打倒ローマのやり直しー最強の将ハンニバル、二度目の包囲殲滅陣

うみ

第一部 雌伏編

第1話 過去へ

――私は敗れたのだ。


 長い歴史を誇る海洋帝国カルタゴの元将軍ハンニバルは、遠き異国のシリアの土地まで逃げのびていた。しかし、シリアもローマに敗れ、いずれここにもローマ軍がやって来るだろう。

 ハンニバルは酒をあおり、大きく息をついた。これまで生き延びて来たのはローマに一矢報いる為……それももう敵わぬか……ハンニバルは自嘲し空を見上げる。

 

 彼の世話役が来客を告げたので、彼は少し酔いが回っていたがそのまま外へ出る。そこにいたのは――

 

 憎きローマの将軍が護衛をたった二人だけ連れて彼を待っていた。覚えている。ハンニバルは彼の顔を忘れもしない。

 小柄ながらも知恵に富んだ、この男を。蛇を連想する頬骨が目立つ決して美しい顔とは言えない顔貌をした男……意思の強い目と男から発せられるオーラが只者ではないと一目で分かる。

 

 この男の名はスキピオ。ハンニバルを完膚なきまでに破ったローマの将軍だ。

 

「スキピオ殿……いかようか?」


 ハンニバルはとげとげしい低い声で来客の男――スキピオを睨みつける。

 

「貴殿を拘束しに来たわけではありません。少し話をしたく思っています。あなたが……」


 スキピオは柔和な笑みを浮かべ言葉を途中で切るが、ハンニバルにはその先の言葉は言わずとも分かる。スキピオは敵ながら聡明な男だ。ローマがシリアに勝利したと分かった私が自決するということを既に見透かしている。

 やはり侮れないな、この男は……ハンニバルはそう思うが、今となってはもはやどうでもいいことではあるなと、すぐに自らの考えを封じ込める。

 

「何を聞きにきたのだ? アフリカヌス殿?」


 ハンニバルは皮肉を込めて「アフリカヌス」とスキピオの名を呼ぶ。スキピオはハンニバルらカルタゴを破ったことで、ローマから新たな名を拝領した。アフリカヌスとはカルタゴの領域「アフリカ」を制圧した者という尊称なのだから。

 

「貴殿の気持ちは分かりますが、私はただ貴殿に一つ聞きたいことがあっただけなのです」


「ふむ。言ってみるがいい」


「貴殿の考える、史上最も優れた指揮官は誰でしょうか?」


「そんなことか。第一はアレクサンドロスだろう」


 ハンニバルが第一位をスキピオに告げると、彼は特に驚いた風でもなく鷹揚おうように頷く。

 アレクサンドロス……地中海世界でかの名を知らぬ者はいない。マケドニアから雄飛したアレクサンドロスは、インドまで遠征を行い世界帝国を作り上げたのだ。その道は倍する敵を幾度も打ち倒すものだった。

 アレクサンドロスならば、スキピオも口を挟む余地のない人物と言えよう。

 

 スキピオの様子など目にもくれず、ハンニバルは続けて述べる。

 

「二番手はエピロス王ピュロス、そして三番手は――」


「第三位は言わずとも分かります。なるほど。貴殿と話が出来て良かった。では私はこれで……」


 エピロス王ピュロスの名を聞いたことで、スキピオは全てを察したのだろう。エピロス王ピュロスはローマと当初は協力関係を結ぶものの、後に対立し圧倒的な国力差にも関わらずローマに勝利した。

 しかし、勝利したピュロスが得たものは何もなく、最終的にローマに滅ぼされる。そう、これは誰かに似ている。

 優れた戦術能力でローマに勝利し、最終的に敗れ去ったハンニバル自身と経歴が似ていたのだ。

 

 スキピオは理解する。ハンニバルは「ローマを倒す」、その一点を評価しピュロスを選んでいたのだと……もちろんピュロスは優れた司令官であることに間違いはないのだが……

 

「アフリカヌス殿。お主を思う私の気持ちに変化はない。だが、せっかく私に最後の問答を行いに来てくれたのだ。一つ私からお主へ言葉を送ろうではないか」


 立ち去ろうと踵を返していたスキピオは立ち止まり、ハンニバルへ向き直る。

 

