第3話 敵将 小野寺孫作現る!

 夜半になった。秀綱の命で某たちは柵を作り、土を盛り、二ノ丸の防備を固めていた。篝火近くで指示を出す某の許に、二人の武者が秀綱への取次を請うてきたとと見張り役の兵が知らせてきた。

「とりあえず某が会おう。これへ」

 兵に従ってきた将の一人は、水牛角の脇立に鉄錆地の兜を締めた松岡越前守改め土佐守盛政。もう一人は緋色の毛を植えた野郎頭兜の佐々木嘉助春道であった。共に湯沢城の戦いの前に内応をした降将で、明日の本丸攻めでは先陣を務める予定である。だが、小野寺家中で武を誇っていた二人の顔色は妙に青かった。

――陣中で何かあったのであろうか――

 二人が統べる陣に目をやったが、混乱はみられない。本丸からの夜襲もなく、静かだ。

 戦を前にして将同士が打合せすることは珍しくない。しかも、二人は降将だ。最上家中での立場を築くため、秀綱の軍勢を恃まないほどの意気込みを見せるくらいでなくてならない。しかるに、二人は士気が低い。挙措もぎこちない。心変りし、秀綱の首級を挙げるために姿を現した虞もある。

――姉川の遠藤喜右衛門の例もある。油断ならぬ――

 遠藤喜右衛門とは浅井家の武将で、敗色濃厚となった折に、織田信長に偽って降伏し、暗殺を狙った剛の者である。この二人が、湯沢城側が送った刺客である可能性も排除できない。

「某が、越前守様の許にご案内いたす」

 万一に備えるべく、某が案内役を買って出た。秀綱の帷幕の外に二人を待たせ、某は秀綱に二人の様子と懸念を伝えた。

「両名とも何やら思い詰めた様子でございます。万一に備え、護衛を増やして下さいませ。某もお傍に控えます」

 秀綱は訝し気な表情を浮かべ、横川段蔵と佐藤式部を呼んだ。段蔵は槍の使い手で、式部は刀の扱いに秀れている。段蔵らは左右から秀綱を守る位置に立った。 

 某は秀綱から間合いを空けて床几を用意した。万一、秀綱を狙っても、すぐには斬りかかれない位置である。

――某は、入口で控えよう――

 立ち位置を盛政らを背後から監視できる位置に決めた。備えも整った。秀綱の頷きを合図に、帷幕外に控える盛政と春道の許に走った。二人は帷幕に入り、秀綱に勧められるまま、床几に腰を下ろす。背後から見ても落ち着きがなく、心底穏やかでない様子であった。

――殺気はない――

 油断なく二人を見詰めていたが、刺客の気配を感じとれない。だが、不測の事態に備え、視線を盛政らの手許から放さなかった。盛政と春道は秀綱の二ノ丸攻略の鮮やかさを賞賛した。

「何の、二ノ丸が落とせたは、そこにいる若武者の武功でござる」

 秀綱が某を紹介したので、二人の視線が向けられてきた。

――この者ら、戦人の目ではない――

 盛政らの目に、殺気は微塵も宿っていない。秀綱の意図が分かり、まずは軽く安堵した。

「某は鳥海勘兵衛と申す。以後、お見知りおき下され」

「さすが、越前守殿の許には、勇将が揃うてござる。ついては、お願いがござる。明日の本丸攻めでは、越前守殿に早々に後詰を頼み申す」

 盛政は腰掛けながら深く頭を下げた。春道も倣った。

「これは、したり。武勇名高きお二人が先陣なれば、明日はゆっくり見物するつもりでござったが」

 秀綱は戯言を言ったが、二人は意を決したように、声を振り絞る。

「恥を捨てて申しあげる。我ら、城将の小野寺孫作(道興)が恐ろしゅうござる」

「貴殿らに斯様に言わせるとは、小野寺孫作それほどの猛将か」

 臆病に憑かれた武者は斯様に見えるのだな、と己の姿と照らし合わせた。ならば、本心を打ち明けた武者が何を欲するのか。先ほど華蔵らに話をしていた時に、喉の渇きを覚えたのを思い出した。椀に湯を入れて盛政と春道に差し出した。

