晴れない空

 天気予報によれば、一日中雨だった。あれから一晩越した今、緋色はようやく目を覚ました。

 その天井は、何度か見ていた。医務室の天井。つまり、特務二課の本拠地内部。


「目ぇ覚めたか」


 緑髪のブルゾンの、否、手術衣の男が口を開いた。ヒーローコード、ギャング。彼もまた重傷を負っていた。


「状況は?」

「とっくに終わってんよ。死者は無し。まぁ、撃退って形にはなるんだろうなぁ」


 それは、もしかしたら甘い見方だったのかもしれない。その気になれば、全滅という線もあった。緋色は、彼にしか感じられない感覚を抱いていた。

 敵の強大さを、感じていた。


「強かった、な」

「らしくねぇこと言うなや」


 ギャングが笑った。


「不覚を取ったが次は討つ。それでいいじゃねぇか」


 デビルを倒すことこそが、ヒーローに与えられた使命。弱音を吐く暇は課されていない。


「……バジル、お前はどうしてヒーローになった」


 ギャングは顔を見せずに、腕を突き出した。その人差し指と親指は輪っかを作り、残り三本はぴんと伸びた。


「金だよ。給料いいだろ、ここ」

「マジかっ」


 金銭の貴重さを知らない少年は答えた。人には人の事情があるのだが、二課の面子は深くを明かさないのが大多数だ。ギャングは大きな欠伸をかますと、ベッドに深く沈み込む。

 対して起き上がろうとした緋色は、痛みに叩き落とされた。上半身の包帯が赤く滲む。


「寝てろ。俺よかよっぽどヤベェぞ」


 絶対安静。その言葉の意味が分からない緋色では無い。自分の身体だ。限界を酷使して肉体を行使したのは分かりきっていた。

 時計を見る。現時刻を確認して、緋色は小さく溜め息をついた。


「どした」

「初めてだ。鍛練をサボったのは」

「サボったっていうかぁ……?」


 ギャングが呆れた表情を浮かべた。

 しかし、緋色にとってはある種重大事項だった。何せ、この十年間絶やさず欠かさなかった習慣だ。胸の内に言い得ぬもやもやが広がる。


「なぁバジル…………俺が戦ってる時、どんな感じだった?」


 ぼんやりとした記憶は残っている。まるで、離れたところから自分を眺めているような感覚。薄ら寒くて空空しい。そんな操り人形の苦悩が。


「知るか。別行動だ」

「…………だよな」


 バッサリ斬られた。


「……時間か」


 ギャングが松葉杖片手に立ち上がった。痛みに顔を歪めながらも、歩き続ける。


「時間?」

「回診だよ」


 びくり、と緋色の身体が跳ねた。白状にも病室から抜け出す悪友を追おうとするが、酷使された肉体は動かない。



「あらん♪ 目ぇ覚めたのねん?」



 ピンクのナース服に身を包んだその人。角刈りの頭に青髭が残る濃い顔。濃い目の化粧にしなを作る仕草。

 緋色の背に滝のような汗が流れる。


「んんん! 寝起きで汗だくねん? 拭き拭きしてあげるわん♪」

(汗だくなのはあんたのせいだ!!)


 腕は確かな二課の専属医。キャラの濃さも申し分ない。しかも緋色は過分に気に入られていた。


「ほうら、脱ぎ脱ぎ♪」

(なんでこんなに力強えぇんだこのオカマはっ!?)


 緋色、普通に力負けする。手術衣を剥ぎ取られる。


「本調子が出ないようだけど、思い詰めちゃダメよ」

「……はい?」


 身体をシーツで必死に隠す。おネエの専医は身をくねらせながら言った。


「癒しと、向き合う覚悟を。自分だけが抱えているわけじゃない」


 足元を指差されて、見る。今までどうして気付かなかったのか。緋色の右足にのし掛かった、毛布ぐるぐる団子少女がすやすやと眠りこけていた。何をしているのか。とは、もちろん。


「彼女、夜通し貴方についてたのよん。健気で可愛い子」







 緋色が右足を軽く揺らすと、はっと天才と評判少女が目を覚ます。寝ぼけ眼で寝惚けている。あちこちの首を傾けて口をだらんと開けている。反応が面白い。


「え――――緋色!!」

「おう、無事だ。心配かけたな」


 真っ正面から抱き着かれて緋色は目を逸らした。おネエにひんむかれて上裸だった。ディスクもそれに気付いたか、顔を赤くしてばっと離れる。


「その子、まだ満足に動けないから、よろしくお世話してやってねん♪」


 おネエは面白がってどこかに行った。だが、専属医が離れるということは、取り敢えず危機は脱したということだ。緋色は覚えていなかったが、ディスクから見てもほとんど致命傷に近い傷だった。しかし、このまま全快しそうな回復力だった。

 ディスクは辿々しい手つきでタオルを握る。包帯を外し、ネバついた肉体に纏わりつく汗と血を背に回って拭き回る。逞しい肉体だった。刃の筋肉談義も今では少し理解出来る。緋色はくすぐったくて身を揺らした。


「緋色、その回復力は」

「うん、まあ、俺の身体は普通じゃないからさ」


 異常にタフだとは思っていた。しかし、人類戦士という前例があってか、適合者の肉体強度からそんなものだと思い込んでいた。事実は異なる。頂家の当主、頂の人形。


「そういや、他のみんなは?」

「動けないギャング以外は待機中。人類戦士が封じられて、急な攻撃に備えてる」

「アネゴが!? どうなった!!」


 ディスクは渋い顔をした。その反応に緋色は嫌なものを感じるが、それは勘違いだった。単に言葉に迷い、散々迷った結果、ありのままを直接語る。


「高尾山で氷付けになってる。敵主力は撤退。陽が出たら自然解凍されるからって、回収部隊も派遣されないって。世知辛いよね。天気予報では今日いっぱい雨だもん」

「……それは、とんでもない、話だなぁ」


 同じ人間に対する対応なのかと。なるほど、天才の感覚が麻痺するのも仕方がない。ディスクの話では、ハートと刃は消耗しつつもほぼ無傷だという。流石にトップ2は頼もしい。即応体制は崩れていない。


「それより、緋色」


 話を逸らせはしない。ちょっと興奮気味に筋肉を拭き回しながら、ディスクがずいっと顔を近付けた。


「見た、のか?」

「うん、見た」


 人形のように操られ、それでも普段以上の実力を発揮していたあの姿。仮面の黒装束と鬼面武者。あの正体不明の二人組の力もあったが、それでも四天王相手に悪くない戦いを繰り広げていた。

 緋色が押し黙る。


「分かってると思うが「分かってる」


 国家機密の中でも最重要に位置する領域。天才情報少女のハッキングスキルを以てしても踏み込めないブラックボックス。それを知るのならば、相応の覚悟がいる。どんな結末に至っても、受け入れる覚悟が。


「私は、緋色と一緒に戦うと決めた」


 緋色が背後に手を伸ばした。ディスクの身軽な身体をぶん投げる。ベッドの上、自分の目の前に。満足に身体を動かせないとのことだったが、その筋力は衰えていないようだった。借りてきた猫のように大人しく着地した少女の前で、少年が目を向ける。互いに向き合う。

 話をするのだ。互いに向き合わなければ。


「了解だ、相棒バディ。いつかの約束を今果たす」


 戦う理由。少年はそれを明かす。

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