Int.13:夕暮れ、男の引き寄せるその偶然は幸か不幸か

 今日一日の課程を終え、迎えた放課後。夏休み直前だからか妙に間延びした空気の漂うA組の教室へ、放課後になるなり早速訪れたエマと共に、一真と瀬那、そして何故か一緒になって付いて来た霧香の四人は、そのまま真っ直ぐ訓練生寮まで足を伸ばした。

 といっても、何も部屋に直帰しようというワケでは無い。目的はあくまで、今日一日居なかったステラのお見舞い。そういうワケだから、エマは何故か林檎が幾つか入った袋を片手にぶら下げていた。いつそんなものを調達してきたのか、なんて野暮なことは訊かないが、しかしお見舞いの定番ではある。

「……そういや霧香、なんでまた君まで付いて来たんだ?」

 訓練生寮の廊下を歩きながら振り向く一真が訊けば、霧香は「ふっ……」と薄い無表情の上で小さく頬を緩ませ、

「暇だし、面白そうだからね……」

 なんて、また妙に分かりづらいことを口走るものだから。一真は少しの間、ぼけーっと間抜けに大口を開けたままで顔を固まらせてしまう。

「ああ、そうなのね……」

 その後で、呆れたような声で一真は適当な相槌を打ち、小さな溜息と共に肩を竦める。相も変わらずこんな調子の霧香だから、相手をするのはやはり骨が折れるというか、なんというか……。

「ほらほら、着いたよ」

 なんてことを内心で一真がひとりごちていると、エマはそう言いながらとある部屋の前で立ち止まった。どうやらこの310号室が、ステラの住まう部屋らしい。

「ふむ、此処がステラの部屋か」

「そうだね」瀬那に相槌を打ちながら、エマは扉の近くにある呼び鈴のボタンを押し込んだ。

 ピンポーン、と、ありがちな呼び鈴が鳴る。そんな呼び鈴の音を聞きながら、四人はステラが奥から出てくるのを待っていた。

 …………しかし、待てど暮らせど、扉が開くどころか返事一つ帰ってこず。それを怪訝に思いながらエマは呼び鈴を二度、三度と押すが、一向にステラは出てこなかった。

「おかしいな、留守なのかな……?」

 不思議そうに首を傾げながら、エマがひとりごちる。

「寝込んでおる者が留守にするなど、考えにくいことであるが……」

「うーん、確かに瀬那の言う通りかも。でも、だったら余計に変じゃない?」

「……もしかして、中で倒れてるかもね…………」

 瀬那とエマが二人で首を傾げている所に、いつもの妙な笑みを薄い顔色の上に張り付かせながら、霧香がそんなことを口走ってしまったものだから。ハッと彼女の方を振り向いた二人は一気に顔面蒼白になり、その後で瀬那もエマも、お互い無言で顔を見合わせてしまう。

「有り得ない話では、ないな……」

「だね……」

 そんな風に、深刻な顔をして話し合われてしまうと、それを傍観していた一真まで何故かその気になってしまい。「おいおい、冗談キツいぜ……?」なんて呟けば、

「もしかしたら、冗談じゃないかもしれない」

 なんて具合に、一真の方に横目を流すエマが、至極真面目な顔でそんなことを言ってきた。

「…………よし」

 そんなエマの一言で、一真も決心が付いたのか。そうやって独りで頷けば「霧香」と、相変わらずぼーっと、何を思っているのかまるで分からない無表情のままで棒立ちする霧香の方に振り向き、彼女の名を呼ぶ。

「なに……?」

 一真の方に視線だけを流しながら反応する霧香に、「鍵、開けられるか?」と一真が続けて訊く。

 すると霧香はスタスタと310号室の扉の前まで歩み寄り、その扉の前で中腰になって鍵穴を注意深く検分する。そして一真の方に振り返ると、

「……ん、問題ない。この程度の鍵なら、二十秒くれれば、破るよ…………?」

 そう、何処か自信ありげな雰囲気を漂わせながら彼に告げた。

「そうか」

 一真はそんな霧香に向かって小さく頷くと、今度は瀬那の方に顔を向ける。

「…………」

「…………」

 一真と瀬那とは、そうやって無言のままに視線を交錯させ合う。仮にも瀬那の従者である霧香をここで自分が使っても良いのか、それを一応、確認しておきたかった。

「うむ」

 そして、二秒と経たない内に瀬那は頷く。それが了承の意だと一真は暗黙の内に理解すると、また霧香の方に首を向けて「やってくれ」と号令を告げた。

「ふふふ……承知したよ…………」

 一真からゴーサインが出れば、霧香は小さく口元を綻ばせながら、レザーマンのブライヤー型マルチツールによく似た妙ちくりんな道具を懐からサッと取り出し、それに格納されたツールのひとつを手元で素早く展開させれば、それの先を310号室の鍵穴へ一切の躊躇なく突っ込んだ。

