Int.35:見上げるは蒼穹、大空が歌いしは終幕の歌

 試合を終え、雨上がりの空を仰ぎながら整備区画に戻ってくる傷だらけの≪閃電≫を出迎えたのは、一真の凱旋を待ち望んでいた大量の人波だった。

「ったく、こんなとこまで来やがって……」

 眼下に映るソイツらを見下ろしながら口先で一真はそう言うが、しかし疲れた顔に浮かぶのは緊張の解れた笑みだ。こうして出迎えられると、悪い気はしない。寧ろ、自分が優勝したのだという事実を確かなリアル感を伴い、実感させてくれる。

(そうだ、俺――――勝ったんだよな)

 内心でそうひとりごちるほど、一真は自分があのエマ・アジャーニに勝ったという事実が中々信じられないでいる。戦っている最中は熱くなりすぎていてそれどころじゃなかったが、しかしイザ頭を冷やしてみれば、なんでエマに勝てたのか、実際戦った一真本人ですらまるで分からない。

 一歩間違えれば、負けていたのは自分の方だ――――。

 コンマ数秒の差で、雌雄を決した。状況が完全に相打ちだったことが、自分が胸の内にもやっとしたモノを抱かせる原因なのだろうと一真は思った。

 しかし、形がどうあれ勝ちは勝ちだ。あの時諦め掛けていた自分が最後の最後に諦めを許さず、行動したことでギリギリの淵から手繰り寄せた勝利なのだ。

 だからこそ一真は、胸を張って彼らの前に立てる。純白の装甲の隙間から未だに雨水を滴らせる相棒と共にこうして堂々と帰還することが、自分にとって、そして死闘を繰り広げたエマに対しての払うべき礼儀だと、一真は自ずと理解していた。

「水も滴るイイ男、ってな」

 そうだろ、相棒――――?

 コクピットの左右から生える操縦桿を軽く撫でながら、コクピット・シートの中に包まれる一真が独りそう呟く。

 無論、その言葉に彼は応えない。物言わぬ鋼鉄の巨人が、一真の呟きに言葉を返すはずも無い。しかし一真はこの≪閃電≫に、並々ならぬ愛着のようなものを感じていた。対ステラ・レーヴェンス戦から始まり、今日のこの日まで共に傷付き戦い抜いて、そして武闘大会優勝の栄光をもぎ取った文字通りの相棒たる純白の巨人を、一真はいつの間にか彼を、己の真の相棒として認識するようになっていた。

 そんな相棒と共に雨上がりの大地を歩き、そして跳ね上がった73式輸送トレーラーの巨大なベッドのような荷台に、≪閃電≫のその背中を預けさせた。

 固定具のアームが機体の各所をガッチリと掴みロックし、それから油圧ダンパーで跳ね上がっていた荷台が横たわる。荷台と共に機体が完全に仰向けに寝転がった頃、コクピット・ブロックの乗降ハッチを開放した一真は機体から這い出ていく。

 吹き付ける風と共に鼻腔をくすぐるのは、僅かに残った雨の残香。ヘッド・ギアを外し、汗の滲んだ額を撫でるのは、少しばかりの湿気を孕んだ雨上がりの風だった。

 そして、眼下から湧き上がる歓声を、トレーラーの荷台に横たわる≪閃電≫の胸の上に立つ一真がスッと見下ろした。

 トレーラーの周りには、かなりの数の訓練生たちが一真を出迎えようと、すぐ傍まで詰めかけて来ていた。きっと、観戦に来ていた連中の大半だろう。その中には勿論白井や美弥なんかの、いつもの連中の姿も見える。

「……行くか」

 誰に向けるでもなくひとりごち、一真は≪閃電≫からヒョイヒョイと軽快に飛び降りる。そしてトレーラーの荷台に乗ってそこからも飛び降りると、ワッと一際大きな歓声が一真の周りに巻き起こった。

「っしゃあ! 英雄様のご帰還だぜっ!!」

 そんな調子の良い声が聞こえてきたかと思えば、勿論その声の主は白井だ。こんな時だからか、普段はアレな白井の軽いノリも、今の一真には妙に心地よく聞こえてしまう。

「かっ、一真さん! 本当に……本当に、おめでとうございますっ!」

 周りを取り囲み詰めかけてくる連中に一真が辟易したみたく苦笑いをしていると、なんとか目の前にまでやって来た美弥がそう労いの言葉を掛けてきてくれる。見ると彼女の周りには他にも見慣れた彼女たちの顔があって、だからか一真は、変に安堵を覚えてしまった。

