第10話

「これは………」

 

 この光景を目の当たりにした玉兎はその一言で絶句した。

 眼前には子ども、子ども、子ども。そして、それに四苦八苦している獄卒らしき大人たち。向こうでは取っ組み合いの喧嘩をし、また向こうでは転んで大泣きをし。

 どう控えめに言っても戦場。

 

 赤茶けた空と岩と大差ない強固な大地が一面に広がっている。視線のはるか先には遠大な川が見える。おそらくあれが音に聞く三途の川か。

賽の河原とは昼とも夜とも区別のつかない曖昧な、荒涼とした土地だった。お世辞にも住み心地はよさそうに見えない。

 そのただ中を俊靖は慣れた足取りでスイスイ進んでいく。舗装されていない道に足を取られそうになりながらも、金烏たちはその背にぴったり付き従う。

 たしかにこれでは悠長に裾を引きずって歩くわけにはいかない。

 

 ここで働く獄卒の種類も様々だった。人とさほど変わらない姿のものもいれば、絵巻物に出てくるような角の生えた鬼もいる。体の一部に動物の特徴を持つ獄卒もいた。

 冥泉府の方ではあまり見かけない光景だ。

 やがて俊靖は足を止め、頭に二本角を持つ赤鬼の獄卒に声をかけた。


「こちらが前に話していた二人です。面倒見てあげてくださいね」

「了解です!」


 既に話を通してあったのか、彼は良く通る声で請け負った。


「それでは、私はこれで失礼します。お二人に実りの多いことを祈っています」


 俊清はそう言い置いて颯爽と去っていった。長官補佐ともなれば、処理する仕事も山積みだろう。

 さて、では先輩となる獄卒にひとまず自己紹介を、と軽く頭を下げた。


「金烏です」

「玉兎と言います」


 短く名を告げる。


「おう。よろしくな。俺は田児丸たごまるだ」

「鬼の方の名前って不思議な響きですね」


 物怖じしない玉兎は率直な感想を漏らす。金烏は赤鬼の反応をうかがうが、鬼々しい先輩改め田児丸は快活に笑う。


「鬼なんて割とこんな名前のやつばっかりだぞ。ま、そこらへんの違和感はおいおい慣れてくれや」


 どうやら田児丸が気分の害したのでは、という金烏の危惧は杞憂に終わったようだった。


「ここはいろんな種族出身の獄卒が集まってきてるから、退屈しねーぞ。やんちゃ坊主の相手もあるしな」


 んじゃ行くぞと、金烏の身長くらいは優にありそうな金棒を担ぎ上げ、田児丸がいずこかを目指して歩きだした。


「お前ら、ここについての知識はどれくらいある?」

「賽の河原は六道の外にあり、親よりも先に死んだ子どもの魂が迎えられる場所だと」

「その通り。亡くなった原因はいろいろだが、まあ遊びたい盛りの奴らばかりでなぁ」


 二人は歩きながら彼の講義に耳を傾ける。ゴロゴロとした石を踏みしめながら、確かに動きやすい恰好でいるべきだなと金烏は思った。

 三人が通り過ぎる横では、獄卒達が子供たちと遊んで――いや、ありていに言えばおもちゃにされていた。


「おう、着いたぞ。この中だ」


 何組かの獄卒と子どもを横目に見た後、三人は一つの建物の前に到着した。古いという印象以外に特徴のない朱塗りの戸を押し開けると、若干の埃臭さが鼻につく。

 金烏の隣で玉兎が小さくくしゃみをした。

 机の上の乱雑に置かれた書物や巻物の類と室内に満ちる古びた紙の匂い。どうらや書庫のようだった。先ほど見た書の塔と比べると幾分かましだが、それでも管理が行き届いている状態とは程遠い。

