アビス軍再び
函館山、展望台。
「あぁらま、慌てふためいちゃって! 小粒のゴミどもを一々駆除して回るほど、あたしは下賤じゃなくてよ?」
深淵女王の口から暗鬱な笑みが漏れる。その目は赤く血走り、獲物を血眼で探しているようだった。
「この私を随分コケにしてくれたヒーローたち。目にもの見せてくれるわぁ!」
「急くな。格が知れるぞ」
「…………ひぃぃー」
いきり立つデビル・アビスが、怯えたように大人しくなる。真っ黒な灰が、絞り上げた肉体を象っている。四天王、デビル・アグニ。炎の英傑が、省エネモードで山を見下ろしている。
「しかしまぁ、お前さんの能力がここまで便利とは。おかげで我が身がここまで穏やかに降り立てる」
特務機関が誇る電磁レーダー。雷撃を高精度かつ高出力で操る深淵女王は、その索敵を掻い潜ることを可能にしていた。四天王は、その確かな成果に嘆息する。このある意味大物な小物が、人魔戦争の戦略的な鍵となる。
「まぁ、このあたしが有効だって耳打ちしてくれたのは殿下なんですけどねえ。敵機関に潜り込んだからこその分析だって」
「解せん。懐に潜り込んでおきながら、わざわざ泳がせる意味はあったのか?」
(てめえみたいな脳筋には一生分かんねえよ。馬鹿が雁首揃えてるからこんなチンケな戦争続けるはめになったんじゃねえか? ばーか! ばーか!)
英傑の瞳がぎょろりと動いた。デビル・アビスがにこやかに愛想笑いを浮かべる。
「それに……この布陣は」
「理に叶ってると思いますよー? 人類戦士でなければ対応が難しい氷の閣下に、サポート役で風の閣下と鉄壁侍女プラスアルファ。これで人類戦士は釘付けでしょうし、殿下の采配に拍手万々歳ー! ところで、地の閣下は何してるんです?」
「あいつは人類戦士の前には出せん……然るべき時までは、な」
灰の男が指差す先。動きがあった。
「じゃ、あたしはそろそろ行きますね。一定距離を離れたらバリアーも切れるので、そのおつもりでー」
のっぺらとした案山子が、主を背に乗せる。
灰に、熱が込められた。炎の英傑が聳え立つ。
「承知。さあ、戦争の時間だ」
◇
見上げる頂は高く、不気味な暗雲が立ち込めている。ヒーローコード、焔。
(緋色とディスクが戦線から外れた途端、軍を表に出してきたな……)
思うところがないでもないが、それ以上に、今は敵の出方が不穏だ。頂上付近を覆う謎の電磁波が、二課の電磁レーダーを阻んでいた。ちょうど、ここから数メートル先だ。ここから先は、危険度未知数の魔窟。
敵の数も、配置も分からない。空からの監視は、徹底的に凪ぎ払われた。斥候部隊からの定期連絡が途絶えて久しい。ここ最近のデビル襲撃の活発化を考えると、戦争の局面が動き出したのが身に染みる。
「配置、完了しました!」
「了解。包囲網を維持し、指示を待て」
壮年の隊長が敬礼をして下がっていく。むすっと黙ったままのブルゾンの男に一言。
「もう、怪我はいいのか?」
「ああ。今度は遅れねえ」
「よし。ハート、こちらは踏み込むぞ。モニター頼む」
『了解』
焔とギャング。二人は鬱蒼とした獣道を進む。いざという時に周囲一体を焼き払える焔には、多少地の利がある。敢えて物音を立てながら、デビルを誘うように。ギャングの足が止まった。『宝球コスタリカ』のサーチに何かかかったか。
「いる。来るぞ……!」
言葉と同時、獣型のデビルが大木を蹴って襲ってきた。二人に辿り着く前に、コスタリカの振動派が肉体を蒸発させる。数は五、どれも石球の餌食になって臓物をぶちまける。
「焼け」
「ルー!!」
一閃。凪ぎ払われた草木が一瞬にして炎上した。獣の甲高い声が山に響く。焔が声の元に走り、ギャングが石球を構える。その肉体に這う炎を物ともせずに吠える、二メートル大の四足歩行の獣が向かい立つ。
「
◇
(なんなんスかこいつッ!?)
