第44話 王妃の采配

 その翌日、再び集められた召使が大庁の広間に整列すると、湯浴み後の肌も白く、黒髪を丁寧にまとめ上げて黒檀の簪を挿し、白い喪服を着たごく若い女性が現れ、一同を見渡すと一笑し、入口に向けて置かれた長椅子に座った。


 すでに死者への懇ろな拝礼を済ませている彼女は、まずはゆったりと茶を喫してから、用意された召使の名簿に眼を通し、手を垂れてかしこまっている召使達に対して、おもむろに言葉を発した。脇の小卓に置かれた彼女の右手には、魏家の鍵という鍵が輪に通されて連なっている。


「私は亡き奥方――つまり姉との血縁と厚誼を持ちまして、魏さまよりこの度の通夜の差配を任されました。あなた達がこのお邸のご夫妻に長年の忠義を尽くしてきたこと、魏さまより伺っています。もしそなた達が生前に賜った御恩を忘れず、この喪葬において精励するのであれば、十分に報いることは故人の霊前に誓いましょう。ただし、私は皆が見ての通りの若輩者ですが、まんいち侮って怠業したり不正を働いたりすれば、むろん家法に照らして厳しく罰します。以上のことで不服があれば、ただちに申し出なさい――否やはないですね?わかりました。では最初に、持ち場の割り当てを決めます。各自割り当てられた仕事に集中し、何かあればそれぞれ統括の者に報告し、統括は私に必ず報告すること。なお、仕事の始めは朝の三刻、納めは夕の五刻といたします。また、物品の受け渡しは昼の一刻から二刻までに限ります。…」


 その口調は穏やかだが、固く揺らがぬ芯をも感じさせた。

 宝余は年長の者を五人選び出し、弔問客の食事から霊前の香火の管理に至るまでの統括に任じ、さらに配下の者を割り振った。そして、統括者にはそれぞれ物品の出納に使う割符を渡してやった。いかに美しく優雅な所作で割符を渡してやるかが女主人の貫禄の証でもあるのだが、班の皆が感心したことに、召使達の指示の出し方もさることながら、宝余の女主人としての所作も見事なものだった。

 愛姐はすっかり見とれていたようで、後になって宝余に

「あんた、たとえ烏翠の王妃さまでもこれほど上手くはいかないさー」

と笑いかけ、言われたほうはただ苦笑で返すほかはなかった。


 三日間が瞬時に過ぎ去った。忠賢の策の通り、病と称した宝余は帳を巡らした寝台に引きこもりつつ働き続け、班の皆の、宝余に対する見る目も変わりつつあった――紅鸞を除いては。ただ、いまの宝余には紅鸞のことを気にしている暇もなかったし、彼女も以前よりは宝余に絡んでこず、ただねばつくような視線を寄越してくることだけだった。


 魏家の召使達はといえば、期待に背かずきちんと働いた者がほとんどで十分な褒美を渡してやることができたが、食事の材料を掠め取った者を罰しなければならないときは、半月分の給金差し止めに留めてやったとはいえ、さすがに彼女も辛かった。


 そして、ようやく役目から解き放たれるという深夜、召使達が寝静まったのを見計らい、宝余は愛姐だけを連れて手燭の光を頼りとし、柩の安置された正房を皮切りに邸内の戸締りを見て回っていた。あと一つの門を点検すれば終わりというところ、いきなり愛姐が強く宝余の腕をつかんだ。


「痛いっ」

「わあっ」

 宝余の悲鳴と、愛姐の悲鳴が同時に上がった。

「痛いじゃない、一体どうしたの…」

「あ、あれ…」


 見れば、愛姐は口から泡を吹きかけ、見るからに卒倒しそうな凄まじい形相で、空を一生懸命指差している。

 宝余が目を凝らすと、回廊の間を白い影がすーっと渡って行くのが見えた。

「ゆ、ゆうれい…」


 そのまま崩れ落ちそうになる愛姐を抱きとめ、宝余は鋭く誰何した。すると、白い影は立ち止まり、何とこちらに向かってくる。影は明らかに人の形を取っていた。地面に落ちた手燭は消えてしまったが、壁際の松明の明りに浮かび上がったのは、まぎれもなく男の顔であった。


 その顔はいかにも人の好さそうな、しかし印象はごく薄く、結い上げた髷を傾け、煙の消えた煙管を手にしている。男は仰天している二人を前に一笑し、のんびりとした口調で言った。


「おや失礼、驚かせてしまったらしいね。私はこの家に転がり込んで、いま居候させてもらっている者だよ」

 宝余はつい相手の顔をまじまじと見て、あっと声を上げた。

「あなたは、臨州の宿で――」

 宝余が宿泊客達に救われたとき、簡潔ながら烏翠の国情を説いてきかせてくれた旅の男だった。


「おや、あなたでしたか。奇遇ですね」

 男がにっこりすると、ただでさえ細い眼が糸のようになる。宝余は思わぬ再会に嬉しくなったが、次の瞬間、彼女の表情が固まった。眼が彼の襟元に吸い寄せられる。彼が煙管を懐にしまうとき、はずみで襟元から覗いたのは、王族や官僚が用いる肩布の一部。それには刺繍がしてあり、日輪をいただいた山に烏が止まっている。


 宝余はその紋章に見覚えがあった。あれは確か、婚儀の夜に――。

「――光山弦朗君こうざんげんろうくん

 目の前にいる旅人は、渦中の人でもあった。

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