Int.10:少年と巫女、黄昏の邂逅②
唐突すぎる美弥の誘いに乗っかった一真だが、連れて来られたのは士官学校内の食堂棟だった。
いつもの校外ほど近い場所にある三軒家食堂辺りに行くものだとタカを括っていた一真は美弥の意外なチョイスに驚きはしたが、それを顔に出さないままで連れられるがまま、夕暮れ時の食堂棟に入っていく。
扉を潜れば、人の数は疎らだった。夕飯時というには少し早く、昼には遅すぎるこの時間ならば無理もないだろう。厨房から仄かに漂う料理の匂いに鼻腔をくすぐられ、
「一真さんは、何にします?」
食券機の前に立ち、何にしたものかと熟考していれば、美弥にそんなことを言われる。一真は「そうだねえ……」と唸って、
「ま、ここは敢えていつものでいっときますか」
といいつつ、押したのは唐揚げ定食の発券ボタン。財布か通帳代わりのICカードを食券機のカードリーダーに潜らせれば支払いが完了し、下の取り出し口に食券が吐き出される。営内なら支払いがこうして実にスマートに済む辺りが、やはりここの最大の利点だろう。
「本当に唐揚げ、お好きなんですねぇ」
「我ながら、変な趣味だとは思うけどね」
ははは、と半笑いを浮かべながら美弥の言葉に返しつつ、「ほい、次美弥の番」と言って一真は身を退くと、美弥に順番を譲る。
「あっ、はい」
そんな美弥が選んだのは、意外にもカツカレー。厳密に言えばヒレカツカレー。とはいえ小サイズな辺りが、やはり美弥らしい。
「ほいっと」
そうして美弥が自分のICカードをリーダーに通しかけた所で、横からスッと手を突っ込んだ一真が自分のカードを券売機のリーダーに通してしまう。
「はわわっ!?」
美弥が驚いている間にも、支払い処理は無情にも完了し。美弥の分の食券が下の取り出し口へと吐き出される。
「今日は、俺の奢りってことで」
「えっ、一真さん、でも……」
「いいのいいの」
どうにも遠慮したような顔の美弥に、一真は自分で取り出した彼女の分の食券を差し出し、その小っこい手にスッと握らせてやる。
「折角美弥が勇気出して誘ってくれたんだ、これぐらいのことはさせてくれなきゃな」
フッと小さく笑いながら一真が言えば、「はわわわ……!」と相変わらずの調子で慌てふためく美弥は、何故かその頬を紅くしていて。その不可解な様子に疑問符を浮かべつつも、しかし一真が「な?」とダメ押しのように言えば、
「は、はいっ! ……あの、あ、ありがとう、ございます…………」
と、美弥は語気を先細りさせながらも、俯きつつそう言った。
「んじゃま、行くとしようか」
てな具合のやり取りがあった末、一真は美弥を伴ってカウンターの方に向かう。そこで彼ら二人を出迎えたのは、やはり。
「あら、カズマじゃないかい!」
そんな威勢の良い声で出迎える、割烹着を着た恰幅の良いその人こそ、事実上ここの重鎮みたいな存在である四ッ谷のおばちゃんだ。相変わらず愛嬌のある笑い顔を振りまいていて、一真も四ッ谷のおばちゃんと顔を合わせると妙に落ち着くというか、元気を貰えるような気すらしてしまっている。
「ん? みゃーちゃんも一緒なんて珍しいね」
「あはは、まあ色々ありまして」
半笑いで四ッ谷のおばちゃんに言い返す一真。ちなみにここで言う"みゃーちゃん"というのは、分かっていることだろうが美弥のことだ。四ッ谷のおばちゃんと、後は三軒家食堂の女将さんも何故か彼女のことは"みゃーちゃん"と呼ぶ。二人ともお互い何となく雰囲気は似通っているから、やっぱり付ける愛称も似通ってくるものなのか。
「あ、さてはカズマぁ。アンタ浮気だね?」
