第5話

「ん――……」


 ゆるゆると瞼が持ち上がるとともに、金烏の意識が覚醒していく。

 目の前がほのかに明るい。それはこの部屋の灯りのおかげだった。首を巡らせると、窓の外は深い闇の色をしていた。

 真っ暗闇ではないことに金烏は安堵したが、すぐに我に返る。ここはどこだ?

 この場所が安全とは限らない。油断なく周囲を見渡した金烏だったが、金烏以外の人影はなく、とりあえず心配はなさそうだ。


 金烏は自分が寝かされていた寝台を眺める。天蓋付きの豪奢な寝台に加え、掛けられていた衣も触れただけでわかる質のいいものだ。怒りに任せてあんな場所に放り込んでおきながら、この扱いは腑に落ちない。

 では他の可能性とは何だろうと金烏が思考を始めようしたとき、部屋の扉がゆっくりと開く。

 身構える金烏だったが、現れた人物は予想外のものだった。


「あ、よかった。気分はどう?」


 扉の向こうから姿を見せたのは、一人の少年だった。茶碗と皿を盆に乗せた少年は、つかつかと歩いてくると寝台脇の机に盆を置き、金烏の額に手を当てて熱を確かめる。


「うん、熱もないようだし、少し休んだら元気になるよ」


 金烏より少し年嵩に見える少年は彼女に微笑みかけた。首を傾げた拍子に少年の藍色の髪がさらりと揺れた。

金烏はその屈託のない笑顔に戸惑う。それまで裏表のない笑みなど弟以外で見たことがなかったからだ。ついでに言えば、大人以外の人間を見たのも初めてだった。


「あの……」

「ああ、僕はしょう。よろしく。ここは僕の部屋だよ」


 金烏の戸惑いを自分の正体についてだと思ったらしい。少年――昌はまたニコリと微笑んだ。その顔が自分の名前を催促していることに気づいた金烏は、短く答えた。


「……烏々うう


 逡巡の後、とっさに考えた名を告げる。


「うん、そう。烏々か」


 無邪気な言葉にドキリとする。金烏は自分をのぞき込む両の瞳が、髪の色と同じ藍色であることに気づいた。降って湧いた感情を振り払い口早に言う。


「昌。ここはどこ?」

「ここは宮城の紺流殿こんりゅうでんの一室。君を見つけたところから連れてきたんだ」


 こう背負ってね、と何かを背負う仕草をする。紺流殿と言えば城の東に位置していたはず。玉兎の迷子が判明した場所は西にあったはずだからだいぶ離れている。知らないうちに大分遠くへ来ていたようだ。

 状況を把握し考え込む金烏に、昌は持ってきた盆を丸ごと金烏に渡す。


「はい、これ。お腹すいてるかと思って。お粥だから胃にもいいし」


 昌から受け取った盆に乗っていたのは卵粥だった。温かな食事を目の前にして、昼から何も食べていないことを思い出した。

 金烏は匙で一口掬って口に運ぶ。優しい出汁の香りがふわりと広がる。


「おいしい」


 無意識にぽろっと零れた言葉を耳ざとく聞きつけて、昌は満足げだ。


「口にあったようでよかった」


 粥をゆっくり味わいながら胃を満たした金烏に、昌が今度は茶碗を差し出した。


「少し苦いけど、これを飲んだらすぐに良くなるよ」


 差し出された茶碗を素直に受け取って、薬湯を流し込む。確かに強い苦味が口内に広がるが、彼の心遣いの温かさがそれを打ち消していく。


「あの……あり、がとう」


 俯きがちに呟く。これだけでなんと労力を要することか。


「どういたしまして。他に何かしてほしいことはある?」


 親切な昌の言葉に眉が寄った。金烏には気にかかっていることが一つ、ある。

 こんなことを彼に頼んでいいものかとしばし躊躇するが、意を決して口を開く。端正な少年の顔を正面から真っすぐ見据えた。


「随分世話になったけど、もう一つ甘えていいだろうか」

「いいよ、何?」


 昌は至極あっさりと請け負う。


「廷原衆が一人、廉宣湘の元にいる玉兎という男の子が迷子になっているはずなんだ。あの子がちゃんと見つかったのか知りたい」


「ああ……」


 宣湘の名を出して通じるか分からなかったが、昌の反応を見ると、どうやら既知だったようだ。


「その、玉兎くんだっけ、彼がちゃんと家に帰れたか知りたいんだね?」

「そう。元はといえばあの子を探す途中で、あそこに閉じ込められたんだ」


 あんなことになっていなければ、すぐにも見つけられたかもしれないのに。


「ふうん、なるほどね」

「多分見つかったとは思うんだけど、まだどこかで迷ってるなら探しに行かなきゃ」


 金烏はきゅっとこぶしを握りしめた。この日をあんなに楽しみにしていたのに、一人で泣いているかもしれないと思うと、居ても立ってもいられない。

 うつむく金烏を目にして、昌は笑みをこぼす。


「大切な人なんだね」

「ああ、たった一人の弟なんだ」

「そっか。大丈夫、確認は僕に任せて、休んでて」


 昌が力強く請け負ってくれたので、強張っていた肩からほっと力が抜けた。安心したとたん、金烏の瞼が重くなった。目を擦る金烏に昌が説明する。


「薬湯の効果が出てきたみたいだ。さ、もう眠りなよ」


 昌に促されるまま、ふかふかの寝台に体を横たえる。


「何から何までありがとう……」


 二回目の感謝の言葉はするりと口をついて出た。少年はふわりと柔らかく笑う。


「そんなこと気にしないで。おやすみ」


 何故だろう、この声はひどく落ち着く。

 またあとでね、と扉の向こうに消えた影を見送ってから、くるりと周囲を見回した。改めて思うが、寝台以外の調度品も相当に高級な代物だと分かる。

 そんな部屋の主と思われるあの少年はいったい何者なのか。答え合わせのできない疑問を繰り返していると、次第に思考が薄れていく。

 やがて金烏の意識は眠りに引きずられ、途切れた。

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