第6話

 次に金烏の意識が覚醒したのは、自分以外の人物が立てる音が耳に入った時だった。


「あ、起きた?」


 ぼやけた視界がはっきりするのと同時に、こちらに近づく昌の姿を目にとめた。

 昌は上半身を起こした金烏のすぐそばに腰かける。


「気分はどう?」

「おかげさまで、大分いいよ」


 さきほどまで身体に残っていた澱みが消えていた。大した薬効だとひそかに感心する。


「玉兎くんのことだけど、宣湘殿に聞いたら無事に見つかったって」

「よかった……」


 弟の無事の知らせを受け取り、肩の荷が下りた心地がする。

 思わず漏れた呟き。安堵から頬に柔らかさが戻る。


「それと君のことも話しておいたよ。明日向こうに送り届けるって」


 もう夜も更けているしね、と昌は言った。


「でも、そんなに世話になるわけには」


 初対面なのに、と遠慮がちに戸惑う。

 他人の行動原理は打算と保身しか知らない金烏にとって、昌の行動は不可解でしかない。どうにも腑に落ちないことばかりだ。

 言うか言うまいか躊躇っていた言葉が、喉元までせり上がりついに口をついて出た。


「昌。あの、聞きたいことがある」

「何が聞きたい?」


 昌は謎めいた笑みを浮かべて、金烏を促す。


「なんで、私を助けてくれたの? 何の利もないのに」


 金烏には本当に理由が見当もつかない。彼にどんな益があるというのだろう。

 人の判断基準は有益か否かだ。金烏は彼女の少ない人生経験の中でそう結論付けていた。

 昌は彼女に何を見出したのだろうか。金烏がわずかに身じろぎし、きし、を寝台が鳴る。


「別に、理由なんて言うほどのものはないよ」


 身を固くする少女とは対照的に、少年の答えはあっけらかんとしたものだった。


「え?」

「利がどうとかなんて考えなかった。困ってる人は助けなきゃ」


 そう彼はさらっと言ってのける。その声音から、真実そう感じての発言であると確信できた。

 何の思惑も含まれてはいないその微笑を見ると、言いようのない感情が金烏の内でざわめく。


「後はね、僕の直感。この出会いはきっと運命になる」

「ずいぶんと夢見がちなこと言うんだな」


 口説き文句にも聞こえる昌の述懐に、金烏は頼りない揶揄の言葉で精一杯だ。それと同時に、無駄な気負いもどこかへ消えてしまった。


「じゃあ、わたしはその直感に感謝しないとな」

「そういうこと」


 年相応に見えるいたずらっぽい表情で金烏の顔をのぞき込んだ。

 きらめく藍色の瞳が見つめる世界はきっと金烏とは違う色鮮やかなものなのだろう。彼の隣に立てたなら、同じ世界を見られるだろうか。

 昌はもう一度金烏の額に触れて体温を確かめると、おもむろに口を開いた。


「さて、お喋りはこのくらいで、そろそろ寝ようか」


 おやすみ、と寝台から腰を浮かしかけた彼の袖を、金烏はとっさに握りしめていた。弾かれたように手を離し、自身の行動に金烏は困惑した。


「あ、えっと……」

「一人でいるの、不安?」


 昌は首を傾けて問いかけてくる。不安、そうなのだろうか。灯りさえあれば一人で寝るのに問題ないはずなのに、金烏には答えられない。

 答えあぐねている金烏をどう解釈したのか、昌は急に名案を思いついた、という顔をした。


「じゃあ一緒に寝ようか!」


 金烏の返答も待たずに、言うが早いか隣に潜り込んでくる。想像を超えた展開に、金烏はだんだん麻痺し始めた。

 もう、寝よう。思い悩んだところで生産的な結果は得られそうにない。隣ですでに寝る体勢の昌に倣って身を横たえる。


「なんだかわくわくするな」


 目を輝かせてそう語る昌の姿は、昨日の自分たちに重なった。


「まだ眠れないだろうから、話でもしようか」


 さあと促されるまま、ぽつぽつと語り始める。

 好きな食べ物のこと。今学んでいること。引き取られる以前の記憶を失っていること。大切な弟のこと。

 薄明りの元でのひそやかな会話は金烏が話す方が主で、昌は聞き役に徹していた。

少々口が軽くなっている自覚はあったが、昌なら多分、悪用はしないだろう、そんな信頼感が生まれ始めていた。


「なるほど、大変そうだね」

「別に、弟さえ無事に過ごしてくれたら、それ以上高望みはしないけど」


 そう語った言葉は金烏の嘘偽りない気持ちだ。

 じっと見つめられていることに気づいた。隣に寝転がる昌に怪訝に問いかける。


「わたしの顔、なにかついてる?」

「いや、あ、ええっとね」


 金烏の直球の疑問に、昌は先ほどまでとは違い口ごもる。彼は誤魔化してしまいたいようだったが、言葉の意味を問う無言の催促に、根負けしたように白状した。


「烏々の髪が、きれいだなって思っただけだよ」

「はっ?」


 やや早口な回答に、金烏は完全に虚をつかれた。


「え、っと、褒めてもらえるとは思わなくて、その。ありがとう」

「明るい色で羨ましいなーって。ほら、僕はこんな暗い色だし」


 苦笑いとともに藍の髪を一房摘みあげる。その横顔に言いようのない感情が広がっていく。その時の金烏は、奇妙な衝動に突き動かされ、考えるよりも前に言葉が口をついて出た。


「そんなことない! 昌の髪いいと思う!」


 今度は昌の方が面食らう番だった。驚きを素直に顔に出している。ぽかんと口を開けて自分を見る昌に、さらに焦った金烏はもっと分かりやすく言わなくてはと混乱した頭で口走る。


「わたしは暗いの苦手で夜も好きじゃないけど、昌のは優しい色だし、好きな色だな!」


傍で聞くと意味不明な説明になってしまったが、そう思ったのは本当だ。

金烏にとって夜は息苦しいものでしかない。けれど、昌の持つ藍色はなぜかそんな風には思えず、むしろ不思議と心が落ち着く。


「そうか。烏々はそう思うんだね」


 唖然とした表情から徐々に喜びが広がっていく昌の顔を眺めて、どうやら意図は伝わったらしいとほっと息をつく。

 完全に平静を取り戻したらしい昌は金烏に笑いかける。


「ありがとう、烏々。そこまで褒めてくれたの君が初めてだよ」

「そんな、見る目ないな」


 こんなに似合ってるのにと、思ったままを述べると、昌はますます笑みを深くする。


「似合ってるといえば、烏々は髪が長いのも似合いそうだね」


 自分の髪について、もっと手をかけろだとか、気を遣えだとか似たようなことを弟にも言われた気がする。この件に関しては多少の疑問が残ったままだ。


「そうかな? わたし、長い髪が似合うようなおしとやかなお嬢様じゃないけど」


 むしろその逆だというのが金烏の見解だ。


「そんなことないよ。きっと烏々は素敵な女の子になるよ。保証する」


 力強く肯定されて、金烏の中でどんどん照れが強くなる。赤い頬を見られたくなくて、昌から顔を背けてぼそりと呟いた。


「じゃあ、考えとく」

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