「春」 2 妹の灰色の脳
ミアキ(承前)
お父さんが先に帰ってきた夜にお姉ちゃんの様子をどう思っているのか聞いてみた。お父さんが料理する時は繊細。ちゃんと計って調味料を使う。お母さんとお姉ちゃんはお菓子ならともかく神経質過ぎるよと言ってた。
「どれ、ミフユは何を仕込んでいるのかな」
冷蔵庫を開けて覗き込むお父さん。
「ふむ。豚肉が漬けてあるから生姜焼きにしろというご宣託だな。ミアキ、大皿を4枚出してくれるか」
「はい。お茶碗と味噌汁のお椀も?」
「提案、えらいぞ。そう、お茶碗とお椀も出しておいて」
「はい」
「炊飯器はと……あと15分。じゃ、味噌汁だな」
そうお父さんが言うとダシをとって。味噌汁を作り出した。
わたしは自分の席に座ると肘をついてお父さんに聞いた。
「お父さん。お姉ちゃんの様子、おかしくない?」
「何が?」
そういいつつ、コンロの火を止めると味噌をときはじめた。
「だって、毎晩遅いし。夕食の準備はお父さんとお母さんばかり」
「昔はお父さんとお母さんでやっていてミフユは手伝ってただけだよ。今のミアキみたいにね。ミフユがお姉さんになって自分で全部出来るようになったから平日夕食は任せてと言い出したからやってもらっているし、今はあの子にやりたい事が出来たから肩代りしているだけだよ。それでも材料の買い出しと下ごしらえはミフユがやってるから、大きな意味では何も変わってない。ミフユがやる事で心配するような事があって私やお母さんがほっとくと思うか?」
それはない。すぐ顔を横に振った。
「だろ。さて、後はお母さんとミフユが帰ってきたら焼けば良いだけだから、ビールでも飲んで待つか。ミアキは冷たい右茶を飲むかい?」
「うん。一緒に飲む」
「じゃ、漬物を切るからお皿を一枚出してくれるかな」
「はい」
席を立つと私は踏み台を持って食器棚に駆け寄った。
ダイニング・キッチンにある鳩時計がポッポと7回鳴った。7時。お母さんはもうすぐ帰ってくる。そうしたら夕食だ。
このような日が何日か続いた。結局、お父さんもお母さんもお姉ちゃんが帰ってきても普通に接していて何も言わない。
三人とも何か私に隠しているんじゃないか。そういう思いに取り付かれ初めた。とってもゾワゾワする。
放課後。学校が終わると手下のお坊ちゃま達の「公園に行かないの?」という声に「ごめん。また明日ね」と振り切ってまた高校正門に向かった。
そして前回の反対側、右側の電柱の影に隠れる場所を変えて待ち伏せた。そのおかげか今度はまかれる事はなく後を付ける事が出来た。
お姉ちゃんは徒歩で20分ほど離れたショッピングモールに着くとあまり人のいない方の出入り口の方へと歩いて行った。
ドアの前に着くとバッグから何か取り出してドアの横の箱に押し当てた。ピッと音がなってモーターの音がするのを確認すると扉を開いて中に入って行った。私は駆け出した。ドアが閉まる前にと思ったけど、隠れていた場所からは距離が遠く目の前で閉まってまたモーター音がした。
まずい。これじゃお姉ちゃんがどこで働いているか分かんない。
どうしたものかと考えていたら、やはりここで働いているらしいおばさんが来たのが見えた。これはチャンス。うそ泣きしながら近付いた。
「おやおや、どうかしたの?泣いちゃって」
おばさんは私に目線を合わせようと身をかがめた。こういう人を嘘を言うのはよくないなあと思いつつ私は演技を続けた。
「お母さんがここで働いてるけど、はぐれちゃって中に入れないの」
「じゃあ、おばちゃんが中に入れたげるわ」
「ありがとうございます」
中に入るとおばさまに丁寧にお礼を言った。
「お母さんの場所は分かるから。本当にありがとうございました」
丁寧にお辞儀する私。本当に助かったんだから当然の事だ。
「いえいえ。早くお母さんの所に行きなさい」
「はーい」
そして助けてくれたおばさんの視界から一刻も早く外れるべく小走りで廊下の角を曲がると物陰に隠れて様子を窺いながらお姉ちゃんを探した。
