第80話 和議
――紀元前215年 カルタゴノヴァ
前年に首都ローマにおいてローマ市民の眼前で
ファビウスの
今年になり、ローマは
調印式を翌日に控え、バルカ家の兄弟と叔父ハストルバルは食卓を囲み歓談していた。
「ハンニバル、トール、マーゴ、みなここまで良く気を吐いてくれた。私から述べることはもはやない」
叔父ハストルバルは感じ入った様子で、三人へ順に目を向ける。
「いえ、全ては兄上あればこそ」
トールの言葉にマーゴが頷き、二人揃ってハンニバルへと目を向ける。
視線を向けられたハンニバルは、軽く首を左右に振ると口を開く。
「バルカ家、ガビア、マハルバルをはじめとしたイベリアの諸将が一丸となって目標に向かいまい進した結果です。私がやれたことなど、一部に過ぎません」
ハンニバルは穏やかな瞳で叔父ハストルバルをしかと見つめ、
「ハンニバルよ、誰もがお前あってこそだと口を揃えている。私などカルタゴノヴァに居ただけにすぎぬよ」
叔父ハストルバルは手放しにハンニバルを褒めるが、ハンニバルも負けてはいない。
「いえ、叔父上。叔父上がイベリアの中枢にいてこそ、我々は兵を出すことが出来たのです。和平にしてもイベリアの
「全く、お前は人を持ち上げるのが上手いな」
叔父ハストルバルは目を細め、ワインを口に運んだ後、傍付の者へローマとの講和条件が書かれた書欄を持ってくるように命じると、すぐに書欄は叔父ハストルバルへ手渡された。
書欄を受け取った叔父ハストルバルはそれを広げ、三人に見るように促す。
「既に何度も読んだこととは思うが、これが我々イベリアが勝ち取ったものだ」
書欄を見やるハンニバル、トール、マーゴも「勝利の証」を誇らしげに眺める。
一、イベリアとローマは対等な国として同盟を結ぶ
一、カルタゴ本国はローマと臣従関係を解消し、イベリア、ローマの両国と同盟を結ぶこと
一、カルタゴ元老院はイベリア元老院の許可なく決議を行わぬこと
一、ローマはザクントゥム、マッシリアとの同盟関係を解消すること
一、サルディニア島、コルシカ島、シチリア島の西半分はイベリア領とすること
一、バオール領はイベリアへ編入すること
一、ガリア・キサルピナはラエティア、ノリクムへ繋がる東部地域をローマ領とし、西部沿岸地域の一部をイベリア領とする。残る地域はガリア人の統治地域とする
「これで問題ないと思います。ガリア・キサルピナの沿岸地域がイベリアのものとなりましたので、ローマへ牙を差し込むに十分かと」
ハンニバルは満足し納得した表情を浮かべ、書欄から叔父ハストルバルへ目線を移す。
ザクントゥムとマッシリアはローマの支援無しでは成り立つことはない。つまり、この地はすぐにイベリアのものになるだろう。その結果、イベリアの勢力圏からローマは完全に撤退し、逆にイベリアはイタリア半島へ領土を持つことになる。
対等な国としての同盟になるので、ポエニ戦争のように賠償金が支払われることはないが、ローマへ雪辱を果たしたというに十分な条件と言えるだろう……ハンニバルは心の中でそう独白した。
「ポエニ戦争で失った領土は全て取り戻し、エルベ川どころかローヌ川東も支配圏に組み込んだ。更にはガリア・キサルピナにまで勢力圏を持つに至った」
ハンニバルの言葉を受け、叔父ハストルバルは言葉を返す。
「まさしく大勝利と言えるのではないでしょうか」
マーゴは感慨深く、両手を大きく広げ三人に目をやると、彼らはマーゴへ頷きを返す。
――翌日
多くのイベリア市民が集まる前で、ファビウスと叔父ハストルバルは講和の調印を行い、固い握手を交わす。その瞬間、大歓声が起こりカルタゴノヴァの市民は両国の和議を祝福した。
ここにイベリアとローマの和議は成り、両国は新たな歴史を歩み始めることになる。
