【お題:規制、恋人】
「あーあ、ついてねえなあ」
彼は呟いた。その通り、道は塞がれていた。
何があったのだろうかシルディアナ帝国軍が道のど真ん中に防壁を張り巡らせており、竜車や馬車がやっと通れるぐらいの狭い隙間がその真ん中に開いている程度だ。検閲だろうか、急ぎの男は商人らしき身なりで、何かを早口で捲し立てている。彼は聞き耳を立てた。どうやら帝都で何かが起こっているらしい、だからこのまま向かっても徒労に終わるだろう、と帝国軍兵士らしき白の鎧に身を包んだ若者がそんなことを言って応対していた。更に内容を聴けば、一人ひとり身分証明印を確認して回っているとのことだ。
彼はシルディアナ帝国の東にある石造りの首都を擁す王国ヒューロア・ラライナから帰還し、帝都に向かう途中だった。早く帰って一月前に娶った妻に会いたい。
商品を売り込みに行った先で出会ったその少女は、誰と添い遂げる気もなかった40超えの彼に近付いてきて、彼の何を気に入ったのかは知らないが貴方の妻になりたいと申し出てきたのだ、それも一生懸命に。自身の貴族としての地位と財産を全部放棄するぐらいに。宮殿にも行こうものなら何処かの貴族に一瞬で見染められるであろう美貌、まだうら若き乙女、17歳だというのに。宝石のような深い藍の目に蜂蜜色の美しく波立った手触りの好い長い髪、程良く肉の付いた健康的な身体。家事は壊滅的だったが、彼が全部教えて最近は何とか様になってきた。火を熾す時に用いる火魔石の安全な使い方、掃除の時に用いる水魔石の上手な割り方、目が眩まないように光魔石を巧く灯す方法、その他。言うことをしっかり聴いて実践する素直さと、思うことをしっかり伝えられる芯の強さが、何より彼の気に入った。
そう、彼は彼女に恋をしていた。喜ぶ顔が見たくて。
「……はあ、ロディア」
だから、妻というよりも恋人かもしれない。彼はぼんやりとロディア、彼女の笑顔を思い浮かべる。朝日に綻ぶ花の蕾が如く、その美しさは言葉に表しようのない、朝露滴る花弁のように涙を流しても。このような洒落た表現は彼女から教わったものだ、彼はずっと一介の商人であったが如何せん贅沢品売りではなかったので、縁がなかったのだ。最初は何をふぬけた軟弱な、と馬鹿にしていたが、教えられてみれば中々耳に心地好く知的好奇心を擽られるというか。それは彼の商売にも影響を与えた。大陸各地、或いはサントレキア小大陸からの書籍の輸入にまで手を出し、中流家庭から上の身分の者をを対象にその商売が成功したのだ。彼女が知る書物や欲しがる書物は大抵が当たりだった。素晴らしい。
本当に、どうして自分を慕ってくれるのだろう。彼にはそれがいまいち理解出来なかった。一度、まだ商人と客の関係であった頃、彼女に対して自身の生き方について熱弁を振ったことがあったが、それだろうか。
ところで、アエギュス街道の長い行列は一向に進まない。取り敢えず彼は不精髭を剃り、髪を整えたかった。せめてロディアの前では相応しい外見の男でいたいものだ、埃っぽいアエギュス街道でぼんやりとしているうちはそんなこと、叶いそうにもないけれど。
「……今回のお土産はセルナイエス・フィルネア、世にはばかるイェーリュフの著作だよ、っと」
そう呟きながら彼は、にやっとする。帝都で何が起こっているかも知らずに。
『我、幼な妻について思うこと』
新シルダ(統一グラマスカ)歴1180年、11の月/帝都シルディアナ近郊、アエギュス街道にて
2012.11.3
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