Int.02:蒼月と紅蓮、乙女二人と少年一人

「お疲れだ、一真よ」

 機体を整備区画に停まっていた75式TAMS前線輸送トレーラーのハンガーに収め、油圧機構で寝かされたペイント砲弾の着弾跡一つ無い純白の≪閃電≫から一真が降りると、トレーラーの傍で待ち構えていた瀬那――――ルームメイトの凛とした少女、綾崎瀬那あやさき せながそう言って出迎えてくれていた。

「おう、サンキュ」

 トレーラーの荷台から飛び降りると、瀬那が差し出してきたスポーツ・ドリンクの冷えたペットボトルを一真は受け取る。封を開けソイツを一気に喉に流し込めば、冷えた冷気と共に染み渡るミネラル分と電解質が一真の疲れた身体に潤いを取り戻す。

「……っぷはぁっ。っつぁー、やっぱキくぜ」

「これで二連勝であるな。アレ以来随分と調子がいではないか」

「まあな」栓を閉めたペットボトル片手に、一真は被っていたヘッド・ギアを頭から外した。締め付けていた物が無くなった開放感で、肩に張り詰めていた緊張の糸もほつれていく。

「うむ、きことだ。其方が勝てば、私も嬉しい」

 ニコッと柔らかく笑う瀬那。それに一真も「だな」と小さく笑い返した。

 ここ最近、特に瀬那の表情が柔らかくなってきたような気がする。些細な変化かもしれないが、しかし四六時中顔を突き合わせている一真には分かっていた。この変化を分かるのが自分だけかと思うと、余計に笑みを浮かべてしまう。

 そう思うと、やはり最初の頃は瀬那も今から思えば少し堅苦しかったような気もする。明確にどこで変わってきたかまでは分からないが、強いて言うなれば京都市街を歩き回った頃ぐらいか。あそこで不可抗力ながら瀬那の秘密を一真も少しだけ共有してしまったことが、もしかすれば彼女と打ち解けやすくなった切っ掛けかもしれない。

 まあ、そんな過去の話は一真にとってどうでもいい話だ。とにかく今考えるべきは、この先のこと。武闘大会を勝ち抜けるか否か、だ。過ぎ去った過去にいつまでも固執していたところで、それは仕方ないというものだろう。

「この調子ならば、ひょっとすれば優勝も夢じゃないやもしれぬな」

 小さく笑いながら、瀬那が言う。一真もニッと口角を緩めながら「あたぼうよ」と返せば、

「男なら目標はただ一つ、頂点を目指すもんだぜ。ステラをブッ倒して代表になっちまった以上、狙うはてっぺんただ一つさ」

「ふふっ、そういう其方のところ、嫌いではないぞ」

「だろ?」

「にしても一真よ、最近は前に比べて少し性格が変わったのではないか?」

 一真がトレーラーの荷台に背中を預けもたれ掛かると、傍に立つ瀬那がふとそんなことを言ってきた。

「そうか?」よく分かっていない様子の一真が訊き返せば、瀬那は「うむ」と頷く。

「其方と出逢った当初よりも、なんというか粗暴というか……。すまぬ、き言葉が見つからぬのだが、とにかくそんな具合なのだ。

 ……勘違いするでないぞ? それで其方を幻滅したりだとか、嫌いになったとかではないのだ。寧ろ私としては、その方が気兼ねなく話せてい」

 腕組みをする瀬那にそう言われて、一真は「うーん」と少しの間思い悩んだ。別に自分自身、そんな気は無かったのだが。しかしはたから見ている瀬那が言うのだから、多分間違いないのだろう。人は往々にして、己自身のことは思うよりも分かっていないものなのだから。

「どっちかてと、これが素なんじゃないか?」

 結局、一真の出した結論はそういう具合だった。

「左様か」

「今まで瀬那相手に緊張してなかったって言ったら嘘だし。だってほら、いきなり一緒に住め、だぜ? それで緊張するなって方が無理あると思うだろ?」

「ん? 私は別に、最初から其方と部屋を共有するのは気にもしていなかったが」

 きょとん、とした顔で瀬那がそんなことを言うもんだから、一真は思わずズッ転けそうになる。

「とはいえ、誰かと寝所しんじょを共にした経験はあらぬからな。そういう意味では、私も少しは緊張しておったのやもしれぬ」

「あ、はい、さいですか……」

 相変わらずの斜め上な瀬那の反応には慣れたものだが、しかしこうもハッキリ言われてしまえば一真も肩を落としてしまう。なんというか、男として。

「――――カーズマっ!」

 ともしていれば、そんな声が横から飛んで来て。振り向こうとした一真より早く彼の右腕に突っ込んできたものは、燃えさかる紅蓮の炎のように紅い少女の髪だった。

「すっ、ステラぁ!?」

 飛び込んで来たその少女――――嘗ての敵、そして今は喧嘩仲間であるステラ・レーヴェンスが何故か自分の右腕に抱きついてきているものだから、驚いた一真は裏返った声で素っ頓狂な声を上げてしまう。