すると更衣室から学校の制服をお店の制服に着替えたお姉ちゃんが出てきた。あれは家でもたまに連れて行かれるイタリアンカフェレストランのチェーン店の制服だ。よし。
お姉ちゃんに見つからないようにショッピングモール内へ出てこの日は家に帰った。
お姉ちゃんは普段、家事の大半をやっていて、その分お父さんとお母さんからお小遣いや平日夕食の食費をもらっている。このファミレスのお給料がどの程度か分かんないけど、普段でも無駄遣いせず服とか本を買ったりした上で貯金もしているらしいのでお金に困っての話ではないはず。何でやっているのかな?と謎が増えた。
翌日、私は学校が終わると家に全速力で帰って、お姉ちゃんの部屋に潜入しようとした。お金が必要な理由が分かるかもと思ったのだ。ところがお姉ちゃんの部屋のドアを開けると机の引き出しに貼り紙がしてあった。
「ミアキへ。 なにかしんぱいしてくれているみたいだけどだいじょうぶだからせんさくしないの!(「せんさくしないの!」とは、わたしのへやのひきだしとかむだんであけないでってことよ。)」
お姉ちゃんがこう書いてきているという事は探したって何もないのは確実だろう。ぱっと向きを変えて部屋を出るとそっとドアを閉めた。
TVドラマなら刑事がこういうんだろうな。
「考え直しだ」
そう決意して、TVドラマの人みたいに指を鳴らそうとしたけど鳴らなかった。ちょっと情けない。
今こそ私の灰色の脳を使う時が来た。(アガサ・クリスティの海外ドラマを見たのだ)ダイニング・キッチンに行くと冷蔵庫からミルクを出してグラスに注いでおもむろに自分の席に座った。そして私は今まで知った事を挙げてみた。
・お姉ちゃんの行動は両親が心配していないからみとめてる。そして私には教えようとしない。
・お姉ちゃんはお金が必要だからアルバイトしているが、家事でのお小遣いを貰っていて貯金もしていてお金の問題だけならアルバイトは不要だ。
・アルバイトで忙しいはずなのに、今も平日夕食はお姉ちゃんの作ったものを食べている。夜か早朝にお姉ちゃんが作り置きしていて、母や父が温めてくれていて美味しいから、それはそれでいいのだけど。
部屋の鳩時計がポッポと5回鳴った。5時だ。ふと頭にこの間見たドラマが思い出された。そして結論が出た。
私はダイニング・キッチンの机に「おねえちゃんをむかえにいってくる」と書き置きして家を飛び出した。
ショッピングモールに行くとイタリアンカフェレストランへ直行した。
「いらっしゃいませ。ってあんた、なんでここに来たの?」
驚くお姉ちゃん。そうだろう。まさか妹が探り当ててるなんて思いもしなかったんだから。お姉ちゃんはお店の人に事情を話して他にお客さんのいない奥の方の席に私を連れて行った。
「あんた、お父さんかお母さんに言って来たの?」
「台所にお姉ちゃんを迎えに行くって書き置きしてきた」
「んー。それじゃ、帰った時にお父さんとお母さんが驚いちゃうよ。もう。ミアキったら」
そういうと端末を操作してドリンクコーナーでオレンジジュースを注いで持ってきてくれた。
「お客様は私が仕事が終わるまでここでお待ち下さい。って言ったって払うのは私だけどね」
「うん。」
「お代わりが欲しい時とトイレに行きたい時は私を呼び止めてね」
「わかった。ここで大人しくお姉ちゃんの様子見てるね」
「全く、もう。……さあ、お父さんとお母さんに電話しないと」
そう言いながら姉は店の奥へと引っ込んでいった。
お店の人達は親切でグラスが空いていると「へえ。古城さんの妹さんなんだ。お代わりいるかい?」と聞いてくれた。みんな、いい人らしい。
ただ、お姉ちゃんが恐縮して頭を下げていた。お姉ちゃんには悪い事をしたかもと反省した。
お姉ちゃんが20時前に仕事を終えると手空きの職場の人達に「またね」と言われて見送られながら更衣室に行った。お姉ちゃんが着替えて出てくると二人でショッピングモールの外へと出た。