「では、ありがたく。あなたの言葉を受け取ります」


「アフリカヌス殿……いや、もうそれはいい……スキピオ殿」


 ここで急に苦渋の表情をしていたハンニバルが何もかもを達観した表情に変わる。スキピオは彼の表情の変化を見てとり、息を飲み姿勢を正す。

 

「はい」


「国の栄華は永遠ではない。カルタゴは滅ぶだろう。ローマやシリアも例外ではないのだ」


「ハンニバル殿。これが皮肉ではないと貴殿の表情から分かります。あなたのご忠告……このスキピオ、しかと受け取りました」


 スキピオとの問答があった翌日――

 ハンニバルは絶望のうちに毒杯をあおり命を絶った。しかし、物語はここから始まる。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 ハンニバルは気がつくと父の前に立っていた。

 この光景を彼は鮮明に覚えている。病床に伏す父は今際の際にこう言うのだ。


――ハンニバルよ。ローマを滅ぼせ!


 と。


 夢見心地で彼は今にも命の灯火が消えそうな父の手を握り、しかと見つめる。


「ハンニバルよ。ローマを、我らが宿敵ローマを必ずや」


「はい。父上。必ずや」


――滅ぼさん!


 その言葉を最期に父は永眠する。最後の夢がローマを滅ぼす決意を父と誓う夢とはな。

 ハンニバルは自嘲じちょうし、父の遺骸のそばで眠る。


 しかし、目が覚める。

 彼は朝を迎えてしまったのだ!

 父の遺骸の横で。

 

 私はローマに敗れ、カルタゴを脱出し他国へと逃げるがついにローマに追いつかれ……毒杯をあおって死んだはずなのだ。

 若かりし頃の父の夢は死ぬ間際に見せた泡沫うたかたの夢ではなかったのか? ハンニバルは父の遺骸を見つめながら、この不可解な現象に考えを巡らせる。


 しかし、彼は答えを出すことができなかった。

 

 彼は父の手をギュッと握り誓う。


「例えこれが泡沫の夢だとしても、私は再びローマへ挑もう。必ずやローマを滅ぼす!」


 ハンニバルは父の顔をしかと見つめ――


――誓う。

――父に、弟に、バルカ家に、カルタゴの神バールに!


 彼は父の遺体を埋葬すると、ローマをどうすれば滅ぼせるのか思案に暮れる。

 

 ハンニバルの国カルタゴは、先日のポエニ戦争でローマに敗れシチリアを失った。当時カルタゴはローマより遥かに大きい国力を持っていたのだ。先ほど死したハンニバルの父ハミルカルもポエニ戦争で辣腕らつわんを振るい一時はローマを圧倒した。

 何故、ポエニ戦争で敗れたのか? それはローマの結束が固かったのだと今のハンニバルは分かる。

 

 海軍力を持たなかったローマはポエニ戦争でカルタゴを圧倒する海軍力を保持し、カルタゴ海軍を打ち破った。カルタゴ本国もローマに攻め込まれるが、辛うじてカルタゴは本土防衛に成功した。

 その結果、カルタゴ元老院は日和見を見せローマと講和してしまう。屈辱の講和をだ……カルタゴ元老院のまとまりの無さも敗因の一つだろう。

 

 その後、ローマはカルタゴより優勢となり地中海の制海権を持つに至った。あの戦いで、ポエニ戦争で徹底抗戦をすべきだったのだ! しかしこれは今だから言える事。

 

 では、ハンニバルが前世? そう前世で戦い再び挑もうとしているローマはどうか?

 ハンニバルはポエニ戦争の復讐を誓った。そしてローマに挑んだ。海から攻め込むことは不可能。ならば陸からだと考え、彼は無謀と言われたアルプスを越えてローマ本国へ攻め込むことに成功したのだった。

 思わぬところから出現したカルタゴ軍へローマは面食らったが、すぐに軍団をハンニバル率いるカルタゴ軍へ派遣する。

 

 しかし、ハンニバルは巧な戦術を用いてローマ軍を幾度も打ち破る。壊滅的なダメージを受けたローマ軍を見て取ったローマの市民は、ハンニバルの離間工作を全く受け付けずさらに結束を固める。