 よほど喉が渇いていたようで、二人はグッと飲み干した。礼の言葉とともに某は空になった椀を受け取った。春道がまだがらつきの残る声で話を続けた。

「小野寺孫作は、仙北の小覇王、と小野寺家中で呼ばれており申す」

「小覇王……。三国志の呉の孫策でもあるまいに」

 秀綱の脇で控える段蔵が鼻で笑った。侮りを感じた盛政と春道は気色ばんだ。段蔵と式部も身構える。

「殿、敵将を英雄に準えるは、家中でそれだけの力があるゆえと思いまする。武勇を鳴らした二人が懼れるがその証拠かと」

 某の言に盛政らは我が意を得たりと頷き、秀綱に向き直った。幕内を覆った殺気が消えた。秀綱は段蔵を一喝し、下がらせた。

「小野寺孫作は、元は谷柏姓でござる。兄の小野寺孫七郎(道央)とともに、小野寺家の軍師でござった谷柏大和守道為の甥にあたり申す」

「大和守殿の御身内か。確か大和守殿は誅殺されたと聞き及んでおるが」

 盛政の言葉に秀綱はとぼけたが、内実は道為排除の策を練った一人であった。

 谷柏大和守道為は、何度も最上右京大夫義光の侵攻を阻んだ名将である。道為の才を恐れた義光は、秀綱ら数人と謀り、道為内応を記した偽の手紙を小野寺家中に広め、疑心を生じた当主の小野寺遠江守義道は、道為を誅殺した。直後に今回の湯沢城攻めを開始した経緯がある。

「その直後でござる。孫七郎・孫作兄弟は小野寺姓を賜り、湯沢城へ遣わされ申した。対最上家の最前線に置かれたのでござる」

 春道がさらに続けた。

「兄弟は智勇に優れた者でござるが、特に孫作は頭抜けており申す。家中随一の武勇に加え、孫作が「そんさく」と読めることから『仙北の小覇王』と三国志由来の異名がつき申した。戦場では上鎌十文字槍を縦横無尽に振るい、血の霧を起こしまする。某が一度、秋田城介(実季)軍との戦でともに戦い、孫作の見事な突進ぶりに鳥肌が立ち申した」

 その時の興奮が思い出されたのか、春道の言葉は熱を帯びていた。

 ――斯様なまでに盛政らが恐れる小野寺孫作とはいかなる男なのだろうか――

某は興味以上の関心を抱いた。

 

 帷幕に訪いを告げる声が響いた。声の主は湯地五郎佐であった。本丸からの使者が秀綱への面会を求めたので、五郎佐が案内をしてきたらしい。五郎佐は、某に男を引き渡すと、寄騎を命ぜられた松岡土佐守盛政の陣に帰っていった。

 男は、白装束に無刀。扇子だけを腰に差し、笑顔であった。歩み寄ってきて、一礼をする。其の所作には品も威厳もあった。

 ――凡人ではない――

 非礼を働いて最上勢が笑われてはならない。某もまた丁重に使者を出迎えた。

「某、鮭延越前守が麾下にて、鳥海勘兵衛と申す。用件を承る」

「某は、小野寺孫作と申す。手際良い戦振りに敬意を表し、鮭延越前守殿に挨拶に参った。勘兵衛殿と申されたか、案内して下され」

 ――この方が、仙北の小覇王か――

 湯沢城副将の思わぬ出現に某は目を見張った。

 だが、眼前の孫作は、某より少し背が低く、体格も太くない。むしろ優男の部類に入るだろう。血の霧舞わす勇将という話と一致せず、いささか面喰った。

「はっはっはっ。その顔から察するに、既に我が名を聞いておるようじゃな。評判の男は、どんな悪鬼羅刹然とした男かと思っておったが、会うてみると単なる背の低い優男。さぞかし拍子抜けでござろう」

 心裡を言い当てられて某は慌てた。もし侮辱ととられたら後々の障りとなる。肝に少なからぬ冷えを覚えた。

「勘兵衛殿。心配無用じゃ。斯様に思われるのは慣れておる。秋田城介家中では、某は相手の首とって食らうだの、喉の渇きを血で潤すなど散々な言われようであったゆえのう」  

 某の心配を孫作は笑い飛ばした。機嫌を損ねずに済んだようで胸を撫で下ろした。

「さて、勘兵衛殿。老婆心ながら一つ忠告じゃ。貴殿は表情から心根が分かり易い。素直なのは美徳だが、その癖は戦場では命取りともなる。気をつけられよ」

 道興の視線が鋭い槍のように刺さってきた。その威圧感に某は動けなくなった。血の霧舞う槍捌きに偽りはなさそうだと納得させられた。。

 

