平和の番人と戦争の道具

 子どもはもう寝る時間だ。そう言った張本人が寝かしてはくれなかった。ベッドの中で待ち伏せしている要人に、緋色は冷めた目線を向けた。


「何してるんすか」

「ま、入れ」


 緋色は同じベッドに潜り込んだ。正直、どう向き合えばいいか緋色は判断が付かなかった。保留でいい、という言葉が頭に浮かんだ。


「素直でよろしい。最近調子はどうだ?」

「アンタは一体俺の何なんだ……?」


 くつくつと笑むヘルメス卿。


「ピロートークには早いかな、童貞君?」


 さっきの仕事モードとは表情や雰囲気が異なる。わざわざ仕切り直したのはプライベートモードに切り替えるためなのか。それともディスクを省いて緋色のみに用があったのか。


「白状すると、君のこれまでについては風雲児から報告を受けているからね。素性についてはほぼ把握している」


 本当に童貞なのは筒抜けらしい。


「俺にそんなに興味があるのか?」


 挑発的に言う緋色に、ヘルメス卿は笑みを崩さない。顔を近付けながら、誘うように頬を紅潮させていく。交渉のプロだけあって器用だ。


「君は可愛いなぁ。少し肩の力を抜きなよ」


 突然のドイツ語だった。やや訛りがあって緋色は聞き取りに苦労する。


「失礼。白状すると君の相談役に頼まれたんだよ。これで察して欲しいのは風雲児との親密さだよ。肩肘張るな」


 日本語に戻したヘルメス卿が緋色の頭を撫でた。不思議と全身の力が抜けていく。抱え込まれる幼児のような安心感を感じて緋色はかぶりを振るう。


「良い、非常に良い。僕が保証するのは風雲児は信用に足ることだ」

「…………」


 緋色の頬がやや朱色に染まる。妙な気分だ。


「『英雄の運命ヒーローギア』の調子はどうだ?」


 耳打ちするような問いに緋色は身を固くした。やはり、これか。緋色は答えに迷う。しかし、この事情通のことだ。それなりには知っているはず。誤魔化しは効かないと判断して諦めの溜息を吐いた。


「適合率は40パーセント付近を推移。最近また下がり初めてきたけど……」


 二課での訓練で緋色は適合率をじわじわと上げつつあった。のだが。グランドキャニオンでの戦いを経て、またどうにも伸び悩んでいた。


「たまげた」

「はい?」

「いや?」


 反応が少し怪しい。


「それでも二度も激戦区を生き抜いたのだから本当に大したものだ。タクラマカンにグランドキャニオン、熾烈な争いであったのがこの二つだと聞いているよ」


 女は少年を力強く抱き締めた。圧迫される苦しさ以上に女性特有の柔らかさを全身に感じて緋色は目を背けた。


「鍛えた、か。まさか本当に文字通りとはねぇ」

「アンタは、何か知ってるんでしょう?」


 ヘルメス卿は首を縦に振った。緋色からその手を離す。

 世界に台頭する一大勢力の顔だけあって、ヘルメス卿は色々と知っている。ならば、二課が把握しきれていないウォーパーツの秘密をも知っているかもしれない。馬鹿正直に全てを話さないかもしれないが。


「ウォーパーツは独帝の主力戦力でもあった。それはもうとことん調べ上げたよ」


 枕元に置いた三角帽を撫でる。囁くような、それでも緋色が聞き取れるように口元をはっきりと動かしたドイツ語。若干の訛りは故国と言っていたリヒテンシュタイン公国に由来するものか。


「日本だって、ドイツだってそれは同じじゃないのか?」


 自らの主力戦力であるのならば。


「違う、間抜け」


 聞き慣れない言葉だったが、罵られたことだけは分かった。ヘルメス卿はやや感情的になっていた。字面通り、


「奴等はロクに知らない。知らずにあの超常の兵器を使い続けている。僕には到底理解出来ない愚かしさだ。我々は違う。アプローチが違う。こちらが正解だ。占星術が鍵だったんだよ。ウォーパーツが何故デビルに有効なのか少しは考えるといい」


 にたりと口元を歪めてヘルメス卿は続ける。


「君はウォーパーツをただの道具だと思っているだろう? 動かない、意思の無いただの道具だと」


 緋色は慣れないドイツ語を必死に聞き取ろうと耳に神経を集中させた。


「適合率は信頼関係だ。もっと『ヒーローギア』を理解しろ。深く関われ。認められろ。愛されろ。その絆こそが糧となる」


 刃は家宝でもある『天羽々斬り』の手入れは日々怠らないらしい。敬意を持って武人の魂に愛情を注いでいた。キャプテンデイヴは『双戦銃ザババ』を自らの相棒だと誇っていた。背中を、命を預けられる仲。ディスクは『円盤ザクセン・ネブラ』を不気味なまでに猫可愛がりしている。

 極めつけは人類戦士。もはや融合者とまで呼称されている彼女は、自らの手足と同等に『ヒーローハート』を発揮させている。心臓の半分を分け合うその姿は、まさに一心同体。


「そんな、根性論が本当に力になるのか?」

「信じることは、力になる」


 ヘルメス卿の目の色が戻る。


「そうやって我々はここまで来た。信念の深さは人の強さだ」


 信念が、決定的に足りない。

 あの日人類戦士が発した言葉が胸を打つ。緋色は黒い腕時計を見た。肌身離さず身に付けている。それはそうしろと言われたから。それ以上の理由なんてどこにも無かった。

 緋色の信じる世界。それはあの真っ赤に燃える男の背中。全てを賭して拳を握った男の背中。あの場に、『ヒーローギア』だって確かにのだ。


「ヘルメス、さん。戦争を撲滅するっていうその思想、今でも正しいと?」

「でなければ戦えなかったのが我々だ」


 言葉を日本語に戻す。


「絶対的な正しさなんて……途方が無い。手は届かない。何を信じてどう進むか。進むか、進まないか」


 全てはただ二者択一。枝葉を取っ払ってしまえば、幹はただ一本聳え立つ。



「だから、さ。君はちゃんと違う道を、自分の道を見つけてくれよ」



 少年の頭に小さな手が添えられる。それでも、包み込むような温もりが大きな手を連想させた。三角帽を手に、女はベッドを降りる。


「人には戦いを止める強さがある。だから見極めろ。成長を楽しみにしている」







「じゃあの」


 そう一言だけ残し、要人は翌朝に発った。何をしに来たのか勘ぐる者も居たが、人類戦士に慣れている彼らの多くは深く気にしなかった。


「見送りご苦労」

「ご足労感謝します」


 一人外まで付いて来た司令がヘルメス卿に耳打ちする。


「緋色はお気に召しましたかな?」

「……お前も大概性格が悪いな」


 魔女ルックの女は苦笑した。


「『勇者ブレイブ』の背中を追う人形、か。良くここまで漕ぎ着けたものだよ」


 は聞いている。


「そう、うまくいくもんかね……」

「それはアイツ次第。元気でやれていれば十二分です」

「相変わらずだな、お前は……」


 風雲児司令が軽く小突かれる。


「明日を生きる子どもたちのために戦うのは大人の務めです」

「それを言われると弱るなぁ。ま、いい子だったな」


 その一言に司令は満足したようだった。サングラスを外して一礼する。


「まだまだ不安定だ。支えになってくれると僕も嬉しいよ」


 ヘルメス卿は右手を差し出した。歴戦の大男が力強くその手を握る。


「いずれ、日欧でこうして握手出来るよう尽力する」


 ヘルメス卿は、まるで年頃の少女のようににこやかに微笑んだ。

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