なんて阿呆なことを考えていれば、妙に勘ぐる四ッ谷のおばちゃんがにひひ、と好色そうな笑みを浮かべてそんな冗談をカマしてくる。
「違いますって」一真は苦笑いで否定しながら、自分の分の食券を手渡した。「それに、浮気も何も、最初から相手なんて居ませんから」
「まっ! なーに言ってんだかこの子はっ! 瀬那ちゃんといいステラちゃんといい、最近じゃあ霧香ちゃんに、あのエマちゃんとかいうもう一人の交換留学生にも手付けてるんだってのにさっ!」
「いぃぃっ!? ど、何処でそんな話をっ!?」
物凄い突拍子も無い話に一真がズッ転けそうになっていると、「とぼけんじゃないわよっ!」と四ッ谷のおばちゃんがニヤニヤしながら捲し立ててくる。
「もうそこら中で噂になってるよ、アンタってば!」
「冗談ですよね!?」
「冗談なワケあるかい! …………まあ、アンタがどう思っていようとさカズマ。あんだけアンタの周りに綺麗な
「そんなもんですかね……?」
困った様子で肩を竦めながら一真が恐る恐る訊けば、「そういうもんさ」と相変わらずニヤついた顔で四ッ谷のおばちゃんがそう返してくる。
「とにかく、だよカズマ。アンタがどうあれ、あの
「は、はあ……。頭の片隅には、置いておきます」
「……ま、何れは誰かに決めて、選ばなけりゃならないんだ。今の内は、それでも良いさね…………」
「えっ?」
最後に呟いた言葉が聞き取れなかった一真が訊き返すが、しかし四ッ谷のおばちゃんは「なんでもないの!」と強引に押し切り、「さあさあ、みゃーちゃんも早く寄越しな」と美弥に食券を渡すよう急かす。
「あっ、はい。おねがいしますです」
ハッと思い出したように食券を美弥が手渡すと、「はいはい、任されて!」と四ッ谷のおばちゃんはニコッと底抜けに明るい笑みを浮かべてそう言う。
「えーと、唐揚げ定食にヒレカツの小ね……。って、カズマぁ? アンタまた唐揚げかね」
「ははは、まあまあ」
「ホント好きねぇ、アンタも。――――まあいいさね! ちょいと待ってな、超特急で仕上げさせるから!」
そんな具合に厨房の奥へ引っ込んでいった四ッ谷のおばちゃんを待つこと、数分。本当に超特急な速さで仕上げてきた盆を二つ持って、四ッ谷のおばちゃんが二人の元へ帰ってきた。
「ほい、唐揚げ定食にヒレカツカレーの小、お待ちどおさんっ! カズマの分はまた大盛りにサービスしといちゃったわよん!」
「おっ、ありがてえや! ありがとね、お姉さん!」
「お世辞はいいからホラ、冷めない内にさっさと食っちまいな!」
にひひ、と笑う四ッ谷のおばちゃんに見送られながら、盆を受け取った二人は適当な席に腰を落ち着けさせる。相変わらず窓際の六人掛けテーブルを選ぶのは、最早普段の習慣からなのか。
「ホント、四ッ谷さんってお元気な人ですよねー」
「全くだ」対面の席に座る美弥の言葉に、一真も席に座りながらそう頷く。「あの人なら、デストロイヤー種にも威勢だけで勝っちまいそうだぜ」
「あはは、かもしれませんね」
「にしたって美弥、なんで俺を誘ってくれたんだ?」
笑う美弥に一真がそう訊けば、美弥は「うーん」と唸って、
「なんか、一真さんとこうして二人っきりってこと、今まで殆ど無かったなって思って。だから、折角だしちょっとぐらいは、ってだけですよぉ」
「言われてみれば、かもな」
確かに美弥の言う通り、彼女と一対一で話す機会なんて、殆ど無かったような気がする。まあそれもこれも、大抵は自分の隣に瀬那かステラか、最近だとエマみたいなのも。そこら辺の誰かしらが張り付いているからなのだが……。
「そういえば、瀬那ちゃんはどうされたんです? いつも一緒に居るのに、今日だけ珍しく見かけませんけれど」
