Int.09:少年と巫女、黄昏の邂逅①

「あっ、一真さんっ!」

 それから暫くときは過ぎ、夕刻頃。演習場から戻ってきて、士官学校内をアテもなくぶらぶら歩いていた一真を背中から呼び止めたのは、甲高く何処か幼げな、そんな少女の声だった。

「美弥」

 立ち止まった一真が振り返れば、そこにはやたらと小柄な少女が立っていて。セミ・ロングぐらいの丈に切り揃えた髪に、そんな深緑の前髪の下に見え隠れさせる、上半分だけが無い赤いハーフ・リムの眼鏡。瀬那やステラたちと同じここの女子制服を身に纏う、そんな小動物めいた雰囲気の彼女は、間違いなく壬生谷美弥みぶたに みやに相違なかった。

「補習か?」

「はいっ!」美弥が元気よく言って、大きく頷いてみせる。「一真さんたちも、今日は演習場まで行かれてたみたいですね」

「まあね。ったく、西條教官が変な悪戯仕掛けやがったせいで、こちとらエラい目に遭ったよ……」

「あ、その話なら私もさっき聞きましたよぅ。なんでも、教官が昔乗ってたのに似せた機体に、瀬那ちゃんが乗せられてたんでしたっけ?」

「その通り」大げさに肩を竦めながら、一真が認める。「マジで相手が伝説の白い死神だと思ってたもんだから、肝が冷えっぱなしだった」

「昔は、かなり強かったって聞きますからねぇ。でも一真さん、瀬那ちゃんもかなり強かったんじゃないですかぁ?」

「そりゃあ、もう」

 腕を組んだ一真はそう言うと、感慨深そうな顔を浮かべてこう続けた。

「流石にウデが良いぜ、やっぱり。近接装備だけでの戦いだったから、余計に勝てる気がしなかった」

「凄いですよねぇ、瀬那ちゃん。私もさっき模範演武の映像観させて貰いましたけど、ホントに凄かったですもん」

 何だか言葉足らずというか、語彙ごい足らずというか。美弥の言葉にはどうにも拙い印象を受けるが、しかし彼女の言いたいことは一真にも十分伝わっている。言葉では語り尽くせないことでも、こうして顔を合わせていれば何となく分かるものだ。美弥の場合は常にこんな具合だから、それが特に顕著なのだが。

「そういや、美弥はもう補習終わったのか?」

「はいっ!」やはり、元気よく美弥は頷く。「丁度帰るところだったんですけれど、たまたま一真さん見かけたんで、声掛けちゃいました」

「大変そうだな、オペレータ部門への転向」

「いえ、大したことじゃないですよ。あのまま往生際悪くパイロット部門でやっていたかもしれないことを考えると、こっちに来て良かったと思ってます。そういう意味で、一真さんにはホントに感謝、してるんですよぉ?」

「俺は何もしちゃいないよ。決めたのは美弥、君自身なんだから」

「謙遜はやめてくださいって」

 小動物のような笑みを浮かべる美弥にそう言われると、一真も頬を緩めざるを得ず。フッと笑って一瞬目を逸らした視線をもう一度、横目で彼女の方に流してみれば。こちらを下から見上げる小柄な彼女の唇が、次の言葉を紡ぎ出そうとしているのが一真の眼には映った。

「私、一真さんには本当に感謝してるんです。一真さんが教官に話を付けてくれなかったら、きっと今より遅く……ううん、もしかしたら気付かないまま、踏ん切りが付かないままだったかもしれません。だから、本当に感謝してるんです」

 少しだけ瞳を潤ませながら、しかし真剣な眼差しで言う彼女に対し、これ以上の謙遜は却って失礼に当たるかもしれない。そう思った一真はもう一度フッと小さく笑みを浮かべてみせると、「……そうか」とだけ、短くそれだけを呟いた。

