第九話 鬼

――地下牢。



「もう解放してくれ……。俺は何もしていないし何もしらねぇんだ……知ってることはもう話した…」



 数刻前。二つ名〈巫女〉、〈連理〉らの活躍により突如都市内に出現した謎の化け物、頭部にクラッドという冒険者を生やした異形の怪物は討滅された。

 だがしかしそれは事件の収束と同時に数多の疑問を残すこととなる。


 地下牢に入れられ、更に捕縛系魔法により椅子に括り付けられ、探知解析魔法に晒されその身体情報全てを読み取られている男、クラッド。それを囲むのは討滅に貢献した連理のベリトと数人の魔物研究員と人間の身体等に詳しい医師の様な者。



「最初に謝らせていただきますね。このような処置をとっているのは仕方のないこととはいえ、あなたも被害者の様子ですし。問題が無ければすぐに解放……とも行かないのですが協力的にしてくれるのであれば、待遇はましになるでしょう」


「あんた……連理さん。俺ら冒険者の目指すべき地点にいる、あこがれの人だ……、信じてくれないのか?」


「それはどうも。いいですか、信じる云々の感情論の前に理屈で理解をしてくださいね。魔物が無から発生することは在りえません。そして都市内外にレベル最大の警戒網が張られていました。なのに魔物が現れた。さらにはその頭部にあなたを生やした状態で。しかもその魔物は海獣種、海王のクラーケン相当。その程度の魔物がなぜか天使兵にヒビを入れた。というかそもそも天使に触れることができた」


「そうだったとしても!俺はしらねぇ!!」


「まだあります、あなたの存在ですよ。寄生する魔物なんて確認されたことは在りません。しかも貴方、なんで生きてるんですかね。俺の魔法を受けて魔物の部分は完全に消滅しました。きちんとした解析を行ったところ消失逃走ではなく討滅がしっかり成されていました。それなのに、なぜ一緒にいたただの人間であるあなたが無傷でピンピンしていらっしゃるので?、重ねてあれほどの痛みに晒されてその全てを忘れているとおっしゃる」


「連理さんの言う通り、君に罪はないんだが調べなければならないんだよ」


「奇怪で異常なことしか起こってませんからね。ただ貴方が何かしたとはだれも考えていませんので安心を。ただ何が起こったのかを知る手掛かりが欲しいだけですので。人体実験めいたことや命にかかわることはしません。この地下牢も再び魔物化するのではないかとの懸念によるものですが、既にその心配はないとわかりましたので後程、他の人が開放に来ますので」


 言うべきことは言ったと、即座に退出していくベリト。研究員等は残って地下牢に運び込まれている膨大な専門書に目を通している。


 ……一方的に告げて帰りやがった。できることなら巫女さんの方に取り調べしてほしかったんだが。

 まぁ。正直言うと、俺は元気だった。化け物になってたとか言われて閉じ込められているが何も覚えてねぇ。最後の記憶は冒険者ランクが2に上がって喜んでたところだ。


「はぁ……前途多難だな、俺の冒険譚はよぉ……」


 そういえば、とクラッドは眉を顰める。盗賊だった最後の日。歯車が狂い始めた最初の日の事、化け物に出会ったのを思い出す。襲われた当初は確かに恐怖しかなかったが今となってはいつか倒せるくらいの冒険者にと気持ちを高めているほどだ。

 その化け物と今回の事に何か関係があるのか、と首をひねる。あの狼やら人間やら蛸やらが生えてきた化け物ならば寄生のできる何かになることも可能なのでは?と。だがクラッド自身そんな風には考えたくなかった。克服したとはいえ、あんな化け物に付け狙われているとか、最初遭った時に身体に何かされていたとか、そんなのはゴメンだと思ったからだ。

 それに何より新事実でも出てきようものなら更に拘束されてしまう。一生研究し尽さないと解明できません、なんてことになったら人権なんてあるわけがない。都市民のために冒険者人生を犠牲にしなければならなくなる。


「まぁ、精密検査されたんなら大丈夫だろ……。それより解放されんのはいつになんだ?、早いとこ自由になって冒険がしてぇんだが……」


 クラッドは元気だった。壊れてしまっては困るから。痛覚を増大させたのはただの趣味。生き残らせたのはこれからに期待しての事。記憶をなくさせたりしたのは精神を病まないように。そんな誰かの手のひらで踊り続けるクラッドは自由を願い、冒険を夢見続けていた。






