Int.56:エンド・オブ・クライシス/エピローグ、忍び寄る闇の気配

「楽しそうで、何よりですな」

「ああ」

 一方、そんな一真たちとは少し離れた所にあるプレハブ小屋。その壁に並んでもたれ掛かりながら、西條・錦戸の二人は相変わらずの煙草を吹かしながら、そんな彼女らの様子を遠巻きに見守っていた。

「それにしても、宜しかったのですか?」

「何がだ?」

 相変わらずのラッキー・ストライクの煙草を吹かしながら言う錦戸に西條が訊き返せば、錦戸は「いえ」と言って、

「自由時間、与えてしまって」

 短くなった吸い殻を傍らにある背の高い灰皿に放り込みながら、錦戸がそう言った。

「良いんだよ、別に」

 西條もまた、吸い殻をそこに捨てて。白衣の胸ポケットから出した愛飲のマールボロ・ライト銘柄の新しい煙草を咥えると、それにジッポーで火を付けながら気楽な口調で錦戸にそう言い返す。

「こんなご時世だ。少しぐらい楽しい思い出作ったって、バチは当たらんだろ?」

「まあ、確かにそれはそうですが」

「それに――――」

 言い掛けた所で、西條は一旦煙草を摘まんで口から離し。ふぅ、と紫煙混じりの息を小さくつくと、再びそれを咥え直してから、仕切り直すように言葉を続けた。

「…………この先、こんな思いが出来るとも限らん。ならここに居る限りは、我々の庇護下に置いてやれるまでの間は。こんな楽しい思い出の一つや二つ、持たせてやらないと……。でないと、私は死んでも死に切れん」

「ええ、全くですな……」

 噛み締めるような西條の言葉に、錦戸もまた少しの歯痒さを覚えつつ、深く、それはそれは深く頷いた。

 ――――この士官学校を卒業すれば、次に彼女らを待ち受けているのは紛うことなき実戦。言い訳なんて一切通用しない、正真正銘の生死を賭けた闘争の場なのだ。

 そんなところに送り出すまでに、少しでもこんな思い出を作らせてやらなきゃ――――それこそ、西條も錦戸も、死んでも死にきれない想いだった。それは、実戦の厳しさを嫌と言うほど肌で体感してきたこの二人だからこそ言える、文字通り死線を潜り抜けてきた歴戦のエース二人だからこそ言えることだった。

(この中で、果たして何人が最後まで生き残れるのか――――)

 そんなこと、誰にだって分からない。幾ら西條が歴史のその名を残すレベルのスーパー・エースといえども、未来までは見据えられない。スーパー・エースといってもエスパーじゃないんだ。今の西條に出来ることといえば、遠くの彼女らをただ、憂いの瞳でじっと見据えていることだけ……。

 それが、西條にはどうしようもなく歯痒かった。出来ることなら、彼女らの代わりに自分が矢面に立って、群がる敵の全てを殲滅してやりたい。自分にならそれが出来るだけに、余計に辛く感じてしまう。

 だが、それは出来ないことだった。今の西條は単なる教官、京都士官学校の教官役であるただの一等軍曹であり、伝説のスーパー・エース、第303TAMS機動遊撃中隊≪ブレイド・ダンサーズ≫を率いていた頃の中隊長・西條少佐ではないのだ。

 だからこそ、だからこそ西條は、己の無力さで狂い死にそうだった。若者たちをただ死地に送るしか出来ないこの立場が、あまりにも歯痒くて、悔しくて……。それでいて、何も出来ない自分に苛立ち、しかしどうしようもなくて……。

 そんな感情が渦巻く中、西條は顔にこそ出さないものの、内心では本当に狂い死にそうなぐらいだった。

 だから、西條は煙草を吸う。阿呆みたいにパカパカパカパカと、飽きることなく吸い続ける。こうでもしていないと、平常心が保てなさそうだった。煙草の一本でも吹かして気を紛らわしていないと、今にもこのポーカー・フェイスが崩れてしまいそうだった。

 それはきっと、隣に立つ錦戸も同じことだろうと、西條は言葉を交わすしてそれを理解していた。西條も錦戸も、長年連れ添った相棒に近いような間柄。≪ブレイド・ダンサーズ≫結成前よりの付き合いな二人の間には既に言葉など必要無く、お互いにそれは何となく察し合っていることだった。

「思ったより辛いものですね、教官という立場も」

 すると、ふとした時に錦戸がそんなことを呟いた。西條もそれに「全くだ」と頷きつつ、三本目の煙草に手を伸ばす。

「吸い過ぎですよ、少佐」

「吸わんとやってられん。大体、吸いすぎってそれお前が言えたことじゃないだろ」

「ははは、それを言われると何も言い返せませんな。はははは」

「笑ってんじゃないよ、全く……」

 はぁ、と溜息をつく西條。すると錦戸は「私は少し所用がありますので、一旦これで」と言って、この場を離れて行く。

「ん」

 それに短く返答をしつつ、西條は口に咥えた新しいマールボロ・ライトに自前のジッポーで火を灯した。

 火の付きが悪い。どうやら、そろそろオイルを補充してやらねばならないらしい……。

 そんなことを思いながら、西條は今日もまた煙草を吹かす。ふぅ、と息をついて紫煙を吐き出す度に、胸の奥で蠢くどうしようもない歯痒さが、少しだけ霧散していってくれるような気がする。

「――――少佐」

 そうして煙草を吹かしていると、すぐに錦戸がこっちに駆け戻ってきた。クリアファイルに収められた書類を片手に、血相を変えて。

「どうした、藪から棒に」

 西條は怪訝に思いながらそう言うと、錦戸は「説明は後です。まずはこれを」と言って、そのクリアファイルを手渡してくる。

「んん……?」

 煙草を咥えたまま、西條がそれに目を通すと――――彼女もまた、眉間に皺を寄せてしまう。

「…………おい錦戸、どういうことだこれは」

「私からは、何とも。校長経由で、たった今入ってきた報告でして」

「ったく、なんてこったよオイ。どうすんだ、これ……」

 至極参ったような顔で、しかし本気の怒気を薄い表情の裏に秘めつつ、西條は手元の書類に視線を落とす。

「G06の幻魔が、今までに類を見ない活発化を始めてるだぁ……? 幾ら何でも、冗談が過ぎるんじゃないか……?」

 しかし国防軍、ひいては国連軍発表との表記が為されたその書類は、これが冗談でないことを二人へ暗黙の内に告げていた。

 ―――――G06・四国幻基巣の幻魔が、今までに見ないほどの活発化を始めた。

 その不穏な報告は、いつまでも西條たちの脳裏で反響し続け。そして、言い知れぬ不安を二人に感じさせていた。その中で、歴戦の二人は感じる。どうしようもない、迫り来る死の気配を…………。

 不穏な足音が、すぐそこまで迫ってきている。しかして為す術はなく、ただそれを受け入れることしか出来ない。

 闇の気配は、確かにすぐそこまで近づいていた。間近にまで迫ってくる、どうしようもない死の気配が、すぐそこまで。

 少年少女たちの、人生で最も暑い夏は。それはこうして、始まりの鐘を鳴らしたのだった――――。





(第三章、完)

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