Int.14:夏の夜、闇の気配は月下の彼方に消えて

「――――ああ、そういうことか。分かったよ、こっちで手配しとく。君らは無事かい?

 ……そうか、なら良いんだ。後はこっちで処理しておくから、君らはさっさと帰って来るがいい。……ああ、分かった。それじゃあ」

「失礼ですが、どなたから?」

 士官学校の職員室で西條が受話器を置けば、隣の事務椅子に腰掛け煙草を吹かしながら書類仕事をしていた錦戸が、横目を流しながらそんなことを話しかけてくる。

「瀬那だよ」

 西條は短くそう答えてやれば、冷えた珈琲を軽く口に含む。それから灰皿に置いてあった吸いかけの煙草を口に咥え、ふぅ、と紫煙混じりの息を吐き出した。

「綾崎さんが、ですか? 随分と珍しいですな、わざわざ電話を掛けてくるとは」

「ああ、珍しいね。本当に珍しい。何せ、少しトラブルがあったようだからね」

「トラブル、ですか?」

 ああ、と西條は肯定しながら、口からマールボロ・ライトの煙草の摘まんで離した。灰皿に煙草の灰をトントン、と落としながら、小さく息をつく。

「――――襲撃だ。どうやら、連中・・に襲われたらしい」

「…………まさか」

 目を丸くした錦戸が振り向けば、西條は黙って頷きながら、短くなった煙草を再び口に咥えた。

「ま、霧香も一緒だったようだったから、返り討ちにしてやったらしいけどね。全く、若者は血気盛んでいけないよ」

 冗談めいてそう言う西條だったが、当の錦戸はホッとしたような顔を浮かべていた。それを横目にチラリと見た西條は「フッ」と軽く笑えば、完全に短くなった煙草を灰皿に押し付けて火種を揉み消す。

