に二つ返事で乗っかると、エマは一真の分も引ったくって柄杓を返せば、また一真の手をごくごく自然に引っ掴む。

「それじゃ、行こっか♪」

 そうしながら、エマは戸惑う一真の手を引いて、音羽の滝を急ぎ足で降りて行く。

(……恋愛成就の御利益。ホントに叶えてよ?)

 一真の手を引き階段を降りながら、一瞬振り返ったエマは、口に出さないまま。胸の内でそう、小さくひとりごちていた。

 本当に、叶えて欲しいな。僕の、僕だけの王子様に、彼がなってくれますようにって――――。

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