「なっ、何してんだお前っ!?」

「何って、アンタにくっついてんの」

 下から一真の顔を上目で見上げながら、ステラがさも当然のように言い放った。長身のステラだが今は少しかがんだような格好なもので、こうして一真が見下ろす格好になっている。

「くっついてんの、ってお前なあ……」

「何よ、離れろってんの?」

「ぐ……」

 ――――なんというか、ステラがやたらと身体を押し付けてくるせいで、その、右の二の腕あたりにやったらめったらに柔らかい感触がするもので。それを離してしまうのがどうも名残惜しいというか勿体なく感じてしまうものだから、一真は文字通りぐうの音も出なくなってしまう。無論、鼻の下が伸びきっているのは言うまでもない。

「ほれほれ、離して欲しいなら言ってみなさいよ、ほれほれ」

 またステラが悪ふざけするみたいにニヤニヤとしながらどんどん押し付けてくるものだから、一真は「あ、あのなあ……!」という歯切れの悪い言葉を辛うじて紡ぎ出すことぐらいしか出来ずにいる。

「ほれ、やめんかステラよ。一真が嫌がっておるではないか」

 そこに割って入るのは、やはり瀬那だ。こういう時にはやっぱり瀬那は頼れる。とはいえ離れていくステラの超絶柔らかいあの感触が、少し名残惜しくも感じた。

「なーによ、良いじゃないのさ別に。ねーカズマぁー」

「ねー、じゃないが」

 参った顔で辛うじて言葉を返す一真の右腕には、柔らかいモノこそ触れていないがステラの両腕は未だに絡みついている。

「全く、其方という奴は……。アレ以来、随分と一真にべったりではないか。何が其方をそこまで変えたのだ? 前はあれほど嫌悪していたではないか、お互いに」

 呆れたような仕草で溜息交じりに瀬那が言えば、相変わらず腕を絡ませたままのステラは「簡単よ」なんて軽くウィンクを混ぜながら瀬那にこう告げる。

「アタシとカズマはこの間の一件で何もかもチャラ。後は単なる喧嘩仲間ってだけよ」

「喧嘩仲間が、やたらめったらに引っ付くのであるか?」

「さあねー? ただのスキンシップよ、スキンシップ」

 なんて妄言めいた意味不明なことを吐きつつ、ステラは腕に密着するとまた柔らかいアレを一真に押し付けてくる。何も言えない一真の鼻の下が日本海溝並みに伸びきっているのは、もう敢えて言葉にする必要もないだろう。

「なっ!? そっ、其方という奴は……! ほれ、一真もなんとか言わぬか!」

「言えないわよねー? だって鼻の下伸びきってるし」

「ぐぬぬ……」

「悔しかったらさ瀬那、アンタもやってあげればいいじゃない」

「っ!?」

 いや、驚きたいのはこっちだ。

 一真がもう言葉も出ないような中、ステラにそう言われた瀬那は「なっ、なななな……っ!?」なんて具合にバッと顔を赤らめさせる。

「ふふーん、お淑やかなのも結構だけどさぁ、瀬那? あんまり油断してると、横からかっ攫われちゃうわよ? こんな具合にね」

 一真としてはそんなステラの言うことがイマイチ理解できていなかった――というか、右腕の感触が異次元過ぎてそれどころじゃない――のだが、瀬那の方はどうやら意味を理解したらしく。

「わ、分かった! や、やってやろうではないかっ!」

 なんてことを顔を真っ赤にしながら口走れば、ずかずかと一真の方に歩み寄ってくる。

「お、おい瀬那? まさかお前まで」

「皆まで言わすな、たわけ!」

「はっ、はい! すんませんしたァーッ!」

 困惑する一真はしかし瀬那の剣幕と独特の覇気にやられ、全力でジャパニーズ・ドゲザを敢行。いや、実際にやらず気分だけなんだけれども。

 として、瀬那が段々とこっちに寄ってきた段階で。

「――――いい加減離れんか、この色ボケ色情魔め」

 パカン、なんて間抜けな音が響いたかと思えば、「あいたぁー!!」なんて叫んだステラが一真の右腕から離れていく。何事かと思い一真がステラの方を振り向けば、そこには西條教官――西條舞依にしじょう まい教官がステラの襟首片手に突っ立っていた。相変わらずの用途不明な白衣を羽織り何処でも煙草を吹かすスタイルはいつもの通りだが、しかしその表情は呆れかえっている。