「だから、今からそのお片付け・・・・と揉み消しの手配をしてやらにゃならん。ホント、こういう立場はやることに気苦労が多くて面倒だ」

 新しい煙草を白衣の胸ポケットから取り出し、咥えたそれにジッポーで火を点けながら言った西條に、錦戸が「ははは」と笑う。

「む、何がおかしい」

「いえいえ……。少佐も、漸くその立場の気苦労がお分かりになったようですから」

「なんだ錦戸、お前は最初から分かっているような口を利いて」

「ええ、それはもう」ニコニコと厳つい顔に似合わぬ柔らかすぎる笑みを浮かべながら、錦戸が頷く。

「少佐が若い時分には、私もそれはそれはかなりの苦労をさせられたものですから」

「……チッ。おい錦戸、今それを持ち出すか?」

「はい、持ち出します。何せ少佐は、綾崎さんや弥勒寺くんとは比べものにならないぐらい、色々とやってくれましたからな」

「ふん……」

 ぷいっとそっぽを向きながら、西條は腕を組む。それに錦戸はまた「ははは」と笑いながら、

「しかし、何も無かったようで何よりです」

 と、目の前の書類に視線を戻しながら、酷く真剣な声色でそう呟いた。

「全くだよ、ホント」

 西條も煙草の灰を灰皿に落としながら、ひどく疲れたように呟き返す。

「しかし、これで二度目ですか」

「ああ」頷く西條。「まさか、これほどに短いスパンとは私も予想していなかったがな」

「……彼ら、何か焦っているのでしょうか」

「ん?」

 何か意味深なことを呟いた錦戸の一言が気がかりになって、横目の視線を流しながら西條が訊き返す。すると錦戸は「いえ、確かな根拠は無いのですが」と前置きをして、

「幾ら綾崎家が邪魔だとして、彼らもそこまで馬鹿ではないはず。なのに何故、ここまで執拗に綾崎さんを狙おうとするのか…………。

 そう思えば、何か焦るだけの理由わけがあると考えるのが、一番自然かと思いましてな」

「ま、確かにな」

 西條はそう頷き返せば、再び煙草を咥え直す。

「まあ何がどうあれ、今はお二人が無事なことを素直に喜びましょう」

「だな。……ま、私はこれから七面倒な根回し電話をせにゃならないんだがね…………」

 あまりにも億劫そうに溜息交じりで言う西條に、錦戸はまた温和な笑みを浮かべて「ははは」と笑った。





「…………」

 その頃、瀬那と霧香の二人は既に現場を離れていて。一度西條への連絡のために公衆電話のある公園に立ち寄った後、再び士官学校への帰路を歩いていた。

 見上げれば、そこにあるのは真っ黒の天球と夏の星空。街明かりが割と激しいせいで一面の大星海といえるほど見えはしないが、しかし確かにそこには月明かりと、そして僅かに姿を見せる星々の光は見えていた。

「…………それにしても、始末しちゃって、ホントに良かったの?」

「何がだ、霧香」

 ふと口を開いた霧香に、彼女の方を向かないままで瀬那がそう言えば。霧香はいつも通りな感情の起伏が薄そうな無表情のままで、こう続けた。

「あの、最後の奴。今思えば、何かしら情報、引き出せそうだったから……」

「捕縛したところで、あの場に置いておく方が面倒であろう? それに――――」

 言い淀んだ瀬那の方に横目で視線を流しながら、「……それに、なに?」と、小さく首を傾げながら霧香が訊く。

「――――私は、あのような男を好かん」

 ほんの少しの沈黙の後で、瀬那はそう霧香の問いに答えた。

「……まあ、分かる気は、するよ。見るからに脂ぎってたしね、さっきの…………」

「そういう意味ではない」

 妙に斜め上なことを言う、まあいつもの調子な霧香の的外れな言葉に、瀬那が頬を緩ませる。

「しかし、これで二度目か……」

「多いね、なんか。短期間で、もう二回なんて」

「うむ…………」

 頷きながら、瀬那は思い悩むように顎に手を当てる素振りをみせる。しかし、幾ら考えたところでその答えは出てこない。出てくるわけが、無かった。

「まあ、いいや……。私の役目は、瀬那を護ることだけだから。それ以外は、割とどうでもいいかな…………」

「其方は相変わらずだな、霧香」

「まあねー……」

 呑気な調子の霧香と話していると、瀬那も無意識の内に張っていた肩肘が自然と緩んでいくような気がする。ここに来て、漸く緊張の糸が弛緩してきたでもいうのだろうか。

「まあ、瀬那が何を思うのかは、私はあんまり興味無いけどさ」

 すると、霧香はあまりに唐突にそんなことを口走り、

「――――もし、瀬那だけじゃどうしようもなく処理しきれなくなったらさ。ま、誰か適当なのに話してみるのも、アリだとは思うよ…………」

 まあ、私じゃ無くても、全然おっけー、って感じだけどねー……――――。

 更に続けて霧香にそう言われれば、瀬那も「……ああ」と小さく頷いてみせる。しかし、その顔は何処か俯き気味でもあった。

「……なーんて言ってる内に、着いたよ、瀬那」

「む? 意外に近いのだな」

 ともしていれば、二人のすぐ傍にはいつの間にか士官学校の校門があって。ハッとした瀬那が顔を上げると、そこには一部だけが未だに電灯の灯る校舎がそびえ立っている姿が彼女の眼に映った。

「ということで、この辺で今度こそお開きー……。じゃあねー、瀬那。おやすみー…………」

 そんな具合に士官学校の敷地に入り、入り口から寮に入るや否や、そう言って霧香はさっさと自分の部屋の方に去って行ってしまった。

「うむ。今日は世話を掛けたな、霧香。今宵はく休むがよい」

「そうさせて、貰うよー……」

 去って行く彼女の背中に向かって瀬那がそう告げれば、霧香はチラッと振り返って言い、今度こそ何処かに消えていってしまう。

「さて、私も戻るとするか……」

 一真も、そろそろ部屋に戻っておる頃合いであろうか――――。

 そんなことを思いながら、そんな風に彼の顔をふと思い出してみながら。瀬那もまた、自分の住まう203号室に戻るべく、訓練生寮の廊下を歩き始める。

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