第4話 訓練

――翌日

 早朝よりハンニバルは叔父のハストルバルにイベリア半島の南部の征服を行う提案をすると叔父は即承諾し、次男トールをハンニバルの代わりに自身の傍に起き政治を学ばせることも快諾する。

 ハストルバルには子供がおらず、ハンニバルら兄弟を自身の子供のように思っている。しかし、ハストルバルは何か予感めいたものを感じていたのだ。この兄弟は全員只者ではない素質を持っていると。

 現にハンニバルは既にヒスパニア制圧事業で今は亡きハミルカルと共に実績をあげており、ヒスパニアの統治においてもハストルバルが持つノウハウをすぐに吸収してしまった。

 彼の弟たちは一体どれほどの才能を持つのかハストルバルは楽しみでならない。

 

 ハンニバルはハストルバルの了承を取るとすぐに傭兵を集め始める。彼の元にはすでに半ば常備兵と言える傭兵五千は手元にいるが、遠征には少なくともあと五千……できれば一万の兵は必要だったからだ。

 傭兵は戦いのスペシャリストで、ハンニバルの父ハミルカルの人望がありバルカ家の呼びかけとあればすぐに兵は集まる見込みであった。

 

 ハンニバルは手元の傭兵五千と訓練に励み、昼食の休憩時間にマハルバルとマーゴを呼ぶ。

 呼ばれた二人はすぐにハンニバルの元へ駆けつけ、食事を共にする。

 

「マハルバルよ。マーゴは訓練についていけそうか?」


 ハンニバルは小柄な赤毛の少年マーゴと長身痩躯で美しい黒髪の長髪をなびかせるマハルバルを順に見やる。

 

「はい。マーゴ様は充分に訓練についていけていると思います」


 マハルバルはハンニバルの目をしかと見つめ、実直に彼に答えを返す。ハンニバルはマハルバルの目と表情を見て取り、彼がお世辞ではなく正直に現状を述べていることを理解する。

 

「ふむ。ならば、マハルバルよ。兵の訓練が完了するまでの間、お前にマーゴを任せようと思うがどうだ?」


「剣術、槍術でしょうか?」


 マハルバルはハンニバルに確認するように問いかける。

 

「うむ。できれば乗馬も見てやってくれ。マーゴは一応全ての訓練を施して来た。まだ未熟だろうが……」


「喜んでお受けいたします!」


 マハルバルは膝をつき、ハンニバルを一瞥した後、マーゴへと向き直る。一方のマーゴはマハルバルの前へと立つと彼に頭を下げ右手を差し出した。

 マハルバルは少し戸惑いハンニバルに再度目をやると、ハンニバルは口元に笑みを浮かべながら頷きを返す。

 

「マーゴ様……」


 マーゴは未だ戸惑うマハルバルを立たせると、マハルバルは彼が差し出した右手をしかと握りしめる。

 

「マハルバル先生、よろしくお願いします!」


「先生などと……」


 狼狽するマハルバルに、ハンニバルは豪快な笑い声をあげ、微笑ましい姿を見せる二人に声をかける。

 

「マハルバル。しっかり教えてやってくれ。師弟に身分差などないのだからな。手を抜くなよ」


 ハンニバルは二人の肩をポンと叩くと、椅子に座り食事を食べ始める。

 余り我が強くなく少し引っ込み思案なところのあるマーゴと過剰とも言える程謙遜するマハルバルはなかなかいい師弟になるのではないかと感じたハンニバルは、口元が綻ぶのだった。

 

「兄上、さっきからずっと微笑んでおられますね」


 マーゴが目ざとく笑みを浮かべるハンニバルに気がつくと、僅かに拗ねた様子で声をあげる。

 

「いやなに、お前たち二人はなかなかどうしていい師弟になるのではと思ってな。いや、友人になるだろう」


「もったいないお言葉です」


 マハルバルは慌ててハンニバルへ口を挟む。

 

「そうなれれば嬉しいです」


 一方のマーゴは子供っぽい笑みを浮かべている。

 マーゴは十五歳でマハルバルは十七歳、ハンニバルの言う通り二人の年齢は近い。トールと共にマハルバルがいい兄のような存在になってくれればなとハンニバルは心の中で呟く。

  

「マハルバル、本日の訓練が終わった後、話したいことがある。昨日の件だ」


「了解いたしました!」


 マハルバルは膝を腰につけると、ハンニバルに応答を返すのだった。

 

 