――ラツィオから、小人種、牙竜種などが住まうリンドホルムへ向かう街道を左にそれた処にあるヤナの森。


「グガァアア!!」


「グルルル!!」



「……去ね」

 下着の着用については触れないが、短い丈の着物に身を包む黄金一尾の歌鈴が言葉と同時、振り上げた足で大地を踏みしめる。踏みしめた地点を中心に広がる目に見えない威圧の嵐。威嚇、殺気、それらの類の超重量の圧力を周囲にばら撒く。

 知性が低く誰彼構わずに襲い掛かろうとしていた小鬼種ゴブリンの食料調達隊であろう五十体の群れ。歌鈴を中心に広がる荒れ狂う死に気の嵐にそこら中に居た精霊種をも巻き沿いにその動きをすべて停止させる。動けば、目立てば、死ぬ。すでに死の上に立っている。そんな感覚を知性の有無、高低に関わらず平等に解らせる。強者の闘気。


「われらが王のお通りぞ。無礼な振る舞いは我が許さぬ」

 彼方等八人がヤナの森を訪れて暫くたった。俗にいうオーラと言うものを全員隠して歩いているため一般の種族民程度にしか見えないのだ。格好の獲物としか映らない彼女らを襲いに来る森の飢えた魔物たち。さっきまで優位に立っていたと思っていたそんな魔物たちが一転、自分たちが圧倒的な格下だと認識しピタリと止まる様に彼方は笑みを零していた。


「頼りになるなぁ、歌鈴ちゃん。ゴブリンたちみーんな動かないね」


「我が主が退屈するでしょうから、動くだけなら別にいいのだが……立ったまま死んでおるのかの?」


「母様、クラッドがやられた……っぽいかも、です」


「んー?おめでとうって感じ?寄生が解けたなら冒険者として歩めるもんね~」


「もう、クラッドで……遊ばないの、ですか?」


「何か思いついたら試すよ、しばらくは自力で強くなって欲しいなー…」


  まだまだ魔王とか勇者とかそういうのとも会ってないし、田舎町にちょっかいだした程度だもんね、自分の国とか作ったり統治したりしよっかなぁ……ま、なりゆきだよね、なりゆき。


 そんなことをぼんやり考えながら疲れた、と一言レイナスの肩を叩く彼方。即座に大狼の姿に変わりその背に彼方を乗せ、一行は歩き出す。


 立ち去ったその背が見えなくなり緊張感が消えてから石の様に固まっていた小鬼種たちは脂汗をかいて地面に倒れ伏す。


「なんだ、今のはっ」


「森の敵、俺らの敵!」


「王に報告する!」

 知能の低い小鬼種は多い。自分たちの王であれば必ず倒せると信じて五十名いる食糧調達隊は誰一人として王が戦えば大丈夫と信じて疑わなかった。





 そんな小鬼種らを尻目に森を進む彼方等一行の前に突如、巨大な水柱が無数に吹き上がる。

 もちろん小鬼種の王が駆け付けたのではない。水柱と同時、森の周囲を霧が覆う。その姿が多くの目に触れることのないように。神程ではないが神聖な存在なのだ、うごめく八つの首、その長さは計り知れず、頭が一つの山程の大きさがある。水源もなしに流れ落ちる水を体に纏う。その身体はとぐろを巻いた尻尾の上に鎮座しているが大きすぎて形容もできない程。その全貌がとても地上からは見渡せない。森に影響はないが身体から溢れ出る水は滝の様。此方を眺めるために頭を低くしていなければ目などあうことも無いだろう。


 あらわれたるは、幻獣種、八海大蛇。神魔種が一柱〈水母神ミナモガミ〉の使いである。



「あれー、ここ森の中のはずなのに…、なんですかぁこれはぁ?」


「彼方様、お下がりください。大きいです」

 背に持つ黒翼を一杯に広げ飛び上がり様にレイナスの背に乗る彼方を抱き抱え距離を取るよう後方に離脱するニイア。


「うわーおっきいわっ、おっきいわこれ!」


「今日はよく彼方様の行く手を遮る輩が現れますね、今回は私がお相手しましょうか?」


「うふふ、やる気だねー、鈴鹿ちゃん。ああ、そうだ…。ちょうど右手の方にリンドホルムって町があったよね、あれにこのおっきな蛇、ぶちこんじゃってよっ、すっごく楽しそう!」


