Int.09:月下の二人、過ぎ去りし日々は既に遙か遠く③

「ううむ……」

 そうして、四ッ谷のおばちゃんから盆を受け取った後で相変わらずの窓際の席に着き、お互い向かい合いながら夕食に箸を伸ばしていると、ふとした時に瀬那がそんな風に唸りだした。

「どうかしたか?」定食の唐揚げをバリバリと囓りながら、きょとんとした一真が訊く。すると瀬那は「うむ……」と、やはり唸りながら頷き、

「あれから色々、私なりに考えてみたのだがな」

「うん」

「……やはり、夏休みをどう過ごしていものか、皆目見当が付かぬのだ」

 少し視線を下げながら、箸を動かす手を止める瀬那がそう言えば、一真は「ああ、そのことか」と頷いて、小さく頬を綻ばせる。

「なっ、何がおかしいのだっ!?」

 それに瀬那が焦った顔で、しかし何故か軽く頬を朱に染めながら結構な剣幕で問い詰めれば、一真は「いやいや」と大袈裟な仕草で手を横に振り、

「別に、おかしいなんて言ってないだろ? ただ――――」

「……ただ、何なのだ?」

「瀬那らしいなって思っただけさ、そういう所が」

「私、らしい……?」

「そそ」飽きもせずに唐揚げに箸を伸ばしながら、一真が続ける。「そうやって、変なトコだけ思い詰めるトコがさ」

「むむう……」

 一真がそう言うと、腕組みをした瀬那はどことなく納得のいかないような苦い顔で唸る。それに一真は「ははは」と軽く噴き出しながら、

「まあでも、夏休みをどうするかってのは確かに、俺たちの課題かもね」

「故、どうしていものか分からず、困っておるのだ」

「うーん……」

 文字通り山のように白米の盛られた茶碗を突っつきながら、一真が思い悩むみたいに唸る。そうして思案しながら、白い山のてっぺんを箸で摘まみ取って口に運んだ辺りのタイミングで、一真はハッと頭の中に思い当たる節を見出した。

「ならさ、また街の方に出てみるか?」

「む?」

 興味ありげといった反応を示す瀬那の素振りをそれなりの好感触と見て、一真は思い立ったことを続けて彼女に向けて告げてみる。

「いや、ここ最近物凄い忙しかったから、アレ以来何処にも行けてないだろ?」

「言われてみれば、そうであるな」

 うんうん、と納得したみたいに頷く瀬那。

 ――――入学して間も無い頃、詫び代わりで瀬那を連れて街に繰り出してからこっち、アレ以外に瀬那も一真もマトモに何処かへ遊びに行くだとか、そういうことをした記憶が殆ど無かった。それもこれもクラス対抗TAMS武闘大会や期末戦技演習、冠島でのサヴァイヴァル訓練なんかの行事が大量にあって、とてもそんな暇が無かったということなのだが……。

 だが、夏休みに入ってしまえばそんなものも関係ない。寧ろ、休みだけあって今よりも使える時間は多くなるはずだ。だとすれば、ここで連れて行かない手はないだろう――――。一真はそう、考えていたのだ。

 思えば、一真はそれほどこの街を――――京都という街を知らない。知っている所といえばこの士官学校の周辺ぐらいで、知ろうとする暇も無かった。京都市街の方へ繰り出したのだって、瀬那との一件を含めて数回程度なのだ。

 だからこそ、一真はこの提案はベストな提案だと確信していた。それに――――こういう時ぐらいは思いっきり遊んだって、バチは当たらないだろう。

「……しかし、あの者たちがいつ、また何処で仕掛けてくるかも分からぬ」

 そうしていると、瀬那が次に紡ぎ出したのは、そんな一言だった。表情に影を落としながら、囁くように小さな声色で、一真にだけ聞こえるように小さな声音で呟いた瀬那が暗黙の内に示す意図を、一真は自ずと理解してしまう。

 楽園エデン派――――。

 瀬那は、そのことを警戒しているのだ。奴らの差し向けてくる、刺客を。

「…………」

 それに一真は、一瞬だけ押し黙ってしまった。何を言っていいのか、一瞬だけ分からなくなったのだ。

 既に瀬那はこの士官学校に来てから、一真と一緒に居るときに一度、そして一真の知らぬところで一度、合計二度の襲撃を既に受け、退けている。それは紛れもない事実で、現に瀬那の命を狙った者が数十名単位で斬り伏せられているのだ。

 それを、まるで考えていなかったのかと訊かれれば、それを否定してしまうと一真は嘘をついてしまうことになるだろう。実際、今の浅い思慮ではそこまでのことを、楽園エデン派のことまでを、考えてはいなかった。

 ――――瀬那は、普通の人間じゃない。どう足掻いても、普通ではいられない運命さだめを背負っている。

 そのことを、今の一真は完全に失念していた。綾崎財閥の隠された直系であるという事実と、そんな瀬那の命を狙う、楽園エデン派の存在を……。

「――――大丈夫だ」

 …………だからこそ。

 だからこそ、一真は敢えてその双眸で瀬那の顔を真っ直ぐに見据え、迷いのない口振りでそう、彼女に向かって断言した。

(もし、瀬那の背負う宿命さだめがそうだとしても)

 だからこそ――今だけは。ここで自分と居るときぐらいは、そんなことを忘れていて欲しい。忘れさせなければ、いけない気がする――――。

 故に、一真は全てを覚悟の上で、瀬那に向けてそう断言してみせた。何、いざとなれば自分が命懸けで何とかしてやればいい話だ。この安い己の命を賭け金にベット出来るのならば、こんなにやりがいのある賭けは他にない……。

