Int.08:月下の二人、過ぎ去りし日々は既に遙か遠く②

 訓練生寮を出て、士官学校の敷地内をほんの少しばかり歩いた先――――。丁度、訓練生寮と徴用校舎との中間地点ぐらいにある鉄筋コンクリートで造られた建屋。それが、ここの訓練生たちに食事を提供する学食棟だ。

 そこの扉を二人揃って潜れば、食堂の中は何処かがらんとして、疎らにしか人の気配が無い。夕飯時から少しズレた、遅めの時間帯だからだろうか。とはいえ厨房からは仄かにだが相変わらずのかぐわしい、空いた腹には刺激的な香ばしい匂いが漂ってくる辺り、まだまだ営業は続いているようだ。

「さて、どうしたもんか……」

 食券機の前に立ち、独り唸って熟考する一真。それから「よし」と独りで勝手に納得して頷けば、

「まあ、やっぱこれだよな」

 そんな独り言を呟きつつ、押したのは唐揚げ定食の発券ボタンだった。そんなある意味で予想通りというべきか、代わり映えのしない一真のチョイスに、横で待っていた瀬那が呆れたみたいに肩を竦める。

「……本当に飽きぬのだな、其方は」

「まあねー。こればっかりはどうにも飽きないんだな、これが」

 呆れる瀬那をよそに、一真はニヤニヤとしながら財布代わりのICカードをサッと食券機のカードリーダーに通して支払いを終わらせる。そうするだけで下の取り出し口へ食券が吐き出されると、それを取った一真は「さ、行こうぜ」と瀬那を促しながら、カウンターの方に歩いて行く。

「あらあら、お二人さん。今日は遅いじゃないかい」

 歩いて行ったカウンターの向こう側で二人を出迎えるのは、そんな威勢の良い、しかし何処か暖かみのある声。割烹着を着た食堂の重鎮こと四ッ谷のおばちゃんは一真と瀬那の二人を出迎えると、今日も変わらぬ愛嬌のある笑顔を見せてくれる。

「まあ、今日は色々ありましたからね」

 そんな四ッ谷のおばちゃんの笑顔を見ていると、一真も自然と頬を綻ばせていて。無意識の内に半笑いの表情を浮かべながら、そうやって一真は四ッ谷のおばちゃんに言い返していた。

「にしたって、カズマも瀬那ちゃんも。ホントに仲良いねえ、いやいやホント」

「そう見えますか?」

 一真が訊き返せば、カウンターの向こうに立つ四ッ谷のおばちゃんは「あー、そりゃあもう」と、腕を組みながらうんうんと深々と頷きつつ言ってみせる。

「だってさ、アンタら何処へ行くにも一緒じゃない。そりゃあね、そうも見えるわよ」

「うーん、そうなのか……?」

「まあ一真よ、別にいではないか」

 がはは、と威勢の良い笑い声を上げる四ッ谷のおばちゃんの前で首を傾げる一真に、そんな彼の隣に立つ瀬那が腕組みをしたまま、いつもの凛とした声音で一真に向かってそんなことを言った。

「仲きことはいことだ。そうであるに越したことはない。――――であろう? 四ッ谷殿」

 フッと小さく笑みを浮かべた瀬那にそう言われ、四ッ谷のおばちゃんはうんうんと頷くと、

「ああ、全くだよ。瀬那ちゃんの言う通りだよ、カズマ。何もアタシは責めようってんじゃないのさ。仲が良いってのは良いことだからさ、本当に。

 だからさカズマ、瀬那ちゃんも、それに他の奴らも。アンタ、ホントに大事にしなよ? そういう友達って、存外貴重なもんだからね」

 ニコニコといつもの太陽みたいな笑みを浮かべながら四ッ谷のおばちゃんはそう言うと、「おっと、いけないねアタシとしたことが」なんてコトをひとりごち、

「さっ、食券寄越しなよ二人とも。超特急で用意してやるからさ」

 サッと手を差し出すと、二人が手に持ったままの食券を寄越すように催促してくる。

「すんません、じゃあお願いします」

 そう言いながら一真が食券を渡し、続けて瀬那が「うむ」と頷きながら渡す。

「何、丁度飯時終わって、アタシらも暇してたんだ。構うこたぁないよ。カズマは見た感じ腹空かせてそうだし、大盛りの方が良いだろ?」

「あっ、はい」四ッ谷のおばちゃんに言われ、一真は目を丸くしながら頷く。

「よく分かりましたね、俺が腹空かせてるって」

 すると四ッ谷のおばちゃんは「止して頂戴よ、お世辞はいいわよ」なんて手を横に激しく振りながら言って、その後でこう言った。

「まあ、こんだけ毎日毎日顔突き合わせてりゃあね。嫌でも分かるってもんさ、相手の腹の空き具合はね」

「流石であるな、四ッ谷殿」

「止してよ瀬那ちゃん、お世辞はいいって」

「世辞のつもりで申したのではない。私は正直に、思ったことを其方に申したまでだ」

 相変わらず腕を組みながら、堂々たる態度で瀬那にそう言われると。四ッ谷のおばちゃんも「あはは、ありがとね瀬那ちゃん」なんて、ニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべていた。

「礼を言われるまでのことではない。――――それより、四ッ谷殿」

「おっと、いけないいけない。ったく、今日はどうにも調子が狂うね……。

 ――――分かったよ! 超特急で用意してあげっから。二人とも、チョイとだけ待ってな!」

 二人に向かってそう言うと、四ッ谷のおばちゃんは一真と瀬那から受け取った食券片手に、文字通り超特急の勢いで厨房の奥にスッ飛んでいった。

「…………相変わらず、すげーパワフルなヒトだよなあ」

 凄まじい速さと勢いで飛んでいった四ッ谷のおばちゃんの、そんな背中を見送りながら、ボーッとした顔の一真が何気なしにそんなことを呟く。

き者ではないか、四ッ谷殿は。あの者のように、誰にでも力強く、それでいて優しく振る舞えるのは、正直言って羨ましくも感じる」

 腕組みをしながら、同じように四ッ谷のおばちゃんを見送っていた隣の瀬那にそう言われ、一真は「だな」なんて深々と頷いてみる。

「ああいうヒトが居てくれるだけで、何だか救われた気分になる」

「であるな、一真よ」

 そして、本当に超特急ってぐらいの凄まじい速さで二人分の盆を抱えて四ッ谷のおばちゃんがカウンターに戻ってくるのは、それからほんの数分後のことだった。

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