 ここの役人は事務仕事が苦手なのだろうか。田児丸はばつが悪そうにその癖毛の頭をかいている。


「まずは、整理整頓からな。ここは万年人手不足だから、どうしてもこういう裏方仕事は後回しにしがちでなぁ」


 普段手が回らないことを、人が増えたこの機会に片付けてしまおうということらしい。金烏達にしてもその内容に否やはない。

 簡単に取り扱いなどの注意事項の説明を受けて、早速仕事に取り掛かる。書に付いた埃を払い題名を確認し、その順に並べては棚に戻す、それを繰り返す。


 作業自体はそう複雑ではないので、次第に慣れてくれば世間話がてら様々な話題が出てくる。主な話の種はここの仕事についてだった。

 十冊程度をまとめて書棚に戻しながら、田児丸が言う。


「俺たちの主な仕事は、子どもの相手全般だ。なにしろ十王の審判を受けるわけじゃねえから、ここにいる期間が決まってる訳じゃねえ。下手すりゃ俺たちよりも古株もいるぜ」

「それはなぜですか?」


 使用頻度が低いと判断された古い資料を箱に仕舞っていた玉兎が問いかける。

 玉兎の疑問はもっともなものだった。鬼だって長寿な種族だ。成人している田児丸よりも長く転生せずにいられるものなのか。

 田児丸は鼻の頭をかきながら言葉を濁す。


「あー、まー理由は単純なもんだ。供養してくれる相手がいないんだ」

「というと?」


 金烏が先を促すと、赤鬼は視線を前に向けて溜息にも似た言葉を吐きだす。


「ここの子どもらは、両親なりなんなりが供養してくれることで人道に転生するっつう仕組みだ。つまり供養が手厚いほど早く転生する」

「それでは供養されない子どもは……」


 田児丸の語る内容が指し示す事実を悟った金烏は、はたきを持つ手を止める。

 彼が眉を寄せる理由が分かってしまった。


「そうだ。いつまで経っても転生できない。賽の河原じゃ親のためにと石を積み上げて供養塔を作るが、転生するに足る徳を積むには、何百と作らなきゃいけない」

「それじゃ転生させたいのかさせたくないのか分からないな」


 それが率直な金烏の感想だった。玉兎も同調してうなずいた。


「ええ。しかも、ここの獄卒はその塔を崩して回るのも仕事のうちなんでしょう?」


 思いがけず知らされた状況に、玉兎の問いが非難めいた口調になってしまったのは否めない。

 それでも田児丸は気を悪くした風には見えない。少し大げさに肩をすくめただけだ。


「昔はな。今はもう形骸化してるよ。景さんのおかげでな」

「景、というと今の河原守のことですね」


 これまで幾度も出てきた名前だ。

 ああ、と田児丸はうなずく。


「それまで賽の河原の仕事って言えば子どもを呵責することだった。お前さんの言う通り、折角積んだ石塔を崩したりな。ここにゃあ結構子ども好きもいたもんだから、受け入れられなくて結局辞めていく」


 獄卒にも各々の生活がある。職を辞していった者たちの中には子を持つ親もいたことだろう。彼らが何を思ったか、容易に想像できることだった。


「現実と折り合いをつけられる奴だけがここに残れる。それを変えたのが景さんだった」


 作業の手を止めずに赤い鬼はさらに言葉を続ける。


「河原守になって日が浅いうちからいろいろ制度を改めて、ついには石塔を崩さなくてもいいように認めさせた。上の連中が伝統だ何だと気にするから、表だって賛成を口に出す奴は少なかったが腹の底ではみんな感謝してた」


 強面の彼が当時を静かに語る様子は、不思議と金烏の心に残った。

 姉弟はそのまま書庫整理で初日を終えた。

 ここの官庁に併設されている官舎に部屋が用意されているとのことだったので、田児丸に場所を教えてもらい、彼と別れて書庫を後にした。

 界維鏡までの道を二人で辿る。金烏が沈黙を貫いているためか、隣の玉兎もことさら口を開くこともなく黙々と足を動かしている。

 沈黙ゆえの重苦しさはないが、普段の他愛ない会話すら交わす気になれないのは、辺りの雰囲気のせいだろう。

 代わり映えのしない赤の風景は、この道には果てがないと錯覚しそうになる。靴の爪先にあたった乾いた小石が呆気なく転がっていく。


 活気とは縁遠い陰鬱さを漂わせているここは、確かに死者のための場所なのだ。たとえ地獄のように責苦を与えられることはなくとも、それが変わりない事実。

 おそらく言いようのない感情を抱くのはここでは何も特別なことはではない。通過儀礼と言い換えても違和感のないものなのだろう。

 心の澱をやり過ごせたものだけが、賽の河原で働く資格を得る。田児丸の言葉を脳内で反芻する。

 数多の反発を越えてそれを成し遂げた臙景とはどのような人物なのだろう。金烏はまだ会ったことのない、彼に思いを馳せた。

 

 そんな思考に沈んでいたせいか、その人物を視界の端に捉えても、理解に若干の時間を要した。

 金烏の視線の先には。

 遠い記憶の片隅に大切に仕舞っておいた藍色が、そこにあった。

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