「なんか、買い出しに付き合うんだってさ」
「買い出し?」
ああ、と一真は頷き、美弥のそれを肯定してやる。
「なんでも、エマの野暮用に付き合うんだってさ。ステラも一緒で、何故か霧香も付いてったらしいけど」
まあ、霧香が付いていった理由は何となく察せられるが――――。
最後のそれは、一真は口に出すことはしなかった。
霧香が瀬那にくっ付いて行ったのは、恐らく彼女の護衛の為だろう。付いて行ってくれる分には大いに助かる。、しかし、
心の内でそんなことを祈りつつ、一真は目の前の唐揚げ定食に手を付ける。既定より唐揚げが一つ多く、白飯がやたらと盛られているのは、きっと四ッ谷のおばちゃんの気持ち分という奴だろう。変に西條の悪戯を仕込まれた模範演武のせいで余計に疲れてしまった一真としては、純粋にこれはありがたい。
「そういや、美弥は実家通いだったか?」
「はいっ」頷き、肯定する美弥。
「といっても、実家というワケではないんです。元々住んでた家ではあるんですけど、ホントの実家は長野の方でして。それに、親は二人とも既にそっちに疎開済みですし……」
「そうだったか……」
悪いことを訊いてしまったかな、と一真が思っていると、その心を読んだように「いえ、気にしないでください」と美弥が言う。
「一真さんは、寮でしたよね?」
「ああ」頷く一真。「何の因果か、瀬那と同室になっちまってるが。今じゃ慣れたもんだよ」
「はわわっ!? せ、瀬那ちゃんと同じ部屋なんですかぁっ!?」
ともすれば何故か美弥は驚くものだから、一真は疑問符を頭の上に浮かべながら「知らなかったか?」と至極当然のように問いかける。
「し、知らなかったですよぉ! そ、そんなことぉっ!」
「ありゃ……? 確か、話した覚えあるんだけどなあ」
と言った時に、その話した相手というのが美弥でなく、白井であったことを今更になって思いだした。確かあの時は入学式の当日で、美弥ともまだ知り合いと呼べる関係では無かったはずだ。
なら、美弥が知らないのも無理はない。同じ寮生活であるステラやエマは既に知っているし、瀬那の従者である霧香は当然のように心得ていたことだから、すっかり失念してしまっていたようだ。
「そ、その……。同じ部屋、ってことは、やっぱり……そういう…………」
「ん?」
何やら顔を真っ赤にしてボソボソと何かを呟く美弥だったが、しかしそれが聞き取れずに一真は思わず訊き返してしまう。
それに美弥は「はわわっ!?」とまたいつもの調子で驚くと、「な、なんでもありませんっ! なんでもありませんからっ!」と更に頬を真っ赤にしながら、ばたばたと両手を振り慌ててそう一真に言ってくる。
「そ、そうか……」
そんな美弥の反応があまりに必死だったものだから、一真もそれ以上は追求出来なかった。何やら気になることを言っていたような気がしないでもないが、しかしこれより奥には深く首を突っ込めないらしい。
「……むぅ。一真さんは、いじわるです」
暫くして、落ち着きを取り戻した美弥がぷくーっと頬を膨らませながらそんなことを口走る。
「いじわる? 俺が?」
困り顔の一真がそう訊けば、美弥は「はい」と小さく頷いて、
「一真さんは、いじわるです。とっても、いじわるなひとですっ」
と言ってしまえば、ぷいっとそっぽを向いてしまう。
「うーむ……」
難しいな、こういうのは――――。
困ったように頭の後ろを掻きながら、一真は首を傾げる。こういう時どういう対応を取るのが最適解なのか、一真は知らない。だからこそ、こうして困っているのだ。
「……でも、そんな一真さんだからこそ、私は――――」