「承知です、彼方様。さぁ、名を名乗りなさい、先日の湖の蛇の仇討ちでしょうか?」


 八つの首がゆっくり動き、八人を順に見つめる。山ほどの大きさを誇る頭は一度には集められない、一つの頭が代表するように口を開く。


「食物連鎖は仕方のないことだ。だが無念を抱えたまま、生き残った一匹の同胞が助けを求めて彷徨い命を落とした。我は見ていた、貴様らの残酷なる仕打ちを。人間に滅ぼされた時もあったがあれは人間種の繁栄のためであった。では貴様らの行いはなんのためだ。道楽のために我の同系種を無残に散らす貴様らを我は許せぬ」


「蛇なのに喋ってる……、許せないんだ?、じゃあどうしよっか、幻獣種とやらの力のままに私たちを屠っちゃう?、感情で動くなんて人間っぽい一面あるんだね。蛇さん」


「舐めるな、人間。大水蛇を殺せてからと奢ったか?神の使いに見通せぬ物はない。貴様らの力量は我にはるかに劣る。悔やめ、悔やんで悔い改め、そして死――」


 ドォオン!、と耳をつんざくほどの爆裂音が森の中を駆け巡る。山一つ爆破されたのではないかと思うほどの圧倒的な力の衝突音。

 ヤナの森の大部分が赤く染まる。真っ赤な血液が雨の様にあたりに降り散る。

 そんな事が起こるのかと見まごう程の光景が広がっていた。


 そして赤い雨の中、足を振り上げた状態で立っている鈴鹿。その目の前、会話していた八海大蛇の頭は、消し飛び、長い首を残して頭部分がものの見事になくなっていた。

 その背後で血の雨に濡れぬよう、歌鈴の力で周囲数メートルを血の雨が避けて通る。


「無礼な口を聞くな劣等が。……それにしても彼方様の言う都市の方へ飛ぶように蹴ったのですが……、もっと手加減必要ですか」


「あはは、まだまだあと七個もあるもん、大丈夫だよ。ていうか赤い血通ってたんだね、この蛇」


「おい、蛇。何を呆けているのですか?そちらから来ないのですか?」


 八海大蛇は困惑していた。と同時に腹立たしかった。自分の神の使いという役割に誇りを持ち、神の身をお守りするほどの力を持っていると自信を持っていた。だがこの結果はなんだと。人間ほどの大きさの下賤な輩に山と同等の、しかも幻獣種の硬く強い種格を持った頭が蹴り一本で粉々に吹き飛ばされた。事実ではあるが、考えが追いついていないのだ。


 ……今のは、ただの蹴り…。動きが全く見えぬ。我は衰えたのか……?



「はて…所詮獣ということでしょうか。彼方様に文句を言った事を悔いているのなら命までは取らないかもしれませんが?」


 幻獣種相手に、その全長が雲すら飛び越し山を何重にも重ねるほどに大きな巨体相手に、人間台の大きさの輩たった一人が生殺与奪は自分にあると宣言している。


「私は鈴鹿。我が主にして王である彼方様の忠実な配下の……鬼です」

 そう名乗れることを、自分がそんな存在であることを誇らしげに、言葉にする。それだけでやんわりと柔和な微笑みを浮かべ、一歩一歩と。

 頭が欠けた首の代わりに降りてきた新たな頭へと向かって歩き出す。


 八海大蛇はこの程度では臆さない。異常な強さを前にして焦りや憤怒、どうするかという迷いはあるものの、同胞を屠った相手の仲間を許すわけにはいかないと。とぐろを巻いてまだあまりある尻尾を鈴鹿の頭上に持ち上げ思いっきり振り下ろす。

 伝わる感覚は期待通りにはいかない。


「掴まれた…だと」


「自覚しなさい、劣等。貴方は弱く、しかし役に立つ。彼方様の喜びの糧となりなさい!!」

 尻尾を掴んだ手が勢いよく振り上げられる。順に、引っ張られていく尻尾、伝わる力。落ちることなく尻尾を振り上げた、その腕力がどんどん駆け上りとぐろが伸ばされる。ついにはその胴体にまで昇り。


「ヌゥウウ!!」

 連なる山脈程もの全長をもつその蛇は尾の端を引っ張られただけだというのに、その膂力にあらがえず地面に引きずり転がされる。尾は伸びきりヤナの森を軽く超え、隣の隣の地帯にまで跨りその巨体を地に放り出される。


