「冬」 8 Farewell (12月25日)

紘子(承前)


 書店を出ると冬ちゃんが先導して陽子ちゃんのバイト先のカラオケ店に向かった。ここも東京駅と大手前駅と同様に複雑怪奇。流石に冬ちゃんは土地勘があって……なんて事はなかったけど、スマフォの地図を見てさっと判断できる程度には慣れていた。

 お店に着いて受付に行った。冬休みの夕方だからかそこそこ客は入っているらしい。

「いらっしゃいませ。あ、来たね」

 陽子ちゃん、お店の黒のポロシャツにスラックスでエプロン姿だった。要するに何を着てもきれいだしかわいい。

後ろの自動ドアが開くと肇くんもやって来た。

「みんなもちょうど着いたんだ」

「あ、ちょうどいいタイミング。肇くん、マイクとリモコン渡すから案内よろしく。フリードリンクで取ってあるから遠慮なく飲んでね。部屋はここ。私もこれでバイト終わるからすぐ行くね」

「陽子ちゃん、了解。さて。みんな、ついて来て」

 どうやら肇くんは以前にも遊びに来た事があり、陽子ちゃんと二人カラオケぐらいはした事があるらしい。

肇くんはみんなを先導して1階上のフロアへと連れて上がった。


三重陽子


 17時。みんながやって来たので肇くんに部屋に案内してもらった。私もお店の人に上がりますって伝えるとタイムカードを押して着替えてすぐ部屋に向かった。

 みんな、ソフトドリンクを飲みつつ通信カラオケでBGMになりそうな曲を掛けてまったりしていた。

「お待たせ。今日はどうだったの?」

「立川で『バードさんの日本旅行記』見て、その後東洋文庫と紀伊國屋書店の本店に行ってきた。中々充実した一日だったよ」

と紘子ちゃん。

「映画は思ったよりしっとりした感じで良かった。東洋文庫の初版本のイラスト見るとまた印象変る所はあるけどな」

「二人とも、もう一度見たらまた印象変ると思うよ」

やけに映画の肩を持つねえ。冬ちゃん。

「そうそう、聞いてよ、陽子ちゃん。冬ちゃんって実はもう見ていたらしいんよ。ミアキちゃんにバレたら面倒だからって見てないふりしてたって分かってさあ。もう驚いちゃった」

「もう、紘子ちゃん。秘密なんだから触れて回らない!」

「あ、ごめん、ごめん」

そんなに面白いなら今度、肇くんを誘って観に行こうかな


 折角のカラオケを歓談だけで潰すのはもったいないという事で一人一曲は歌おうとマイクを回した。みんなネットで公開されていてよく聞かれている曲を歌う中で冬ちゃんだけ『バードさんの日本旅行記』劇中歌を入れてきた。のめり込むタイプなのかなと思いながら冬ちゃんの歌を聴いた。


 結局1時間半ほどをこのカラオケで過ごし、その後で近くのファミレスに移動して軽く夕食を取った後にバスタ新宿に行った。

「見送りまでしてくれてありがとう」

「またこっち来るような事があったら私達にも連絡頂戴ね」

「早々ないだろうけど逆に広島方面来たら案内するから絶対に連絡してな」

お互いにそう言い合うと笑顔で手を振り合って別れた。

 20時のバスに乗り込んだ雄一くんと紘子ちゃんを見送ると私達3人は小田急線に乗った。

「いい人達だね」

「ありがと。だから二人にも会わせたかったんだよ」

そう冬ちゃんは言った。


雄一


 バスの自動音声アナウンスが流れ、運転士の人が運行予定を補足した。まだしばらくは車内灯は付いている。小声で紘子に話しかけた。

「楽しい2日間やったなあ」

「ほんまやねえ。また来たいね」

「せやな。ちょっと先になるだろうけどまた一緒に来ような」

「うん」

 そういうと紘子は目をつぶった。案外疲れているらしい。俺も瞼が落ちて寝入ってしまった。


紘子


 冬ちゃんは何者であろうとするか心に決めたらしい。

雄一くんも進路とどうやら私の事も想ってくれているらしい。自信はない確信というか。じゃなきゃ来ないし、また来たいとか言わんし、彼やってまた一緒に来ようななんて言わないだろうし。

 じゃあ、私は何者なのか。何者になりたいのか。しっかり考えていかないと雄一くんのそばにもおられんよね。めずらしく真剣に考えてるな、私。でも考えなきゃね、なんて事を考えていたら記憶が途絶えた。


日向肇


 古城は駅にお父さんが迎えに来ているそうだったので、別れて俺は陽子ちゃんを送って行った。まあ、もう少し一緒にいたかっただけだ。

彼女は珍しく俺の左腕に右腕を組んできた。

「たまにはいいでしょ。とっても寒いしさ」と彼女は言う。

「それにしても雄一さんと紘子ちゃんってほんと良い人たちだよね」

「本当にね。あのひねくれた古城の幼馴染みしては素直な人達で驚いた」

そんな事を話ながら道を歩いていた。信号が赤になったので立ち止まった。

「そうそう、陽子ちゃんに渡すものがあった」

そういうとコートのポケットをまさぐると小さな紙包みを取り出した。

「あ、待って」

彼女もバックパックを肩から降ろすとゴソゴソと小さな紙包みを取りだしてきた。

「クリスマスの日、なんだか渡し損ねていたから。メリークリスマス」

「あら、奇遇。私も肇くんにプレゼントなのよ。メリークリスマス」

そう言い合ってお互いにプレゼントを交換すると二人の顔が近付いて少しの間重なった。


ミフユ


 陽子ちゃんと肇くんと別れると駅のロータリーに出た。お父さんの車を見つけた。助手席にはミアキも乗っていて手を振ってきたので振り返した。


 この2日間、二組のカップルを見ていていい感じだなあと思った。自分には今、片思いすらない。そういう気持ちが入る隙間がないなあと思っている。

 高校生時代を満喫して友達と遊び、自分が家を出ても妹が困らないように色々と教え、目指す職業に向けて驀進する。それで手が一杯になった。今はそれでいいと思っている。

 もっと大人になったら、例えばあと10年もしたら誰かと恋に落ちてさらに数年したら双子のお母さんしながら仕事をしているかも知れない。

お母さんがお父さんと出会ったのだって33歳の時だった。今はまず仕事で何者にかなってみせる夢を追う。それでいいんだと思う。


 車の後部席のドアを開けて乗り込んだ。

「ただいま。ミアキが言っていた映画、面白かったよ。近々私と観に行こうか?」

「うん。お姉ちゃんと観に行きたい」


 年の暮れにミアキを連れてまた立川に行った。映画を見終ってから劇中歌を歌いたいというミアキのリクエストでカラオケスタジオに行ったんだけど、そこで、

「お姉ちゃん、この歌何回か歌っているよね?」

「え、ああ、この間雄一くんと紘子ちゃんを見送りに行く前に陽子ちゃんのバイト先のカラオケ屋さんで歌ったからね」

「うーん。それにしてもお姉ちゃんにしては上手すぎる。何かおかしい」

と妙な勘ぐりをされてしまった。もう、この子は姉の音感を疑う所から映画を3回以上見ているんじゃないかと疑っているらしい。当たっているだけにいつまで隠し通せるかな、私。

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