【お題:びいどろ/或いはガラス製品】


「御機嫌よう、イーアの、ニルナヴァ。頼まれた物、持ってきましたよ」

「ああ、御機嫌よう、アティアの、ウィリス。その辺に置いておいて頂戴な」

 汗ばむ夏の日だ。とても低い声が彼女を呼んだ。来客だ。ニルナヴァ・イーアは女性、弱冠26歳にしてシヴォンの港街一体を牛耳る貿易商だった。彼女は、優秀な商人達が多く集まり居を構えるシヴォン出身ではないが、持ち合わせた機転とずる賢さ、思い切りの良さでそんじょそこらの男共を踏み台に、あっという間に大陸一の貿易商へとのし上がったのだ。彼女は、流行や政治情勢にとても敏感である。彼女は、一度掴んだ機会を決して逃さない。

 彼女は、客をとても大事にする。

「その辺ってどの辺ですか、木箱だらけで床が見えませんよ!」

「あるでしょう、ほら、そこ……フェークライト鉱の木箱の隣」

 アティアの、と呼ばれた男がうろたえたのが、気配と呻き声だけでわかった。何しろフェークライト鉱の木箱はドラゴンが立ち上がれるくらいの高さがある倉庫の天井に届くほど積み上がっていて場所を取っており、その隣は全部通路だ。

「……だ、駄目ですよ! ちゃんと置く場所を開けておいて下さいって言ったでしょう、ニーナ! 持って来た物はね、繊細で壊れやすくて直ぐに砕けてしまうんだから――」

「でも、ちゃあんと貴方がどうにかしてくれるでしょう、ウィリス」

 彼女――ニーナは、顎を持ち上げて横目でちらと相手を一瞥し、口元だけで微笑んでみせた……次いで、にっこりする。彼女は、知っている。ウィリス・アティアが、彼女の見せるそんな表情と動作を気に入っていることを。

 ウィリスが溜め息をついた。そして聞こえてきたのは幾らか砕けた口調の、呆れた低い声。

「……全く、貴女がお貴族連中に流行っているから丁重に扱いなさい宜しくって言うから、その通りに持って来たのに」

「ええ、貴方が丁重に扱ってくれれば問題ないのよ」

「貴女もですよ、ニルナヴァ――」

「なあに、その後に続くのは嫁に貰ってくれる男もいないぞ、っていうお決まりの下らない脅しかしら?」

 相手は溜め息をついた。ニーナはくすくす笑いながら歌うように言った。

「もし4年後も独りだったら貴方が貰ってくれるって、前に約束してくれたじゃじゃないの。別に、今日頼んだ物みたいに丁重に扱わなくても構わないわ」

 彼女は黙り込んだ相手の方へすたすたと近付き、抱え上げられている木箱をひとつ、ひょいと取り上げて通路に下ろした。ウィリスの後ろにはあと9個の木箱が見える。

 くすんだ赤毛がぴょこんと立っているのも構わずに、ニーナは行動を開始した。彼女は背も高くて体力もある。突っ立っている男に手伝ってと一言、汗をかきながら2人で10個の木箱を倉庫の通路に置いて、終わり。彼女がシヴォン一の貿易商となったのは、自ら動く故だ。木箱ひとつに16個入っている筈だ、1つ落とせば損失は恐らく――木箱の蓋を上げておが屑を適当に取り除き、ニーナはそうっとひとつを取り出し、見つめた。

「……うん、ケールン産の最高級のファイアンス鉱から作られたびいどろ。堪らないわね」

 透明なファイアンス鉱の細長い管の先にくっついているのは、底の平たいファイアンス鉱の球。この最高級の観賞用の球の部分であるが、何と、浅く彫られた溝は翼を広げた美しく荘厳な竜を描いているのだ。夜空のよう色の宝石を砕いて溶かした塗料で描かれた竜の鱗は倉庫の中の照明を反射してきらきら光り、その竜の目にあたる部分には薄く切られた蛋白石がはめ込まれ、七色に輝いている。文字通り人間業ではない、エルフの手がけたものだ。

「……ああ、ニーナ、どうか落としたりせずに――」

「私が大事な商品を落としたこと、あった?」

「……ありません」

 きっと木箱の中にはこれと同じくらいの、いや、もっと上質なびいどろが陽の光に当てられるのを待っているのだろう。ニーナはその細長い管の先をくわえて吹きたくなったが、やめた。商品だ。いや、自分のものにしたい欲求がここにきて鎌首をもたげるとは思いもしなかったけれど。

 しかし、朝日の差し込む部屋の窓際に置いておきたい代物だ。

「これ1個を落としたら、箱1つ分の運搬費が飛んでいくでしょうね」

「……やめて下さい、ニルナヴァ」

 ウィリスが彼女の名を愛称で呼ばない時は決まって大真面目に物事を捉えている証拠だ。

「貴方、このびいどろよりも運搬費の方が大事?」

「……いえ」

「廻って姿形を変えていく物よりも、手に入れた残る物を壊れないように、壊れても破片を、大切にする方が賢明よ」

 倉庫の高い位置にある小さな窓から昼近くの太陽の光が差し込んでくる。この調子じゃあまだウィリスと一緒にはなれないわね、なんて思いながら、彼女は宙に舞う埃が光の粒子を弾くのを見上げ、その白く眩しい筋に蒼い竜のびいどろを掲げた。だけど彼も何れ、彼女の考えていることを解ってくれるだろう。

「……ニルナヴァ」

 呼びかけには応えない。しかし、彼女は自分の下を通り過ぎていく全ての品を愛している。そして、手に取る人を想う。何故なら、心に残るのは手に取る誰かの笑顔であるからだ。彼女は、その笑顔を愛している。そして、出会った人、これから出会う人、全てを愛している。

 ちらり、振り返れば何やら思い詰めた表情のウィリス。この男はどうも深刻に捉え過ぎるきらいがあるが、慎重なのは悪くない。

 美しい、美しい異国からの贈り物。誰の手に渡るのだろう。ニーナは微笑んだ。



『美し輝きの未来に想いを馳せ』

新シルダ歴1158年、8の月/大陸、シヴォンの港街にて

2012.10.30


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