第4話 本丸攻め
最上勢の先陣は八〇〇。道興が率いるとは言え、敵兵は二〇〇。四倍もの兵力差に、先陣の兵らは早くも戦勝気分に浮かれ、弛緩した空気が漂い始めていた。
某が秀綱に湯を持っていくと、秀綱は一口湯を啜って、そのまましばらく動かなかった。下手に話しかけると秀綱の思考を邪魔となる。そう心得て静かに控えていた。
「小野寺孫作、恐るべし」
秀綱は呟くと、残りの湯を飲み干した。
「確かに他を圧倒する雰囲気を持っておりました。だが、兵を愛する良き将でもございます。感服仕りました」
「本当にそれだけだと思うか、勘兵衛」
――いかなる意図があるのだろうか――
秀綱の呟きの意味を飲みこめなかった。秀綱は、『まだ若いな』とばかりに含み笑いを浮かべて、視線を向けてきた。
「五〇〇が二〇〇に減る。この二〇〇こそ恐ろしいと思わぬか」
「精鋭が残るのでございましょう」
「いや、精鋭以上だ。正しく死兵よ」
「殿が恐れるの真意がつかめませぬ。如何なるわけでございましょう」
「その前に、そもそも侍が戦うのは、どういうわけだ」
秀綱は某の問いを問いで返してきた。
「無論、武功のためでございます」
武功を求める理由は、それぞれである。だが、武功や勝利を目指さない侍は、侍ではない。某が返した答に秀綱は頷いた。
「その通り。ここでよく考えよ。勝利武功は生きるが前提じゃ。だが、死兵は逆。死ぬが目的となる。弓矢、刀槍、鉄砲を怖れずに向かってくる。一人でも我らを道連れにしようと果敢に向かってくるのだ。理屈を超えた強さを秘めるが死兵よ」
秀綱はじっと、本丸を見上げていた。周りからは浮かれる兵の戯言や笑い声が耳障りな程響いてくる。
「勘兵衛。明日は、先陣を捨て駒とし、死兵の疲れを誘う」
秀綱の言葉には、戦略を司る者の非情さが籠っていた。
先陣には、二ノ丸で共に戦った由利衆も加わっている。降伏直後の戦で武功を上げ、最上家中で一目置かれたいという思惑がある。だから、明日の戦では彼らも真っ先に本丸に突っ込んでいくだろう。
――先陣の者らは捨て駒か――
秀綱は、先陣と小野寺勢とで消耗戦を行わせ、漁夫の利を狙っている。死兵に真っ向から当たる愚を避ける肚なのだ。
――侮らずに慎重に戦ってくれればよいが……――
そう願ったが、先陣の緩んだ空気に某は不安を感じた。
一番太鼓が山に響いた。戦準備を開始する合図である。
未だ暗い。人影の確認はできるが、人定は厳しい。
一番太鼓から半刻。陽が少し姿を見せた。朝日が当たった槍の穂先が微かに輝いている。漸く視界も開けてきたころ、二番太鼓が乱れ打たれた。
前日の軍議通り、盛政らの手勢が本丸正門樫木の門に打ちかかる。前日の盛政らの恐怖を兵は感じていないように見えた。兵たちは硬く閉められた門を大木槌で激しく叩き続けた。山々に衝撃音が響き渡る。樫木門は、攻め手の一撃ごとに堅牢さを失ってのがわかる。とうとう閂も折れたようで、静かに口を開き始めた。
隙間が生じた戸口から、先陣の兵が様々な得物を捻じ込んでいく。力任せの雑兵たちが、強引に抉じ開ける。耳障りな鈍い音を響かせ、二ノ丸と本丸の郭を隔てる戸口は、開け放たれた。
開いた門から、手柄を焦る兵たちが雪崩れ込んでいく。先陣の鉄砲隊が一斉射撃をした轟音が耳に痛いくらいに響いてきた。順調すぎるくらいに順調な攻め手だ。
「さてどうなるか」
秀綱の呟きが聞こえた。城壁に囲まれた郭内での戦闘は、二ノ丸に詰める某たちには見えない。風に乗って聞こえる喚声や怒号で戦局を推し量るしかなかった。
「何だか、おかしいぞ、勘兵衛様」
傍にいた華蔵が囁いてくる。理由を聞くと、
「喚声じゃない。悲鳴だ。いくら何でもこんな早く、一方的な戦いにはならないはずだ」
喚声は声も低く、響くように聞こえる。だが、悲鳴は、高く耳障りな音声と化す。そう言われれば耳障りな声が聞こえる気がした。
秀綱も異変を察知したようで、足達者に物見に行かせた。戦況は目で確かめられない。霧の中にいるような焦りやもどかしさを感じた。
足早い物見は、すぐに報告に戻るはずだ。だが、そのわずかの間にも、取り返しのつかぬ事態が起こっている気がして仕方がなかった。
ややあって、物見が、数名の兵を連れて帰陣した。同道の兵のうち一人は、由利衆の湯地五郎佐だった。某はたまらずに五郎佐のところに駆け寄った。
「湯地殿、勘兵衛にござる。門内では、なにが起こってござるか」
虚ろな眼をしていた五郎佐は、某の声で正気を取り戻したようだ。すると、五郎佐は、某の膝に取り縋って、声をわななかせた。
「勘兵衛殿、中は地獄じゃ。この世に地獄が現れたのじゃ」
五郎佐は、深い皺が出るほど目を強く瞑った。震える手を合わせ、南無阿弥陀仏と唱えた。某は埒が明かぬと思い、他の兵を見た。だが、五郎佐同様話を聞ける状態ではなかった。
「勘兵衛様、焦げ臭い。しかも、肉や髪が焼ける臭いだ」
華蔵の声で、某は臭いに意識を向けた。確かに郭内から、焼け焦げた嫌な臭いが漂っている。
五郎佐も左手に軽度の火傷を負っていた。だが、火傷以上に五郎佐らの異臭を訝った。焦げる臭いとは異なる臭いが、五郎佐の全身から漂う。
「何があった五郎佐殿。聞かせてくれ。中で何が起こったのじゃ」
某が揺さぶると五郎佐は念仏を止め、ぽつりぽつりと語りだした。
「中に飛び込んだ我らは、幾重にも撒かれた陣幕に翻弄された。その陣幕は濡れておった。目くらましだろうと侮り先に進むと、敵の黒備に遭遇した」
「そこで、まずは鉄砲を撃ったのでござろう」
五郎佐は頷いた。その音は某たちも確認している。その先で何があったのかが知りたい。だが、五郎佐が語る内容は、某の推量の範囲を越えていた。
「射撃した鉄砲隊が、なぜか知らぬが、急に火達磨になった……」
「なぜじゃ」
「わからぬ。わからぬが、勘兵衛殿。火達磨になった鉄砲隊が、助けを求めて儂に縋ってきた。抱き疲れたら儂も死ぬ。ゆえに、一人、二人と斬り殺した。他にも苦しみ、のたうち回っておった。同士討ちも起きた。そこに火矢が何本も放たれ、火炎地獄となったのじゃ。我らが算を乱しているところに、小野寺勢が攻めてきたのじゃ……」
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