 市民が味方につかず、孤立無援の中、カルタゴからの支援も受けることができなかったハンニバルはそれでもローマ軍に負けなかった。

 

 ハンニバルに勝てないと悟ったローマはカルタゴ本国を攻め、ハンニバルをローマ本土から立ち去らせることに成功した。カルタゴ元老院はハンニバルに勝つことが皆無な戦いへ挑むよう強要し、そして彼は敗れた。

 

 昔日の戦いの様子を思い出すハンニバルは、いくら戦いを振り返っても彼自身が行った戦略以上の手段を思いつくことができなかった。彼は悟る。

 あの時の自分は最良の戦略をとったのだ……と。

 

――何をしても勝てない……


 彼は思案にふければふけるほど、絶望的な結果を叩きつけられ酒をあおった。

 

――ローマの結束

――ローマの海軍力

――カルタゴ元老院の日和見


 敗因は他にいくつもある。どうすれば……どうすればローマに、ローマを滅ぼすことができるのだ!


「ハンニバル様、またお悩みですか?」


 自室でずっと悩みにふけるハンニバルを憂慮ゆうりょした剣の達人マハルバルが、軽食を手に持ちハンニバルを訪ねて来る。

 マハルバルはハンニバルの前世の戦いでも活躍した戦士で、剣の腕だけでなく兵を率いても高い能力を示した。彼は低い身分の出身であったが、ハンニバルが見出し、自身の右腕となるまで育て上げた人物であった。

 出自の事情もありマハルバルのハンニバルへ対する信頼度は群を抜いて高い。事実、彼の前世でマハルバルは彼を守って戦死している。

 

「マハルバル。考えても考えてもローマに勝つ手が思い浮かばぬ」


「ハンニバル様。思い浮かばぬのならばそれでいいのではありませんか?」


 マハルバルは長髪をなびかせ、ハンニバルへ静かに語りかける。彼だとて、ハンニバルの打倒ローマの誓いを知らぬわけではない。

 しかし、敬愛し優れた資質を持つ主君が思い浮かばぬのだ。他の誰にも打倒ローマの道を見つけることは叶わないだろうとマハルバルはハンニバルに語る。

 

「……マハルバル! そうか。そうだったのか!」


 ハンニバルは何かを思いついたようで、顔に喜色を浮かべ立ち上がる。

 そうだ。そうだったのだ。マハルバル。彼は心の中で呟き、グッと拳を握りしめる。

 

「ハンニバル様、思いつかれたのですね!」


 マハルバルは主君の偉大さに身を震わせる。

 

「そうだ。マハルバル。何故私は同じように戦いが起こると思っていたのだろう……まだ我が叔父も生きているではないか。歴史はそこから変えることができる……」


「歴史ですか?」


 マハルバルは敬愛する主君の言葉が理解できなくなっていた。彼自身それほど学がないため、理解できることは限られているが、それでも主君の言葉だけは全力で理解しようと努めてきた。

 しかし、歴史と言われてもマハルバルには主君が何を言っているのかとんと理解できないでいた。

 

 マハルバルの様子に気が付いたハンニバルも何かを悟ったようにまた思案に入る。

 マハルバルは私を守って死んだマハルバルではないことをすっかり忘れていた……彼は我が父ハミルカルが亡くなった直後のマハルバルなのだ。ハンニバルは根本的なことに今更気が付き再びどうすべきか逡巡しゅんじゅんする。

 いずれにしろ幾人かには、私の状況を話す必要があるだろう。マハルバルは信用できるか? ハンニバルはそう考えるとすぐに彼の中で答えが出る。

 

――ハンニバル様、どうかご無事で


 ハンニバルを守り、剣に倒れたマハルバルの最後の言葉がハンニバルの脳裏に浮かぶ。迷うことは無い。マハルバルならば信頼できる。ハンニバルはそう確信する。

 

「マハルバル。荒唐無稽な話になるが、聞いて欲しいことがある。そこに座ってくれ」


「ハンニバル様のお話でしたら、どのようなお話であっても」


 マハルバルは一礼すると椅子に腰かける。

 長い、長い話をしよう。ハンニバルはマハルバルに向きなおる。

 


※当時の地図になります。

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