「えっ、ちょっ、霧香っ!?」

 ともすれば、唯一事情を知らぬエマだけが、有り体に言えばピッキングを始めた霧香を見て狼狽える。そんな彼女の肩に手を置きながら「落ち着け」と一真が言えば、

「ちょっ、ちょっとカズマっ!? な、何やらせてんのさっ!?」

「霧香の特技だ」

「で、でも流石にこれは……」

「無茶は承知のことだ」

 尚も狼狽えるエマに向かって、今度は瀬那が凛とした声色でそう告げる。

「もし、仮にステラが倒れていたとするのならば、その時点で既に一刻を争う事態に他ならぬ。管理人殿の所に行き、事情を話し、その上で合鍵を取ってくる手間を間に挟んだのでは、事が悪化する可能性も考え得るであろう」

「う、うん。まあ確かにその通りか……」

 一応は納得を示したエマの肩を何度かポンポン、と叩きながら一真は「それに」と続けて、

「最悪これが完全な杞憂で、取り越し苦労で。ステラがどうも無かったのなら、俺が蹴り飛ばされれば済む話さ。そうだろ、エマ?」

 そう言うと、エマはフッと小さく笑みを浮かべながら一真の方をチラリと見る。

「その時は、僕も付き合うよ」

 なんて風に呟くエマの声音は、完全に落ち着きを取り戻していたようだった。

「ふっ……」

 そうしたタイミングで、ガチャッと鍵が開く音が扉の方から聞こえてくる。キッカリ二十秒ジャスト。流石は忍者、抜かりはない。

「開いたか?」

「ふふふ……他愛なし……」

 相変わらずの調子でそんなことを口走る霧香をよそに、一真は鍵が開いた扉のドアノブに手を掛けた。

「……行くぞ」

 一度見回し、瀬那とエマの顔をチラリと見れば。

「構わぬ」

「……オッケー、覚悟は出来てる」

 彼女らもまた頷き、そして三人は揃って310号室の扉の方に視線を戻す。

「――――!」

 そして、一真は意を決してそのドアノブを捻り、扉を開いた。

「ステラっ! 無事――――」

 血相を変えて飛び込んだ一真だったが、しかしその先で真っ先にあるモノを視界の中に捉えれば、一真はもう一歩を踏み出しそうだった足を止め。サァッと顔を青白くさせていくと、そのまま硬直してしまう。

「なっ……!?」

 玄関先に漂う、仄かな湯気の残滓と微かな湿気の気配。生暖かい空気の中で、一真の視界の中に立っていたのは――――ステラだった。

 突然開いた玄関扉の方、即ち唐突に現れた一真たちの方に驚いた顔で視線を向けながら、しかしどんどん加速度的に頬を真っ赤に染め上げていく彼女の格好は、最早何も無いと言っても差し支えがなく。バスタオル一枚だけを巻いた格好で、しかもぱらりとはだけてそれを足元に落としてしまうステラの格好は、どう見ても風呂上がりのそれだった。

 燃え盛る紅蓮の炎にも似た真っ赤な髪は、いつものツーサイドアップの格好を解かれ。腰か更に下辺りまでそんなステラの赤い髪はかなり水気を吸っているようだった。そして、白人特有の白い肌には、まだ仄かだが湯の気配が張り付いている。何度見返しても、そんなステラの格好はやはり、どう見ても風呂上がりにしか見えない。

「…………なあ、瀬那」

 ステラの奴、髪解いてストレートにしても結構イケるな――――なんて、こんな状況にしてはあまりに呑気すぎることを考えながら。その場に硬直したままで、最早顔面蒼白を通り越し菩薩の如き真顔になった顔で一真が隣に立つ瀬那に呼びかければ、彼女は「うむ」と至極冷静な声で頷く。

「俺ってさ、なんでこう、こういう場面にばっかり出くわすワケ?」

「其方の場合、最早そういう星の下に生まれついたとしか思えぬな、この頻度は」

「まあこればっかりは、アレだけどさ……。これ、この後の展開大体読めるんだけど、どうよ?」

「恐らく、其方の思う通りであろうな」

 なんて言いながら、瀬那はごくごく自然に一真からスッと一歩下がる。一真もそうしたい気分だったが、しかし目の前でどんどん顔を真っ赤に染め上げ、しかも怒りと羞恥の入り交じった物凄い顔に変貌しつつある、そんな素っ裸のステラを目の前にしていれば、当事者たる身としてはそんな真似が出来るはずもなかった。

「こ、こ…………!」

 さあ、何が飛び出してくるだろう。

 ぷるぷると震える手でこっちを指差してくる、顔を真っ赤にした素っ裸のステラを硬直したままで眺めながら。しかし一真もいい加減こんな状況に慣れてきたのか、そんなあまりにも呑気すぎることを考えていた。

「この、このっ――――!」

 そして、やっとこさステラが無理矢理に言葉を紡ぎ出すと、

「この――色情魔ぁぁぁぁ――――っ!!」

 そんな叫びと共に、何処からか一瞬の内に持ち出してきた風呂桶がスッ飛んでくるのが見えたかと思えば、一真は眉間に物凄い衝撃を感じ、そのまま仰向けに倒れながら意識をブラック・アウトさせてしまった。

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