穴だらけの山道で、隼が駆ける。穴からぴょこぴょこ頭を出しては気紛れに突進する土竜のような謎生物、デビル・ペギー。刃と二人で山道を進むコースを辿っていた彼は、ハートからの指示で先行し始めた刃を追い付かせないよう、隼は足止めに徹していた。
(速さで撹乱する動き、自分を見ているみたいでおちょくられる気分ッス……)
だが、だからこそ動きは合わせやすい。ネームド相手に一人で粘るのもこれで二度目だ。派手な攻撃力こそないものの、臨機応変な判断力と、実行を可能とする機動力が彼の武器だ。足止めに、これ以上適した人選はない。
「けど、うかうかさせてやるつもりは」
穴から飛び出し、ペギーがミサイルのように突撃してくる。動きは直線的で読みやすい。隼の足が止まる。それは、踏み込みのための一歩。
「ないッス――――天蹴」
踏み込んだまま、その足が勢い良く上がった。ウォーパーツ、韋駄天。その蹴りがデビルの腹を穿っていた。威力が足りないのであれば、相手の攻撃にカウンターを乗せるだけ。
だが、それでも。
「いいッスよ。このまま相手してやるのが、オイラの仕事ッスから」
よろよろと立ち上がったペギーが、再び穴に潜る。姿勢を低く構える隼は、ハートからの通信を聞いた。
◇
(米国で観測されたデビル・アビスの配下どもか。次は日本を狙うつもりか……?)
国防軍の包囲網まで下がっているハートは、拳銃を連射する。共同作戦の末、小粒のデビルを十体ほど仕留めている。しかし、オペレーターからの通信内容は芳しくない。
(電磁波の効果範囲がブレている。アビスが移動を始めたか)
進撃。配下のネームドを連れ添って、あの深淵女王がついに動き出した。
「こちらハート。各員に通達。これより、デビル・アビス討滅に動く。道を開いてくれ」
了解、と。
通信の返事は、誰一人欠けていない。
『こちら刃。標的、デビル・アビスを捕捉』
「了解。位置情報を送れ。可能ならば、そのまま討滅しろ」
『了解』
優先攻略対象。対デビルに関しては二課トップの刃であれば、それなりに戦えるはずだ。しかし、万全は期したい。受信した位置情報を確認して、ハートが進行方向を修正する。
その右手。
グロテスクな紫色の牙の集まりが、奇襲に這い出す。草むらからの突進。確実に一人仕留めるためのトラップとして潜んでいたのは。
「デビル・アギト、か――――!?」
◇
「ふぅんふぅんふぅん……みぃんな頑張ってるわねん!」
展望台から少し下った、開けた場所。デビル・アビスは電磁波を振り撒きながら、鼻歌を鳴らす。
「ああーやっぱりいい眺め! 空気もおいしい! ここを丸ごと頂いちゃうのも悪くない!」
電磁防壁に身を包み、居場所は敵からバレることはない。後は適当に広範囲攻撃で殲滅すれば、この戦いは終わる。問題は、この美しい景色をどれだけ残せるか。その威力調節に難儀していた。
「うーん、やっぱ各個撃破に切り替えようかなー? 奇襲ならどいつも一撃で持っていけそうだしー。人間ってほんと脆いから。どうせ、あたしが見つかることなんて、ない……――――ッ!!?」
咄嗟に飛び退いたのは、腐っても強者、第六感めいたものが働いたのだろう。抜き払いの斬撃。動かなければ、自分が一撃で首をはねられていただろう。秒で沸騰する血液を沈めつつ、震える声で女王は呟いた。
「なんで、どうやって…………?」
「目視。音。匂い。空気の動き。指し示すものならたくさんあった。レーダーだけが武器だと侮るな」
和装の女が刀を構える。その刃の煌めきに、深淵女王の心が震えた。あれは、ウォーパーツ、天羽々斬り。
「ヒーローコード、刃。お前を――討滅する」
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