Int.07:月下の二人、過ぎ去りし日々は既に遙か遠く①

「――――ってえことがあったんだよ」

「左様であったか。随分な目に遭ったのだな、今日の其方は」

 全くだ、と参ったような語気で目の前の瀬那に返しつつ、一真は部屋の床、背の低い座卓みたいなテーブルの前で胡坐をかき直す。

 あの後、そのまま訓練生寮・203号室に戻った一真は、帰ってくるなり部屋に居合わせていた瀬那に先程のシミュレータ・ルームでの一連の出来事を、まるで愚痴でも零すかのように話していたのだ。といってもその口振りは決してネガティヴなものでなく、寧ろ何処か楽しげでもあったが。

「しかし、美弥か」

 そんな一真の零す言葉に、時折小さく頬を緩ませつつ隣で相槌を打っていた瀬那が、ふとした折にポツリとそう言葉を漏らす。

「ん?」

 一真が訊き返せば、瀬那は「いや」と前置きをして、

彼奴あやつのオペレータ部門への転向、其方の話を聞く限りでは上手くいっているようなのでな。故、少しばかり安心したのだ」

「ああ、そういうことね」

 そうやって瀬那に言われ、一真は納得したように深く頷く。「俺が言い出しっぺみたいなもんだし、俺もホッとしてる」

い判断であったと思うぞ、美弥の件に関しての其方の判断は」

「そうかぁ?」

「そうだ」

 半信半疑みたいな顔で、何処か疑り深いような眼をして訊き返す一真に対し、瀬那は自信ありげに「うむ」と深く頷いてそれを肯定した。

「美弥のパイロットとしての才覚は、私の眼から見ても正直……言い辛いことではあるが、まるで無いように思えておった」

「だよな」相槌を打つ一真。「俺もそう思ってた。だからこそ、イチかバチかで教官に進言してみたんだ」

「結果的に、それが正解だったということだ。私から見ても、美弥の観察眼と戦術的な思考能力は群を抜いておる。

 これは素人意見故、其方はあまり真に受けないで欲しいのだが……。美弥は、彼奴あやつはまだまだ伸びると思うぞ、私は」

「かもしれんね。まあ、何にしても楽しみだ」

「うむ」

 そんな風に頷き合っていると、二人はどちらからでもなく自然と笑みを零してしまう。一真でも瀬那でも、どちらが最初というわけでもなく、ごく自然に。いつの間にか、二人は知らず知らずの内に互いの頬を緩ませ合ってしまっていた。

 やはり、ここが一番落ち着く――――。

 ふとした時に、一真は何故かそんなことを思っていた。ここが、瀬那の隣に居るときが、もしかしたら自分にとって一番落ち着けているんじゃないかと……。

 それは、きっとお互いの事情を深く知ってしまっている、といったことが大きいのかもしれない。奥の奥まで打ち明けあった間柄だけに、瀬那も一真も、互いに肩肘を張らずに済んでいる。

 ある意味で、一番の自然体で接することの出来る相手、と言うのだろうか。瀬那の方がどうかはさておき、少なくとも一真にとっては瀬那がそうだった。

 だからこそ、こうして奇妙な同居生活が続けられているのかも知れないな、なんて一真は思うと、フッと軽く頬を緩ませてしまう。これが始まった頃にはどうなるものか戦々恐々としていたものだが、しかしいざこうして数ヶ月、彼女と寝食を共にしてみれば、中々どうして悪いものではない。今までこんな体験をしたことが一度も無いものだから、一真は余計にそう思ってしまっていた。

「しかし、早いものだな」

 そう思っていると、瀬那が突然そんなことを言い出す。「何がだ?」と一真が訊き返せば、「ときが過ぎるのが、だ」と、瀬那は少しだけ眼を細めながらそう答える。

「……此処に来るまでは、こんなにも一日が早く過ぎ去ることなど、一度として無かった」

「…………」

 眼を細めながら、少しばかり遠い目をして瀬那の紡ぎ出す言葉に、一真はただじっと無言のままで耳を傾ける。

「それが、今はこんなにも一日が早い。楽しい時間ほど早く過ぎていくものだと、話には聞いていたが……。本当、なのだな」

「かもな」フッと軽く笑みを浮かべながら、一真が相槌を打つ。

「……みなのおかげだ、私が私らしくいられるのは」

「…………」

「ステラやエマ、美弥に白井、それに霧香……。――――そして何よりも、一真。其方が傍に居てくれるからこそ、私は誰でもない、ただの私として振る舞えるのだ」

 綾崎財閥の隠された一人娘としてでなく、ただ一人の対等な人間として――――。

 その言葉の裏に隠された、彼女の真意。それを暗黙の内に一真は理解すると、ただ無言のままにスッと瞼を閉じるのみで、これ以上無粋な言葉を紡ぎ出すことはしなかった。する必要も、なかった。

「夏休み、か……」

 遠い目をした瀬那が、その言葉を噛み締めるようにひとりごちる。

いものだな、本当に」

 そんな、心底から出てきたような彼女の呟きに。それに一真はただ「……ああ」とだけ、小さく短く頷いてやった。

「――――さて、そろそろ夕餉ゆうげとしよう。一真よ、今日も食堂か?」

 とすれば、瀬那は唐突に話題を切り替えると、その場から立ち上がりつつ一真にそんなことを訊いてくる。「ん?」と一真はそれに反応すると、

「そうだな……」

 そんな風に少しだけ思い悩む素振りを見せた後で、「んじゃあまあ、今日も食堂で済ますか」と、数秒遅れで瀬那の問いかけに肯定の意を示す。

「では、参るとしよう。そろそろ空いてくる頃合いであるからな」

「んだな」

 そうして、一真もよっこいしょと立ち上がった。腹の虫を鳴らしながら、一真と瀬那の二人は今宵も食堂に赴く。

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