不穏な影

 ロシア軍の暗殺部隊。いまいち現実感のない言葉だった。


「デビル・アビスの襲撃に合わせて、特務一課は首都警護の任に動いています。その情報が、敵方に漏れているのを承知でね」


 特殊規格の無線を右手で弄びながら、高見元帥はにやりとほくそ笑んだ。彼らの狙いは、国防の中枢足る頂機関ではないらしい。まさに、ウォーパーツの適合者を抱える特務機関そのもの。緋色は、歴史上の知識として、日本皇国とロシア連邦が長らく停戦状態であることは知っていた。しかし、この時代になってまで、水面下での工作が進行しているとは。


「マムは、現役時代にずっと北部戦線を指揮していたらしいぜ? その脅威を、奴らは一番よく理解している。だから、ここで攻め落とすつもりなんだ」

「今も現役です」


 デビル侵攻は、その隠れ蓑として利用しているに過ぎない。そんな信じられないような現実に、緋色は軽く眩暈を感じた。この非常時に、人類は一体なにをしているのか。


「――が、当然ながら俺様はデビルの警戒に就く。俺様抜きの戦いだって分かっているはずだぜ、マム。対デビル戦線の打破、それがヒーローの主たる任務だ」


 そして、こいつらもな。

 ルーキー二人の肩を抱いて、女傑はギラついた、猛禽類のような目付きを浮かべた。高見元帥の口角が下がる。人類戦士を人間同士の戦争の道具にしないことは、彼女らの中で交わされた掟だ。しかし、ウォーパーツを扱う戦力が貴重なことには変わらない。


「無論。自分の任務に尽力なさい」

(私たち、庇われた……?)


 わざわざ二課のヒーローに接触してきたのは、そういう狙いだろう。ディスクの当て勘は、まさにドンピシャだった。ボスに逆らってまで動いた人類戦士。果たして何が彼女をそこまでさせるのか。


「――――いや、俺たちだって無関係じゃいられない」

「緋色?」


 緋色が、女傑の腕をはね除ける。意外そうに呆ける人類戦士に、高見は言葉を投げた。


「案外、利口なものです。ここで二課が動かなければ、危うくなるのは自分たちだと理解していますね。大丈夫、妙な横やりは入れさせませんよ。欧米諸国の横やりを防ぐために、一課の臨界者たちをバラけさせたのですから」

「…………私たちを、守るつもりなどないと?」


 ディスクの問いに、高見元帥は頷いた。わざわざ誘い込んだのだ。そこには老練の策謀がクモの巣の如く練り込まれている。


「……正気か、緋色?」

「どのみち、俺は立場上動かざるを得ないよ」

「えー、ブッチして俺様といようぜー?」

「アカツキ。国防意識に欠ける発言は控えなさい」


 ぶぅ、と唇を尖らせる人類戦士。その姿は、まるでやんちゃ娘ををたしなめる母親のようだった。二人の間に築かれている奇妙ながらも確固たる絆。そこには数奇な運命が絡んでいるように思えた。


「緋色、お前が選んだ道が、ソレなんだな?」

「……分からない。でも、分からないからこそ――出来ることは全部やりたい」


 にかっと笑う人類戦士が少年の背中を叩いた。その手は、まるで太陽のように暖かくて、不思議と胸の辺りがじんわりと熱を持つ。妙に仏頂面のディスクが、その脇を突いた。


「緋色、勝手に決めないで」

「ぁ、悪い悪い……」

「おいおい、女房役なら黙って支えてやれっての!!」

「にょ――ッ!!?」


 顔面が茹で上がる少女に、人類戦士は笑った。後ろ手を振りながら、彼女は自分の持ち場に戻る。その背中が、無言のエールを送っていた。


「…………さて。会話は聞いていましたね、風雲児」

『御意』


 緋色の『ヒーローギア』から、厳つい男の声が響いた。一課の接触があった時点で、緋色が通信スイッチを押したのだ。どうやらその挙動はお見通しだったようだ。


「師匠、構わねえな?」

『拠点防衛も立派な任務の内だ。。ディスク、しっかり支えてやれよ』

「「了解!!」」


 見えない相手に敬礼を浮かべる二人を、車イスの老傑はじとっと眺めていた。







「賊の動きを掌握? 出来ているわけがないでしょう」


 ロシア軍の動向を掴めている。そんな風に特務一課司令を評していた二人が、身も蓋もないことを言われた。


「彼らは諜報のプロです。そんなことが可能であれば、さっさと潰していますよ」


 車椅子の老女は、鋭い眼光を向けた。彼女の向こう側で精神統一に瞑想しているのは、高見司令の懐刀。ヒーローコード、イチである。


「あの、私たちはどうすれば…………?」

「要所を押さえれば、交戦は必定。彼らもそれを承知で私の網に飛び込んできたはず。ここで勝負をつける気みたいですね」


 日本とロシアは、長らく冷戦状態だったらしい、と緋色は聞いている。

 なんでも、過去の大戦で中立を唱っていた旧ソビエトが、劣勢に陥った当時の日本帝國に侵攻を始めたのが始まりだったようだ。戦争での利権を掠めとるための謀略。果たしてそれは、思わぬ形で阻まれることとなった。