そこで弱った事にこの間入れてくれたおばさんが仕事が終わったのか帰ろうと後から出て来たのだ。
「あら、こんばんわ。この間はちゃんとお母さんに会えた?」
「はい。ありがとうございます」
そしてお姉ちゃんを見てしきりに「すごい若いわねえ」と首をかしげながら帰って行った。
「ねえ、ミアキ。これはどういう事かな?」
「お姉ちゃんの行く所を突き止めようとして助けてもらったんだけど」
「だけど?」
「多分、お姉ちゃんの事をお母さんと勘違いしていると思う。ごめんなさい」
お姉ちゃんは深い溜息をつきながら私の手を引いて家の方へと歩いた。
「お母さんが心配して連れ帰ろうかって言われたけど話をした方がいいと思ったから断ったよ。さあ、なんで押しかけてきたの?ミアキ、何か言いたい事があるんでしょ?」
私が灰色の脳を使って思いついた結論はこうだった。
「姉はきっとお金を貯めて家を出る気だ」
春先に見たテレビドラマ。美人の妹が義母や義姉たちにいびられる中でスターを夢見てお金を貯めて飛び出していくってものをやっていた。姉はきっとこのドラマのヒロインのようにアイドルか俳優でデビューする事を夢見てお金を貯めてるんだ。そうに違いない。
お姉ちゃんは妹の私から見てもきれいだ。デビューしたらきっと成功するに違いない。応援して上げたいけど今はなんだか嫌だ。
私はお姉ちゃんを説得しようと息を止めると一気に言った。
「お姉ちゃん。お金を貯めて家を出る気でしょ?私だってTVドラマとか見てそういうの知ってるんだから」
ここで姉は私に容赦なく頭にゲンコツを食らわせてきた。痛いなあ、もう。
「あんたねえ、流石に小学1年生でそれはないわ。ませガキ過ぎる。あんまり変なTVドラマそのまま信じちゃダメよ。明日、どういう事か教えて上げるから。……お母さんとお父さんも待ってるし、さっさと帰るよ」
何故か苦笑している姉。
あれれ?
ミアキ
目の前には男の子用のかっこいいバイク、女の子用のかわいい飾りのついた自転車が勢揃いしていた。ニヤリとする姉。
「さ、どれが欲しい。あんたの誕生日でしょ。お姉ちゃんがプレゼントするから好きなの選んで」
ミフユ
私は両親から貰っているお小遣いではなく自分が外で働いて得たお金で妹の誕生日を祝ってやりたかった。それは単なる自己満足の世界?でもちゃんと稼いだお金で妹にプレゼントってなにか憧れるなあと思った。するとちょうどクラスメイトのバイト先の先輩が旅行で2週間ほどいなくなるけどシフトが埋まらず困っていると聞いた。
両親に相談してみたら反対されなかったし平日の夕食対応では二人とも協力してくれた。こうして作った時間で夕方3時間2週間ほどファミレスのアルバイトをやって4万円ほど稼ぐ事が出来た。
ミアキがアルバイト先に押しかけた翌日の土曜日。ミアキについてきてと言って連れて行ったのは、ミアキの視線を釘付けにしたあの自転車販売店だった。
「あんた、この間、この店の前を通った時、乗ってみたいって顔してたじゃない。お見通しなんだから」
私はあなたの姉なんだからさ。そしてお店の人に売れ筋を聞いてみた。
「お勧めはこれだって。あんたの友達ぐらいの男の子達はこういうタイプ買ってるんだって。男の子たちと駆け回るならこういう方がいいんじゃない」
ミアキ
私もその点は異存ない。かわいらしい魔法少女である事よりもわんぱくなガキ大将として先頭をかっこよく走りたいっていうかクラスメイトたちには負けたくない。常に先頭を走っていたい。流石はお姉ちゃん。よく分かってる。
自転車ショップの人に見送られながらお店を出た。私の頭には自転車用のヘルメット、そして私の右側にはかっこいいモトクロスバイクがあった。姉が声高々に宣言した。
「さあ、公園行って練習しよ。乗れるまで帰らないからね。自転車乗れるところをお父さんとお母さんに見せてびっくりさせようよ」
「うん!」
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