第14話 猪退治

「勘兵衛様、てってっ、大変だ。でかい猪が、畑を食い荒らしてる」

 百姓の籐兵衛が、某の舘に駆け込んできた。ここのところ、猪が作物を食い荒らしているとの話が寄せられていた。備えていた某は、すぐさま太刀を帯び、弓矢を持って舘を出た。伴には華蔵を選んだ。華蔵も弓を持ち、某に従って舘を出た。

 藤兵衛が案内した畑では瓜が潰され食い荒らされていた。手間掛けた実りが、無残な姿を曝している。残された足跡から、相手はかなりの大猪であると推測された。

「ひどいな……」

「勘兵衛様、やっつけて下せえ。落着いて畑仕事もできん」

「任せておけ。きっと仕留めてやるからな」

 村外れの権太郎の家に向かう途中で、華蔵が黒い影に気づいた。

「勘兵衛様、いた、あそこだ」

 華蔵の声に振り向くと、山の陰から猪が大きな姿を現した。某と華蔵が弓を引き絞って狙いを定めた。

 鼻息荒く飛びかかってきた猪の眉間を華蔵が過たずに射抜いた。某の矢も喉を射て、猪の動きを止めた。

 華蔵は二の矢三の矢を続けて射た。全てが急所に命中し、猪は倒れた。

 ――さすがは猟師をしていただけのことはある――

 某は止めを刺すべく、手斧を持って、間合いを詰めた。まだ息はある。

 某は猪が息を吹き返さないうちに手斧を一気に振り下ろした。渾身の一撃が猪の頭蓋を砕いた。猪は、辺りを震わす断末魔を上げて動かなくなった。


 百姓たちは、喚声を上げた。ここ数日、近隣の村に姿を現し、悩ませていた猪を見事に倒したのだ。某と華蔵は百姓たちから代わるがわる感謝された。

 やがて、百姓の女房どもが鍋や包丁を持ってきた。骨を砕くための斧を持ってきた農夫もいた。

 にわかに訪れた村人総出の祭である。先ほどまでの狼狽や怒りは安堵に変わり、皆、楽しげに宴会の準備を始めていた。

「百姓って不思議だなあ。仕留める前と後でコロリと変わる」

 華蔵の呟きを聞いて、某も笑いながら肯定した。

「確かにな。一筋縄ではいかぬ強かな連中だ」

「でも、領主様ってもっと格好いい仕事だと思ってたけど……。結構、泥臭いんですね。俺ら猟師と、そんなに変わらない」

「某のような田舎領主は、戦がなければ百姓どもの世話で日が暮れるものよ」

「百姓たちは勝手ことばかり言ってくるし」

「確かにな。『俺も百姓様になりてえ』なんてぼやいている領主もいた」

「百姓って、気楽な稼業なのかもな」

「だが、戦となれば、我らに命を懸けてもらうのだからな。平時は助けてやりたいものだと思っている」

 某は百姓たちの顔を見詰めた。

「やっぱり勘兵衛様は変わってる」

 華蔵は某に呟いた。憎まれ口を叱ろうとしたが、華蔵は百姓の許に走っていってしまった。

「だめだめ。肉は筋に沿って切らないと。骨に肉が残っちまうよ」

 華蔵の手際のよさに感心し、籐兵衛も手伝おうとするが、上手くいかないようだ。すると脇から年増女が出て、毒づきながら籐兵衛から包丁を奪った。籐兵衛は捨て台詞を残し、離れていく。長閑な夫婦喧嘩の光景だった。

 ――こういった毎日を皆に過ごさせてやりたいものだ――

 宴の準備に沸く村人たちを眺めていると、背後に人の気配がした。

 「俺は運がいいらしい。猪鍋村の名物に、今晩はありつけそうだな」

 背後から無遠慮な言葉が聞こえた。声の主がすぐ知れた。

「狙っていたように、ちょうど良い時分にいらっしゃいましたな」

 某は振り向かずに、男に声を掛けた。

 男は池田盛周、通称は悪次郎という。盛周は馬を降りて傍の木に繋ぐと、某の隣に並んだ。某よりも頭一つ高い背丈に熊のようなずんぐりした体格。豪快に伸ばした顎鬚は三国志などに出てくる豪傑を感じさせる。

 ――そういえば、悪次郎殿は関羽が好きであったか――

 顎鬚を見ながら、某は思い出した。


「久しいな、勘兵衛。湯沢城攻めの武功、(鮭延)越前守様から聞いた。我がことのように嬉しいぞ」

「お言葉、忝し。禄も加増され、新たな家臣も召し抱えました」

 某は華蔵を呼び寄せた。作業を女衆に任せて、華蔵が戻ってきた。某の脇にやってきた盛周に辞宜をして、名乗った。

「丁寧な挨拶、痛み入る。某は、越前守様の許で居候しておる池田悪次郎じゃ。勘兵衛殿とは、親しくしておる。以後、よろしゅうに」

「華蔵。先ほどの『百姓様になりてえ』とぼやいた領主様だ」

 盛周は苦笑いしながらも、某の話を遮ろうとする様子はない。興味を抱いた風の華蔵に某は盛周について語り出した。

「かつて仙北で、太閤殿下の検地に不服を抱いた百姓たちが、一揆を起こした。華蔵、この話は知っているだろう」

「聞いた覚えがある。大谷刑部が差配してたんだろう」

「左様。しかし、一揆は最上領内でも起きた。朝日山周辺でな。悪次郎様は、当時は朝日山城主で、殿から一揆鎮圧の命を受けた」

「そうはいうても相手は顔を知ってる百姓衆。戦いとうはなかった」

 話の継穂をとって、盛周自身が語り始めた。

 盛周は根が明るい。真剣な話もどことなくおかしみを帯びる、不思議な男だった。

 ――話に火が着けば、後は悪次郎殿に任せよう――

 某はそう思って、しばらく黙った。下手に話に横槍を入れると、今晩の宴で復讐をされる。上戸の盛周相手では某は端から勝負にならない。

「で、一揆を起こした連中のところに儂が話し合いに行った。だがのう、年貢が酷ければ三割も増えるという。『生きてゆけぬ』という百姓の気持ちも、わかるでのう。儂ゃあ、困った」

 腕組みをして頭を微かに振り、大げさに語る盛周の仕草に華蔵は早くも噴き出しそうであった。

「逆に『戦いを知らねえうちらを助けて下せえ』なんて抜かす。悩んでのう……。気付いたら、儂が一揆の首領じゃ。わあっははは」

 本来は笑うべき話ではではない。天下人に叛旗を翻したのだが、これすら冗談に聞こえるのが不思議であった。耐え切れずに某も華蔵も声を上げて笑った。

「おお、そうじゃ。儂がここにきたのは、越前守様からの命を伝えに参ったのじゃった。お主といると、つい話し込んでしまうのう」

「では、その命を舘にて承ります」

「うむ、では参ろうか」

 盛周は、馬の轡をとって、某たちとともに歩みだした。

「勘兵衛様、今宵は社に来て下せえ」

 宴の準備を進める百姓たちが、某らに話しかけた。

「おう、必ず参るゆえ、楽しみに待っておれ」

 なぜか、盛周が応えていた。

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