 即ち、ウォーパーツの出現である。

 未知の兵器で戦線を盛り返し始めた島国は、四方八方全方位から攻められながらも、苛烈な抵抗を果たすことになる。そんな最悪な衝突を果たした両国の関係は、未だに劣悪なままであるらしい。なにかと衝突するものも、武力衝突自体は次第に減っていったはずだが。


「焦る理由が……なにかある。私は情報部の指揮も統括します。現場の指揮はイチ、貴方に。無線は間違いなく傍聴されているものと考えて下さい」

「御意に」







「軍人相手は初めてか?」


 指示された配置に着いた後、イチが重い口を開いた。あまり無駄口を叩くタイプには見えなかったので、二人は反応が遅れた。


「対人戦闘の訓練は重ねているだろう? それでも、戦争のプロたる軍人を相手取る経験には代え難い」


 大剣の柄に右手を添えながら、王道の戦士は眼球をギョロリと向ける。まるで蛇に睨まれた蛙の如く。例によって固まってしまった相棒バディに内心苦笑する。


「ありませんよ。ただ、一週間ほど米軍のSECT:Hと訓練したことはあります。対デビルとの共同戦線も経験済みです」

「ほう」


 イチが口の端を上げた。緋色の言わんとしていることを汲み上げたみたいだった。


「軍人とは、当然ながらヒーローやデビルとは違う。人間として当たり前の能力で、ウォーパーツも強靭な肉体もなく、その身一つで兵器を操り戦う戦士だ」


 人としての全てを絞り出す。超常のウォーパーツを手にしなかったからこその、当たり前の進化の方向性。その残虐性を、本物の戦場を渡り歩いてきた剣士はよく弁えていた。事実、北方の尖兵に対しては、臨界者を5人も抱えた高見司令ですら今まで有効打を打てずにいたのだ。


「今までのセオリーを捨てろ。現実に見たものに反応し、最善策を組み立てろ。敵は可能な限り生け捕り、無理だと判断したら個人判断でして構わない」

「「了解」」


 処分。

 それは、敵の殺害に他ならない。


(そして、敵もだ。ヒーローに、人殺しをしろと言うのか)


 覚悟がブレる。イチの鋭い眼光は、それを見通しているようだった。緋色も、ディスクも、分かってはいる。敵も、同じはずだ。目的のために、障害となるものは全て処分しにくるはずだ。人が、人と殺しあう。しかし、これこそが本来の戦場なのだ。

 現実感が湧かない。

 そして、そんな風に何も出来ないまま死んでいく自分の未来を直感した。


「緋色」


 ディスクが、その小さい手を伸ばしてくる。震えていた。それでも、気丈に前を向く。イチのハンドサインが翻る。出撃準備の合図だ。だが、その動きは読みあぐねているようだ。送られてきた情報が、ディスクの顔を険しくさせる。数秒。現場指揮は男に託されている。僅かな思案の末、戦士は口を開く。


「俺が前に出る」

「……具申。囮の可能性は?」

「だからこそ、俺が乗る」


 即ち、囮に囮を被せる。

 本土への直接侵攻。もう、悠長に出方を見張っていられる状況ではないのだ。敢えて狙いに乗り、敵方を炙り出す。高見派閥の戦力としてマークされていない緋色とディスク。戦況を揺るがすとすれば、イチではなくこの二人であるはずだ。


(特務一課は、緋色を欲しがっていた。ひょっとして、この作戦のための布石だったの……?)


 状況が読めない。二課がデビル戦線に躍起になっている間、水面下でとんでもない事態が進行しつつあった。緋色の、べたりと湿った手が、相棒バディの手を握り返す。


「……アカツキは、人を殺したことがないそうだ」


 ふと、イチが呟いた。背中越しに、囁くように。


「あれでも、最前線。然る場面はいくらでもあった。だが、アイツはその全てを実力でねじ伏せた」


 それは、男の知る戦争の形ではなかったのかもしれない。しかし、その声はどこか丸みを帯びる。


「信念があるのなら、行動でもって示して見せろ」


 信念。女傑の言葉が胸を焦がす。

 イチが、床を這うように駆け出した。


「配置に急げ――――作戦開始だ」

「「了解」」

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