 某は孫作を帷幕まで案内し床几を用意した。しかし、孫作は断り、地に腰を下ろして秀綱に頭を下げた。

 頭を挙げた孫作は、涼しげな張りのある声で秀綱に口上を述べた。

「某、湯沢城主・小野寺孫七郎の名代、小野寺孫作でござる」

「孫作殿、自らが参るとはいかなる用件か。まずは、床几に腰かけられよ」

「いや、そこにおる越前守殿の覚えめでたき者共のごとき手厚き対応をされるいわれはござらぬゆえ」

 だが、孫作は秀綱の勧めを再び断り、冷静な声で言い放った。盛政と春道は、恐怖なのか屈辱なのかわからぬが、顔を上げられなくなっている。

「承知した。では、要件を承ろう」

「何、大した要件ではござらぬ。鮭延越前守殿の戦振りに心魅かれたゆえ、挨拶に参ったまでのこと」

「だが、斯様な用向きで副将の其方が参る程ではござるまい。他に申したき儀があれば、お聞き致す」

 これから、秀綱と孫作の虚実のやりとりが始まる。将器と将器がぶつかりあう。脇に控えてその一部始終を見られると思うだけで、某は手に汗を握り始めた。

 序盤の主導権は秀綱がとった。

「はっきり申しあげる。もはや本丸を残すのみとなった湯沢城は陥落寸前。貴殿らには降伏の道しかない。だが、安堵せよ。決して無下にはせぬ。我が殿は有能な士を求めておる」

「御配慮、痛み入る。なれど、我ら小野寺の士として生きる所存にござる。その儀は無用でござる」

「戦い、死すだけならば、戦場で相見(まみ)えれば済む。此度の来訪は、何か訴えたき儀があるのではござらぬか。某で叶うならば、聞き届けとう存ずる」

「さも既に勝ったような驕りが見えるが片腹痛い。寡兵でもって大軍と戦うには、敵将を討つが手っ取り早い。某、乱戦の中でも雑兵と間違わぬよう、諸将の顔を拝みに来たまででござる」

 孫作は言い放って、幕内の諸将をゆっくりと見回し、睨みつけた。視線があった春道は、あわてて視線をそらした。最後に視線を秀綱に合わせた。

「左様か。ならば、我らも貴殿の顔を忘れぬようにしよう。乱戦で踏み潰して、討ったかどうかわからぬでは、困る」

 孫作は秀綱らの士気を挫くが狙い。秀綱は将兵の士気を保ち、孫作の思惑を外すが狙い。成否は明日の戦の士気に関わる。槍を言葉に代えた一騎打ちであった。

 不意に孫作が笑い、言葉合戦が止んだ。腰の扇子を外し、可々大笑した。しばらくして笑いを収めて平伏し、神妙に言を繋いだ。

「さても、さても。鮭延越前守殿の器量、見事なり。されば、越前守殿の情けに縋りとう存ずる。我ら本丸に残りし兵は五〇〇ほど。城を枕に全員討死と思うておりましたが……」

「何か出来(しゅったい)致したか」

 秀綱の問いに、孫作は膝を叩いて肯定した。

「左様。やはり、兵の中には領民から徴した者も多い。奴らは死を望みませぬ。されば、五〇〇の内、三〇〇を搦手より逃がしてやりたく存ずる。農兵や嫡男などを逃し、我らさらなる寡兵弱兵にてお手前らと戦い、武士の本懐を遂げたき次第。我らが望み、お聞き届け頂きたい」

 言い終えて、孫作は深々と頭を下げた。

「勘兵衛、明日の明け方まで、兵に一切に戦を禁じるよう伝えよ」

 孫作の願いは、犠牲を少なくする方策であった。極限の状況にも関わらず、自棄にならずに兵を救おうとする姿に某は感動を覚えた。

「お聞き届け下さり。誠に忝し。城主に代わって、礼を申し上げる」

 無言で頷く秀綱に向け、孫作は改めて平伏した。


 役目を終えて、孫作は立ち上がった。秀綱も見送りのため、孫作とともに帷幕を出て、去り際の孫作の耳元で囁いた。

「孫作殿も、兵に紛れて落ち延びられよ。またの機会に顔を合わせとうござる」

「お気持ちだけ、ありがたく頂戴致す」

 孫作は丁重に申し出を拒み、本丸へと帰っていった。

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