「場所はあってますね、それでは行きます……らぁああ!!」

 和装の長身、頭部に二本の深紅の角を持つ鬼の鈴鹿。伸びきった蛇の尻尾を再び掴み反対方向へと、その巨躯をぶん投げた。


「あ…あらがえぬ……ぬぐぅうう……!!」

 長い伸びきったロープを振りぬく様に、背負い投げの如く神の使いを放り投げる、その尾が千切れないように気を使い力を抑えた状態でだ。

 絶対的な、少しの抵抗も許されない力の暴虐。首一つ満足に動かせないまま八海大蛇は森を越え、空に浮き、超高速の勢いで都市リンドブルムへと投げ飛ばされた。


 「う、おお…オオオオ!!、オオオッッ!」

 勢いは殺せない。幻の獣の力を持ってして無力と思わざるを得ない程の力で投げ飛ばされた、リンドブルム手前数十メートル地点へ落下。間抜けな話に聞こえるだろうか、神の使いが慣性の力に抗えない。止めることもできずに、その巨体の一片すら動かせず城壁を破壊。まだ勢いは止まらない、そのまま都市内部を超速で転がり進む、山脈並みの巨体。想像してみてほしい、連なる山々がそっくりそのまま転がってきたらどうなるのかと。

 進行上にある都市の全てを薙ぎ払い、果ては地面さえ抉りながら突き進む、いや突き進まされる。


「我は……なにをしている、ウッ、グオ…!!」

 唐突にその高速移動を止め、停止する巨体。胴体のある一点をピンで刺し止められたように固定され、残りの首や尾はその急な停止に逆らえず、ぶちぶちと何本かの首が千切れ、慣性のままに吹き飛んでいく。

 ああ、自分に何が起きているのかと収まった勢いの中、残った二本の首で体を見る。


「このままだとガーター。都市を飛び出てしまいますから止めさせていただきましたよ。どうです?見事に都市に投げ入れられた感想は」


「ストライクじゃん!やったね鈴鹿ちゃん。君はやる子だと思っていたよぉー」

 ニイアに抱えられ空を飛ぶ彼方から応援の言葉がかかる。

 それを受け、誇らしげに胸を張りながら腕を振ってこたえる鈴鹿。


「グ、ウゥウウ。鬼風情がッッ!!」

 転がったままの体躯を素早く整え、体から大量の水を吹き出す。零れ落ちる水からは次々と水巨兵が生まれ、鈴鹿に向かって走り出す。八海大蛇の口が縦に大きく開き光る水の玉が生成される。


「雑魚を生み出す意味とはいったい……?」

 小首をかしげ目を細めて見据える総勢一万以上の水巨兵、雲に届くほどの巨体が一万も集まり向かってくる様は圧巻どころの話ではない。 

 対して鈴鹿は、平手を振るった。鬼の闘気を練り上げた空間を割り叩くかのような剛力の一振り、迫りくる大容量の水の塊である水巨兵、その一万の大質量すべてが、平手から繰り出された風圧に吹き飛ばされる、体の形を保てない。元の水に消え落ちる者、吹き飛ばされ宙を舞う者。鬼の一振りにより巻き起こされたその風はうねり、全てを切り裂き、押しのけて荒れ狂う。


 「終わりだ、鬼ィイ!!」

 水巨兵など、役に立たないのはわかっていた。八海大蛇自身すら今の風圧で吹き飛びそうになるも尾を地面に深く、幾重にも刺して耐え忍ぶ。全てはこの一撃でこの鬼だけでも滅ぼすために。


 残った二本首、一本を大技に使い、残り一本を地面に叩きつけ水源のない場所から大津波を起こす。呑まれれば四肢が千切れ息もできず、命を保つ術など同格の幻獣種ですらなく、逃れることなできない水の牢獄。だがそれすらも効かぬだろうと八海大蛇は足止めに使う。


「なにかするなら待ちますよ?」

 足止めにすらなっていなかった。余計なことは喋らず息を止めている様子から酸素は必要としているようだと大蛇は考える、だが効果は薄いというか無い。息を切らしもがく様子も見せなければ、ただの津波ではなく幻獣としての力を込めての大津波にその身全て呑まれてなお、悠々自適に大地に足をつけ、大蛇を見つめて立っている。


「………ッ、!!!」

 八海大蛇に言葉はない。雄叫びは上げない、口に溜めた不思議に光る水球が頭をすっぽり覆うほどの大きさに成長し、一気に放出する。水を用いた技ではない、幻獣としての力、全てを込めたレーザー状の闘気の放出である、水が効かぬなら、幻獣本来の真なる純粋な力で潰すまで、と放った一撃ではあるが…。