◇◇◇◇◇



 訓練を信頼するカドモスに任せると、ハミルカルは次男トールの様子を伺いにハストルバルの元を訪れると、既に兵士としての訓練を済ませ政治の勉強を始めていたトールは数か月もすればある程度仕事を任すことができるとハストルバルが太鼓判を押す。

 叔父の言葉に安心したハンニバルは自室に戻り、イベリア半島南部攻略について考えを巡らせることにした。

 

 イベリア半島南部は大きく分けて四つの勢力が存在する。東に位置するバルカ家が支配するヒスパニア、ジブラルタル海峡を含む南西地域を占めるのはカルタゴ領であるタルセッソス。ヒスパニアとタルセッソスの北にある内陸部はケルト人の勢力圏、そしてカルタゴを建国したフェニキア人が作ったリスボアという都市がある西部。

 この全てをバルカ家の傘下に収めることが当面の目標だ。ハンニバルは水を口に含むと壁に立てかけられた羊の革に描かれた地図を眺める。

 

 タルセッソスはカルタゴ領ではあるが、ポエニ戦争に敗北して以来、自立し独立を宣言する勢力や親ローマ、親カルタゴの勢力が争い群雄割拠の様相を呈している。これではカルタゴ本国の策源地とはなりえない。

 現地の情報を集めさせているが、対立を上手く利用して一気に制圧してしまいたいところだな……

 内陸部はタルセッソスを制圧した後に決戦を挑み、力を見せることで属州化したい。ここまで迅速に実行できればケルト人に支配された西部地域ルシタニアを取り戻しイベリア半島南部の制圧が完了する。

 

 叔父上の暗殺の一年前には支配地の政治改革を完了させヒスパニアに戻りたい。できればアフリカにも渡り日和見のマウリタニアをなんとかしたいところだが……どこまでうまく行くかだな。遠征する以上、「過去」のバルカ家が持っていた資金は一時的に半減するだろうが、ローマが仕掛けてきた紀元前217年までには「過去」のバルカ家以上の資金をもっていることは確実だろう。

 叔父上が存命でいてくれれば、取れる手も増える……カルタゴ本国はこのままではバルカ家の足かせにしかならぬ。こちらも手をつけたいのだが。ままならぬものだな。

 

 ハンニバルの思考が堂々巡りを始めた頃、部屋の扉をノックする音が聞こえた。

 

「マハルバルです!」


 もうそのような時間になってしまったのかとハンニバルは思った以上に長考していた自分にため息が出る。

 

「入れ」


「失礼いたします!」


 扉を開けたマハルバルは扉の前で一礼しハンニバルの部屋へと入って来る。

 ハンニバルは執務用の机に備え付けられた椅子から立ち上がると、手をあげ彼を迎え入れる。

 

「マハルバル。よくぞ参った。お前に先日話をした件なのだが――」


 ハンニバルはマハルバルを対面に座らせると、先日の件――世界各地の人材集めについて語り始める。

 ハンニバルは十名ほどの名前をあげると、マハルバルに紙に書きとめることを禁止し、もし忘却した場合はすぐに聞きに来いと告げる。

 彼があげた人物名は二人だけの秘密とし、外部に漏らす事は厳禁とするとハンニバルは追加の禁止事項を述べる。

 

「了解いたしました! 現地で探す際には告げても構わないのでしょうか?」


「もちろんだ。ヒスパニアとカルタゴ本国には秘密としてくれればよい。ついでと言っては何だが、せっかく旅に出るのだ。現地で見分を広めて得た情報を持って帰って来てくれ」


「国の政治状況や名家の噂など集めてまいります」


「うむ。行ってもらうのは私が出陣するくらいの時期に頼む。まずは一人目……シラクサに行ってもらいたい」


「シラクサのアルキメデス殿ですね。了解いたしました」


「彼を得る案も用意している。書状と策は出発前にお前に改めて話そう」


「了解いたしました」


 マハルバルは敬愛する主君に頭を下げると踵を返し、ハンニバルの部屋から立ち去った。

 シラクサのアルキメデス……噂程度しか知らないが、何分変わった学者という話を聞いたことがある。彼が一体どんな役に立つのかマハルバルには想像がつかないが、きっとハンニバル様には深いお考えがあるのだろうとマハルバルは心の中で独白するのだった。


※当時の地図になります。

http://img1.mitemin.net/59/6x/4d06aacj8vi84sxhlzb930qxa42k_1813_sg_ee_2che.png

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