「確か、美弥には兄貴が居るんだったよな? パイロットの」

「はいっ」肯定する美弥。「ですが、それが何か……?」

 それに一真は「いや……」と言ってから、少し間を置いて話し始める。

「パイロットとしては、美弥は駄目だったかもしれない。兄貴には遠く及ばないんだろうな、きっと」

「はい……」

 少しだけ落ち込んだ様子で俯く美弥の方を横目に一瞥しながら、一真は「――――だが」と続けて、

「それならそれで、仕方ないことだろ? だったらオペレータ部門の方で、君は君の出来ることをすればいい。大丈夫さ、君の才能は俺が保証する。

 ――――といっても、素人のこんな言葉じゃあ、気休めにもならないだろうけれど」

「ううん、そんなことありませんっ!」

 一真が呟くようにそんなことを口走れば、珍しく強い語気で美弥がそう言ってくる。多少驚いた一真が目を見開いて彼女の方に首を傾けてみれば、一歩踏み出した美弥は何故か一真の傍まで寄ってきて。無防備に垂れ下がっていた彼の右手を、何を思ったか自分の両手でパッと握ってくる。

 瀬那やステラとは比べものにならない程に小さくて、細く頼りない小さな掌の。ひんやりと伝わってくる低い体温を肌越しに感じつつ、潤んだ瞳でじっと見上げてくる美弥を、一真は呆気に取られながら見下ろすしかできない。

「一真さんにそう言って貰えるなら、それ以上のことなんてありませんよっ! だって、他でもない一真さん、なんですから……っ!」

「お、おう……」

 何を思って、美弥がこんな必死な顔をするのかは分からない。分からないが、しかし右手に触れる彼女の両手が微かに震えていることを感じてしまうせいで、一真はそれを無碍むげに扱おうとも思えなかった。

「……っ、すいません、一真さん。急にこんなこと、言い出して…………」

 一呼吸置いて落ち着くと、美弥は一真の手を離し、一歩後ろに下がりながらそう言う。手の甲でそっと目元を拭うのは、やはりその瞳が潤んでいたせいなのか。

「いや、こっちこそ悪いことをした。ちょっと余計なコト、言い過ぎちまったな」

「いえ、そんなこと……」

 何処かバツの悪そうに明後日の方向に視線を逸らす一真と、顔を俯かせる美弥。奇妙な沈黙が数秒の間漂ったところで、次にその沈黙を破るのは美弥だった。

「あ、あのっ、一真さんっ!」

「ん?」

 彼女の方へ視線を戻せば、美弥は俯いていた顔をまたこっちに向けていて。その顔付きがやたらと真剣なものだったせいで一真も変に緊張してしまい、ゴクリと軽く生唾を飲み込んでしまう。

「い、今からって、暇ですかっ!?」

「お、おう。特に何もないから、この辺ブラついてたんだが……」

 すると美弥は「な、ならっ!」と言って、

「す、少し付き合って貰っても、い、いいですかっ!? といっても、ご飯行くだけですけれど……」

 後半の方になるにつれて言葉を細くしながらの美弥にそう言われて、一真は「んん?」と一瞬唸ると、

「……ま、いいか。良いぜ、丁度腹の空き具合も良い感じになってたしな」

 そう言って、美弥の誘いに乗ることに決めた。

「ほ、ほんとですかっ!?」

 ぱぁっと顔色を明るくさせる美弥に、一真が「ホントにホント」と苦笑いをしながら返す。

「じゃ、じゃあ行きましょうっ! 今すぐ、さあっ!」

 なんてことを言い出したかと思えば、美弥は突然一真の手をもう一度引っ掴んで、強引に引っ張りながら歩き始めてしまう。

「ちょ、ちょっと待ってくれよっ!?」

 慌てた一真がそう言うが、美弥は「だめですっ!」と言って、

「善は急げ、とも言いますからっ!」

 なんて軽く意味の分からないことを言って、美弥らしからぬ強引さで一真を引っ張っていく。

(……まあ、いいか。たまにはこういうのも)

 そんな彼女に引っ張られながら、一真は内心で思い大げさに肩を竦めて。しかしその表情は決して嫌なものでなく、仕方なしとは思いつつも何処か楽しげでもあった。

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