Int.36:終幕、若人たちの背中に嘗ての英雄が憂うモノ

「あーっ! もう、何処連れてく気なのよっ! 全くもう……」

「弥勒寺ぃーっ! なんて羨まし……じゃなかった! テメーはよォーッ!」

 瀬那に手を引かれ、走り去っていく一真の背中にステラと白井が叫ぶ。他にも霧香は「ふふふ……」なんて意味深な態度を取るし、美弥はといえば「はわわわ……!」と相変わらず慌てるばかり。

 そんな彼らの様子を遠巻きに眺めながら――――整備区画に停められた高機動車にもたれかかりながら、マールボロ・ライトの煙草を吹かす西條が「ふっ……」と小さく笑みを浮かべていた。

「やりましたな、弥勒寺くん」

 煙草を燻らせ続ける西條の傍に現れ、隣にスッともたれ掛かりながら言うのは、やはり錦戸教官だ。

 隣にやって来た錦戸に西條が「ああ」と頷いてから「一本やるか?」と、相も変わらず羽織る白衣の胸ポケットからマールボロ・ライトの紙箱を取り出して差し出しながら言えば、錦戸は「いえ、今日は自前のがありますので」と言って、自分の懐から出したラッキー・ストライクの箱をチラリと見せつける仕草をする。

「まさか、本当にあのアジャーニさんを倒してしまうとは」

 口に咥えたラッキー・ストライクの煙草に自前のジッポーで火を付けた錦戸が、紫煙混じりの息をつきながらそう呟く。

「正直、私も驚いてるよ」

 指先で煙草の灰を落としながら西條が言えば、「少佐は、弥勒寺くんが負けるものだと?」と、少しだけ驚いた顔で訊き返した。それに西條は煙草を咥え直しながら「ああ」と頷いて、

「相手が相手だ。私はてっきり、弥勒寺の奴が負けるものだとタカを括っていたのだがな」

「まあ、私も勝てるとは思っていませんでしたが」

「だろ?」口から離した煙草を指で挟みながら、隣の錦戸の方にチラリと横目を流した西條が、フッと小さな笑みを浮かべながら言った。

「しかし、現実には勝ちました」

「だな。尤も、ほぼ相打ちだが……」

「今の彼なら、それでも十分すぎるぐらいの大金星ですよ。そうとは思いませんか? 少佐」

「まあな」西條は頷き、短くなった煙草を懐から出した携帯灰皿に放り込むと、「それと、少佐はやめろと何度言わせる」と錦戸を疎める。

「ははは、申し訳ない。どうにも昔の癖が、まだ抜けきってないようで」

「全く、お前という奴は……」

 新しい煙草を胸ポケットから抜き取りながらそう言う西條だったが、しかし錦戸の目に映るその横顔は、何処か嬉しげなようにも見えた。

「≪ブレイド・ダンサーズ≫の生き残りも、もう我々だけとなってしまいました。癖が抜けきらないのも、そのせいでしょうか……」

「かもしれん。――――が、今の私は一等軍曹で、あの馬鹿どもの一教官に過ぎん。少佐と呼ぶのは、いい加減改めろ」

「ははは、努力しましょう」

 そう言いながら、吸い殻を棄てた錦戸も新しい煙草に手を伸ばす。西條も錦戸も、双方共に物凄いヘヴィー・スモーカーなものだから、それを止める者も疎める者もここには居やしない。

「しかし、全く彼には驚かされるばかりです。この短期間でタイプFをあそこまで使いこなせるようになるとは、もう才能でしょうね」

「フッ、私からすればまだまだだよ。奴はまだ"ヴァリアブル・ブラスト"の本質を理解しちゃいない」

「理解しろという方が無茶ですよ、少佐。……彼はまだ、実戦を経験してはいないのですから」

 それに西條も「……だな」と、紫煙混じりの息を小さくつきながら言った。

(ああ、アイツには確かに才能がある。しかし、絶対的に欠けているモノは――――)

 しかし西條は、それ以上のことを意図的に考えないようにした。こんなことは、考えなくても分かっていることだ。

「実戦、実戦ですか……」

 そんな西條の沈黙の理由わけを察してか、錦戸がふとそう呟く。

「もし叶うのであれば、彼らに経験させたくはないものですな」

「……ああ」眼を細め遠くを見ながら言う錦戸の言葉に、西條が俯き気味な顔で頷いた。

「あんな地獄を体験する人間は、我々の世代で最後にしたい。そう思って我々は戦ってきたつもりだった。

 …………だが、皮肉なものだとは思わないか? そんな我々が、今や次の若者を戦地に送り出す立場になってしまっている」

「全くですな。昔の貴女でさえ送り出すのを躊躇ったこの私が、今やもっと若い世代を地獄に送り出そうとしているとは。本当に酷い皮肉です」

「ジョークにしたら最悪レベルだ、こんなもの。本当に、最悪だ……」

 腹の底から絞り出すような声色で呟いた西條は、吸い殻を携帯灰皿へ雑に叩き込む。その仕草に何処か苛立ちのような感情が混ざっていることは、きっと今は錦戸しか気付いていないことだろう。

「これで最後にしたい、若者をあんな地獄に送ることは、これで最後にしたい……。

 そう思いながら我々は、一体何千人の若者を送り出してきた? しかも、その中で今まで生き残っているのは一体何割か……」

 呟いた後に西條は「フッ」と己を嘲け笑うかのように少しばかりの笑みを浮かべてみせ、

「これじゃあ、まるで死神と変わらないじゃないか。"関門海峡の白い死神"には、お似合いの名前かもしれないがね…………」

 そう、ひどく乾いた笑いと共にひとりごちた。

「少佐は、死神なんかじゃありませんよ」

 そんな、顔色に影を落とした西條の方を向かないまま、雨上がりの空を見上げつつ煙草を吹かす錦戸が彼女に向けてそう言う。

「確かに少佐の戦い方は、死神そのものです。いや、鬼神と言った方が正しいでしょうか……。

 しかし、普段の少佐殿はそうではありません。少佐殿はあくまで、彼らに生き延びる術を教えているだけに過ぎません。少しでも生き残る確率を上げるための、その術を」

「……慰めているつもりか?」

「いえ」しかし西條は、首を横に振る。「ただ、ありのままの事実を言っているだけですよ」

「まあ、いい。…………お前がそう言ってくれるだけで、少しは救われた気になる」

 ふぅ、と西條が軽く吹いた紫煙混じりの白い息が空に上り、やがて霧散していく。僅かな湿気の残滓を孕んだ雨上がりの大気の中に紫煙と共に漂う吐息が消えていくと、胸の内に少しばかり暗く影を落としていた西條も、そんな気分が多少は晴れていくような気がしていた。

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