「きょっ、教官!?」

「なーにが『きょっ、教官!?』だ、馬鹿者め。何処でも盛ろうとするのは構わんが、時と場合を考えろ」

「さっ、盛ろうなんて!?」

 今度はステラが顔を真っ赤にして言うが、ポカン、と再びステラの頭に西條の拳骨が直撃する。

「あいたぁー!!」

「してただろうが、この色ボケ留学生。さっきから見てりゃ無駄にでかい乳ぐりぐりぐりぐり押し付けやがってコラ、何だこれこれコラ、デカいのが良いのか? デカいのがそんなに正義なのか? コラコラ何だこれコラ」

 今度はぐりぐりとステラのドデカく主張する胸を横から突っつく西條。それにステラが「やっ、やめてくださいって教官……!? はうっ」なんて妙に上擦った声を出すものだから眼福極まりないのだが、ここはグッと堪える。鼻血でも噴射した日にゃ、隣でまだ真っ赤になってる瀬那に叩き斬られかねん。

 ひとしきりステラを弄くり終えたところで彼女を解放した西條は、ステラを適当な所へ放りつつ「こほん」と咳払いをすると、どうやら用があるらしい一真の方に向き直った。

「さて、どっかの馬鹿のせいで話は逸れたが……――――まずは、二回戦突破おめでとう、だ。ご苦労だったぞ弥勒寺」

「あっ、はい。ありがとうございます」

 ぺこり、と小さく頭を下げる一真。隣に立ち推移を見守る瀬那も流石に熱が冷めてきたようで、顔は元通りの平静そのものな風に戻っている。

「タイプFにも随分と慣れてきたみたいだな。どうだ? コイツの調子は」

 コンコン、とトレーラーの荷台を叩きながら西條が言う。それに一真は「絶好調っスよ。とにかく格闘戦がやりやすくて助かります」と答えた。

「だろう、だろう、そうだろう。何せ格闘戦は戦いの肝だからな。その辺りは私が絶対に妥協を許さなかったんだ。ふはははは」

 何故か誇らしげに笑う西條。とはいえ≪閃電≫・タイプFの開発には西條自身も関わっていたのだから当然か。

「とにかく、二回戦まではトントン拍子で来れたワケだ。ここからもこの調子で優勝――――と言いたいところだが、懸念材料が一つあるのを、忘れるなよ?」

「……欧州連合軍からの交換留学生、ですか」

 神妙な顔で一真がそう言えば、ああ、と西條が頷く。

「確か、C組の代表になってるんでしたっけ」

「らしいな。私も詳しいことは知らんがね。とにかく、欧州連合からとなると油断できる相手じゃない。弥勒寺、心して掛かれよ」

「分かってます。寧ろ、その方が俺としちゃあ嬉しいですぜ。何せ、丁度物足りなく感じてた所でさァよ」

「ふっ、それは結構なことだ。だが弥勒寺、奢るなよ? 幾らセンスと才能があると言っても、お前はまだまだパイロットとしては未熟だ。私のタイプFに助けられているところがあることを、ゆめゆめ忘れるんじゃないぞ」

 それだけ言うと西條は白衣の裾を翻しながら踵を返し、「話はそれだけだ」と言って、はっはっはと高笑いをしながら何処かに立ち去っていってしまった。

「……相変っわらず、変な人だよなあ。西條教官って」

「いつものことであろう。いい加減慣れぬか、其方も」

「そうは言ってもよお瀬那、ありゃあ確実に奇人変人の類だぜ? 慣れろっつったって中々慣れれるもんじゃないぜ」

「それでも、慣れるのだ。それに私から見れば、其方も十分に奇人変人の類であるぞ」

「そりゃこっちの台詞。お互い様ってことだ、瀬那」

「むう……」

 どうにも納得がいかないらしく唸る瀬那に、一真は「へへへ」と小さく笑ってみせる。

「ってかさカズマ、いい加減着替えてきなさいよ。暑苦しいでしょ? それ」

 すると、やっとこさ復活したステラが話題を一気に変えるようにそんなことを言ってきた。言われてみれば、確かに一真は85式パイロット・スーツのままである。

「あー、そうだな。んじゃま、着替えてくるわ。瀬那、悪いけどこれお願い」

「うむ、任せるがい」

 飲みかけのスポーツ・ドリンクのペットボトルを一度瀬那に預けて、一真は独りヘッド・ギア片手に、パイロット・スーツを着替えるべく演習場の更衣室の方へと歩いて行った。

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