「ん? 美弥、何か言ったか?」
美弥が何かボソッと呟いたような気がしたから一真は訊いてみるが、「な、なんでもありませんっ!」とまたそっぽを向いて言われてしまえば、一真は「はいはい、分かったって」と困り果てた顔で肩を竦めながら、そう言うことしか出来ない。
「ふぅ……」
肩の力を抜きながら小さく息をついてみれば、一真の耳に飛び込んでくるのは、壁に掛けられたテレビから漏れ聞こえる報道番組の声。ニュースキャスターが報じる、今日までの戦況の話題だった。
『今月初めに米国海軍と国連軍の支援を受けつつ愛媛・旧今治市に上陸し、四国奪還の
また、敵の一部突出した集団が本日未明に瀬戸内海の
「…………」
一真は、それに黙って耳を傾けていた。
――――先に報じられた通り、現在の日本国防軍は米軍、及び国連軍扱いで派遣されてくる各国軍の協力を仰ぎつつ、これで何十回目かという四国奪還作戦を行っている最中だ。その為に旧愛媛県の旧今治市へ米国海兵隊と共に強行上陸を仕掛け、力押しで制圧し奪還の足がかりとした。
……そこまでは順調だったのだが、しかし今はこの有様だ。四国中央部に落着したG06四国幻基巣より湧き出る無尽蔵の幻魔群に押され、結局それ以上を進軍出来ないでいる。いたずらに兵力だけをすり減らし、消耗を続けているのが現状だ。
(このまま膠着状態が続けば、遅かれ早かれ今回の奪還作戦も――――)
――――失敗に、終わる。
ここまで来れば、既に日本に住む大半の人間が分かっていることだ。こうして過去に何度も、何度も攻め立てては、すべからく失敗している。民衆も今更どうこう思うことはなく、寧ろよく持った方だとか、そういう方向に話が進むぐらいだ。
一体あと何度戦い、どれだけの貴重な兵と物資を浪費すれば、四国を取り戻せるのか――――。
そんなことは、誰にも分からない。四方を海に囲まれた四国に幻基巣が落着したお陰で日本は未だにこの体制を保ててはいるが、しかし四国という絶海の孤島めいた状況が天然の要害となり、却って攻略が進まないのも現状だ。
1987年のサウジアラビア奪還や、2006年のオーストラリア奪還のように簡単にはいかないのが、G06四国幻基巣という敵の拠点なのだ。無論、前述の二つだって決して簡単だったワケではない。多大な犠牲を払い、その上で漸く人類の手に取り戻したのが、この二つの大地なのだ。
しかし、四国の攻略難易度は'87年や'06年の比ではない。それは国連の公式発表として世界中で周知の事実であり、ユーラシア大陸最大の幻基巣であるG04モンゴル幻基巣と並んで、立地や周辺状況を考慮すると、世界で最も攻略の難しい幻基巣の一つとされているのだ。
「…………」
「あの、一真さん?」
そんなことを考えていると、知らず知らずの内に意識が飛んでいたらしく。怪訝に思った美弥にそう言われ、ハッとした一真が漸く意識を取り戻した。
「あ、ああ。悪いな美弥」
「何か、難しい顔をされてましたけれど……。考え事、ですかぁ?」
「まあな」小さく頷き、一真は傍らに置かれた湯呑みの茶を啜った。「ちょっと、ニュースに気を取られてたみたいでね」
「あ、分かりますぅそれ。ついつい聞いちゃいますよね、聞こえちゃうと」
「おっ? 分かってくれるか、美弥――――」
そんな具合に他愛も無い話を美弥と交わしながら、今日も夜は更けていく。いつしか窓の外は陽が完全に落ちていて、天球を真っ暗に染め上げる夜闇が辺りを支配する頃合いになっていた。
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