 八海大蛇は放つ瞬間悟ってしまっていた。

 大津波を受けて、なお余裕の笑みを浮かべて攻撃を待つ鈴鹿を見て。

 山脈ほどの巨体である自分が抗うこともできない程の力で投げ飛ばされたことを振り返り。

 一万の水巨兵が平手一発で殲滅されたことを考えて。


 もはや最後の一撃、ではない。かすり傷の一つは負ってくれ、そう願ってしまった。

 幻獣程度の自分では足元にも及ばないのだと悟ってしまっていた。


事実――


「待たせた割にちゃちくないですか?」


――レーザーの様に射出された闘気がその身に届く瞬間、くるりと一回転、繰り出された回し蹴りひとつで掻き消えた。


「おや、いさぎいいというやつですか?」

 最後の仕上げと、特に何もなかった様に歩を進める鈴鹿の前に、残った一本の頭を垂れ差し出す幻獣。


「我にはもう気力がない。倒す力もなかったようだ。同胞のためと勇んできたが、何も果たせなかった。この身体では神の使いとしての役割も全うできまい。我はここで生を終える」

 鈴鹿の引き起こした風で体中の蛇の鱗は引き剥がされ砕け、皮膚は切り裂かれ全身血まみれ、首は一本残して全て千切れ飛び、尻尾もだいぶ短くなっている。


「そうですか。それでは治せる者を呼ぶので少しお待ちを」


「……何を言っている?我は負けを認めた。この命を捨てる覚悟はできたのだ。我を救う理由がどこにある?」


「劣等。貴方の命に興味はありません、私の主、彼方様は無抵抗の者を殺すのは良しとされていない。ただそれだけです。多分二度目襲ってきたら殺すかもしれませんが」


 そこへ離れて応援していた彼方とニイアが舞い戻る。

「終わったのね、鈴鹿。幻獣、獣と言えど少しは理知的な事もするのね。治してあげるわ」

 彼方を抱えたまま両翼を羽ばたかせ飛んでくるニイア。仰々しく傍らに彼方を降ろし、傷ついた大蛇の前に歩み出る。勿論他の仲間も全員ついてきている。


「あんたよかったわねっ、助かるってさっ!、生意気にも襲ってきたくせにラッキーねっ!」

 ばしばしと大蛇の頭を叩くアニマ。


「止めになってしまうでしょう、手加減するのよアニマ。……さて、エーアツトリフィア・テーテヒカイト形成治癒


 ニイアが手のひらをかざし魔法を行使する。途端、大蛇の下に身体を包み込むほどの巨大な魔法陣が現れる、緑色に発光するその魔法陣が少しずつ上に上がり、魔法陣を通過した部分からどんどん大蛇の身体が修復していく。千切れた首は元通りのものが生え揃い、無数の傷がついた身体には綺麗な鱗が戻っている。千切れかけだった尻尾もきちんとくっついている。


「これ…は……」


「ああ、体のサイズは家と同じくらい小さくしておいたわ。彼方様の要望よ。力は元通り戻しておいたし、体も当然もどっているでしょう」


「治癒までできる者がいるとはな。だがこれは治癒というより……」


「治癒より高尚なものよ。それと体にある仕掛けを施しておいたわ」


「仕掛けだと……?」


「私から説明してしんぜよーう。蛇くんはとても頑張った。その結果あと一歩のところで負けてしまったよねー、いや残念。そのあと命を差し出してたよね。じゃあ拾ったんだから私の物ね。っていうわけでやって欲しいことがあるんだよね」


「悪の片棒を担げというのか、我は神の使い……生きている限りは神の元で動かねばならぬ…」


「うんうん、そうやってごねると思ってたー。だから強制。あなたを治したこの子ね、ニイアっていうの。ニイアに頼んで魔法を埋め込んでもらったのね。理解?、それでその魔法、私の命令に逆らえないようになっていますっ」


「神の元へも帰れず、悪行を重ねる身へと幻獣を落とすか。反抗する気力は無いが……我に何をさせようというのだ」


「それはねーぇ…ふふふ」



眼が弓なりに歪み、口元には微笑を浮かべる。そんな彼方の顔を見て、八海大蛇は初めて、恐怖した。鈴鹿の絶対的な力の暴風に晒されていた時も、自分の力が通じないと痛感した時も、決してくじけなかった幻獣、神の使いとしての誇りを携えたその心。初めてその鋼心に恐怖を刻んだ者を前にして、その事実に更に恐怖する八海大蛇。

 長年信じ、使えてきた神を祈る余裕すらその心には残されていなかった。

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