(分の悪い賭け、ね。そういうのは――――)

 ――――嫌いじゃない。

「……しかし、其方まで危険に晒す訳にはいかぬよ」

 すると、瀬那はやはり表情に影を落としながら、そう言ってやんわりと断りを入れてきた。しかし一真はそれに「心配は無用だぜ」と言い返せば、

「いざとなったら、俺が――――俺たちが、何とでもする」

 再び、断言してみせた。

「し、しかしだな一真よ…………」

「俺だって男だ、たまには格好付けさせてくれよ」

 尚も戸惑う顔を浮かべる瀬那に、続けて一真はそうやって、敢えて軽く口角を緩ませながらそう言ってやる。

「男って生き物は馬鹿だからな、どうしたって格好付けたくなっちまう時ってのがあるのさ。

 ――――ああ、逆だ。俺から頼むよ、瀬那。一日ばかし、俺に君を預けてくれ。…………男に華を持たせると思って、さ」

 軽くウィンクでも交えながら、半分冗談めかしつつ一真が逆に頼み込めば。そうすれば瀬那もいい加減に折れてしまい、「……全く」と溜息交じりの声を出すと、

「其方という奴は、変なところで強引だから困る」

 軽く肩を竦めながら、しかしその顔に小さな笑顔を浮かべつつ。仕方ないといった風に、一真の言葉を受け入れた。

「悪いな、瀬那」

 一真が小さく詫びれば、瀬那は「気にするでない」と言う。その後で小さく頬を綻ばせながら「……だが」と呟くと、次にこう続けた。

「……一度そう言ったからには、最後までこの私を護り通してみせよ。

 ――――出来るであろう? 其方には。私と契りを交わした其方ならば、出来るはずだ。それに……」

「……それに、なんだ?」

 わざとらしく言い淀んだ瀬那に一真が訊き返せば、瀬那はフッと軽く笑みを浮かべ、

「――――男に二言はない、であろう?」

 瀬那にしては珍しい、何処か悪戯っぽい笑みを浮かべながら、瀬那はそんなことを口走った。

「……ヘッ」

 そんなことをされてしまえば、一真としても笑みを浮かべることしか出来ず。一瞬視線を逸らして軽く笑うと、そして瀬那の方に向き直り。

「当然」

 不敵な笑みを浮かべながら、そう断言してみせた。

「ならば、い。其方の提案、敢えて乗ってみせようではないか」

 瀬那がそう承諾するのを視界の中に捉えながら、一真はまた思案を巡らせていた。

 ――――ああは言ったものの、自分一人では護り切れるか怪しいところもある。勿論やれるだけのことはやるが、しかし保険は多いに越したことはないだろう。

(ともすれば、頼れるのはやっぱり一人しか居ないか……)

 霧香を頼るのが、やはり一番の最善策か――――。

 そうやって胸の内で結論を導き出しながら、しかし一真の内心はどことなく憂鬱だった。あの掴み所の無い霧香を説得し、協力させるのはそれなりに骨が折れる。目に見えて分かる苦労に、一真は溜息のひとつでもつきたい気分だった。

 しかし、ここで溜息をつくわけにはいかない。瀬那の前でそんなこと、ああ言った手前出来るはずもない。

 なら――――やるしかないのだ。多少の苦労、今更どうだっていい。

(目の前にドデカい壁が立ちはだかりやがるってのなら、俺は――――)

 それを、真っ正面から叩き壊すだけだ――――。

 嘗て、目の前の彼女にも言ったその言葉を。己自身を戒める、覚悟の言葉を。一真は今一度、内心で反芻するように呟いていた。

 あまりにも大袈裟すぎるかもしれないが、しかしそれぐらいの覚悟で丁度良い。それだけの覚悟を持った上でなければ――――逆に、自分が自分を許せなくなる。

 人間を一人救うなんてことは、生半可な覚悟で出来ることじゃない――――。

 いつか、何処かで聞いたそんな言葉を。遠い昔、舞依から…………西條教官から聞いたその言葉を、何故か一真は思いだしていた。

 無論、瀬那を救ってやろうだとか、そんな大それた……偉そうなことを考えているワケじゃない。そんな偉そうなことをのたまう・・・・資格なんて、自分に在りはしない。

 だが、今の一真がその言葉が、昔西條が言っていたそんな言葉が、何故だか別の意味に聞こえてしまっていた。ここから先に踏み出すのなら、瀬那の隣でこれ以上先に踏み込んでいくのならば、それは生半可な覚悟じゃいられない、と――――。

(……上等)

 しかし、そんな風に耳の奥で重なり、反響する言葉の前でも――――彼は、浮かべるその不敵な笑みを崩さなかった。

 覚悟だ? 馬鹿言え。――――覚悟なんてのは、とうの昔に出来上がってんだ。

「一真、どうかしたのか?」

 すると、いつの間にか難しい顔を浮かべていたらしく。怪訝に思った瀬那にそう声を掛けられたときに、一真は漸くハッとして我に返った。

「いや、なんでもない」

 あはは、なんてわざとらしく笑いながら、一真は目の前の食事に再び箸を付ける。

「……?」

 瀬那はまだ首を傾げていたが、しかしこれ以上踏み込むのも野暮だと思ったのか、それ以上を追求してくることはしなかった。

(まあ、目下とりあえず、やるべきことはひとつ)

 霧香を、上手いこと説得して協力させること。

 胸の奥で、対面に座る彼女にその真意を悟られぬよう。一真は静かに決意を固めていた。

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