「……やるね、一真……ふふふ…………」

 相変わらずの妙な具合の語気で最初にそう言ってきたのは、霧香だ。何故かあんパンを差し出してきたから、一真はかなり困惑しつつ「あ、後でな?」とそれを丁重にお断りする。

「糖分補給、おいしいのにね……」

 なんてボソボソと言う霧香に「ははは……」と一真が苦笑いをしていると、そんな彼の目の前にザッと現れたのは、烈火の如き紅色のツーサイド・アップの髪を揺らす長身の女だった。

「…………」

 勿論、それはステラに他ならない。腕組みをする彼女の金色の双眸が無言のままにキッと一真を見据えてくるものだから、一真も押し黙ってしまう。

「――――ふっ」

 すると、小さく笑ったかと思えばステラの顔色は唐突に緩み、腕組みを解いた彼女の右腕が、スッと握り拳を作ってみせるのが見えた。

「やるじゃないの、カズマ。あのエマを倒しちゃうなんて」

「我ながら驚いてるよ。人間、案外なんでも出来ちまうもんだ」

「それでこそよ、アタシの喧嘩仲間ならさ」

 言いながらステラは肘を引き、右の拳を誘うように軽く振ってみせる。

「……次は、無えかもだぜ?」

 それを見た一真はフッと小さく笑ってから言うと、自分も同じように肘を引き、拳を形作ってみせる。

「次は次、今は今。勝ったのなら、素直に喜びなさい?」

「ヘッ……――――違いねえ!」

 そして、二人は突き出した互いの拳を真っ正面からぶつけ合う。

「ふふっ……!」

「くくく……っ!!」

 重なり合う拳と拳。互いの硬い感触をその拳に確かめ合いながら、一真とステラは知らず知らずの内に笑い始めていた。ぶつけ合う拳をやがて解いても、しかしその笑みは絶えることがない。

「――――一真よ」

 そうした頃に一歩前に進み出てきたのは、やはり瀬那だった。後ろでポニー・テール風なスタイルに結った藍色の髪を揺らし、相変わらず左腰には刀を下げている格好な彼女を見ると、何故か妙な安心感を覚えてしまう。

「其方という奴は、全く……。あんな場面で人の名を叫ぶなど、一体どういう了見なのだ……」

「――――あ」

 なんでまた頬を軽く朱に染めているのかと勘ぐっていた最中、瀬那にそんなことを言われたものだから、唖然とした一真は間抜けにも大口を開けボーッとしてしまう。

(なんか、言ってた気がする……)

 確かに、なんかエマと戦ってる最中に瀬那の名を思いっきり叫んでたような記憶が、頭の片隅にあるような無いような。何分戦ってる最中のことで、頭に血が上っていた中で無意識に叫んでいたものだから、あまりハッキリとは言えないのだが……。

「お、お陰で私は赤っ恥であるぞっ! 全く、其方は……」

「す、すまん」

 腕組みをする瀬那にぷいっと軽くそっぽを向かれたせいで、一真は思わず謝ってしまう。すると瀬那は「……む」と片眼の視線を投げ、

「……まあ、い。勝って帰ってきた其方を、これ以上責めるようなことはせぬ。此度こたびは許そう、一真」

「お、おう。なんか、すまんかったな……」

「気にするでない。それより――――」

 すると、一歩踏み出てきた瀬那は何故か一真の手を握り、

「――――くぞ、一真っ!」

 ポカンとした一真の手を引き、瀬那はあまりに唐突に走り始めた。

「あっ、ちょっと瀬那!? それにカズマもっ!」

 驚いたステラが呼びかけてくる声が背中の向こう側から聞こえてくるが、しかし瀬那は走る脚を止めようとしない。

「ちょ、ちょっと待て瀬那っ!? な、なんのつもりだよっ!?」

 そんな彼女の謎の行動に、手を引かれながら一真が問えば。軽く振り向いた瀬那は「簡単なことだ!」と言い、

「いつまでもあそこに、其方を置いておくワケにもいくまい!」

「どういうことだよっ!?」

「そういうことだっ!」

 結局、瀬那の行動理由がよく分からないまま、しかし一真は諦めて彼女に手を引かれるまま、走り続けた。

(ま、いいか……)

 そんな瀬那の、中々こちらに向けようとしない顔が、軽く紅く染まっていて。それでいて何処か楽しげで、嬉しげだったから――――だから一真はそれ以上、無粋な詮索はやめることにした。

 瀬那に手を引かれて走りながら、ふと見上げるのは雨上がりの空。まだ雲は掛かりつつも、しかし晴れ間は広がっていく。雨の残り香を差し込む日差しに霧散させながら、覗く蒼穹が戦いの終わりを告げていた。

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