調印式が終わった後は、カルタゴノヴァへ来訪したローマ人を招きカルタゴノヴァをあげての祝宴が開催された。この日ばかりは庶民が普段口にできないような豪勢な料理が振る舞われ、街全体がお祭り騒ぎとなった。
ハンニバルはローマの首脳への挨拶を済ませるとすぐに、この宴に参加していないであろうバナナが好きな友人を引っ張り出そうと彼の商会へ向かう。
「なんだい? ハンニバルさん、イベリアの顔たるあんたが祝宴に出ないでどうするんだ?」
商館の執務室で椅子に腰かけ、足を投げ出した姿勢でバナナを口に運ぶガビアは、いつもの調子でハンニバルへ尋ねる。
「何を言うか、ガビア。
「んー、俺っちはそういうのは遠慮してえんだがなあ……」
ハンニバルは嫌がるガビアの肩を掴むと無理やり立たせ、彼をローマの首脳が集まる邸宅まで引っ張っていく。
邸宅に入ると、ハンニバルとガビアの登場に気が付いたローマ、イベリア両首脳陣が歓声をあげ彼らを迎え入れる。彼らへ真っ先に挨拶を行いに来たのは
「これはこれは、偉大なる政治家であるガビア殿ではありませんか。あなたの顔を見られず心配しておりました」
ファビウスは柔和な笑みを浮かべ、ガビアへ握手を求めると彼は渋々といった様子でファビウスの手を握る。
「ファビウスさん、俺っちはこういうのは苦手でな。俺っちのことは『カルタゴ』の商人でいいぜ」
「そうでしたな」
ファビウスは上品な笑い声をあげ、ガビアもクククと低い声をあげる。
「ハンニバル殿、お待ちしておりました。貴殿へお聞きしたいことがございます」
ファビウスとガビアの様子を柔和な笑みを浮かべ見守っていたハンニバルへ、蛇を彷彿させる顔貌をしたスキピオ・マイヨルが声をかける。
「なんでしょうか、マイヨル殿」
「ありがとうございます。ハンニバル殿、貴殿の考える、史上最も優れた指揮官は誰でしょうか?」
ハンニバルは遠い「過去」でスキピオ・マイヨルに問われたことと同じ内容の問いを思い出す。あの時と今では私の考え方は異なる。
そうだな……
「第三位はアレクサンドロスでしょう。個人の力として私はかの大王を凌ぐ者を想像できません」
アレクサンドロス……地中海世界でかの名を知らぬ者はいない。
マケドニアから雄飛したアレクサンドロスは、インドまで遠征を行い世界帝国を作り上げたのだ。その道は倍する敵を幾度も打ち倒すものだった。
「なるほど……指揮官とは『個人』です。ハンニバル殿、その物言いですと『第一位』がかの大王と存じますが……」
スキピオ・マイヨルはハッとしたように顔をあげる。彼はその聡明な頭脳でハンニバルが何を考えているのかを察する。
「その通りです。マイヨル殿、貴殿の問いへの答えにはなっておりませんが、個人の限界はアレクサンドロスだと私は思います」
「では、あえて第二位をあげるとすれば、どのような集団となるのでしょうか?」
「第二位はあなた方、『ローマ人の結束』でしょう。貴殿らの結束は例えアレクサンドロスといえども打ち砕けますまい」
「我々ローマへ高い評価をありがとうございます。第一位は言わずとも分かりますが、私はあえて貴殿の口からお聞きしたい」
スキピオ・マイヨルは敵ながら人格、能力ともに尊敬に値するかの偉大なる将軍ハンニバルへ彼の口から聞きたいと願う。
彼の言葉にハンニバルは穏やかな声で言葉を紡ぐ。
――第一位は……
おしまい
※ここまでお読みいただきありがとうございました。
これにて完結です。
もしよろしければ、お気に入りのキャラでも書き込んでくだされば嬉しいです。
お暇な方は他の作品もぜひ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます