武蔵野街歩き
遊び方を教えてやる。そんな口約束をしたのはいつだったか。厳戒態勢が解けた今、緋色は焔に連れられて外に出ていた。
「どうだ、シャバに出た気分は?」
「たくさん、人がいるな」
それはデンバーでも同じ感想だったが。監禁生活が長かった緋色にはやはり物珍しいものだ。
「私の実家は三鷹だからこの近くだよ」
ディスクも付いて来た。焔に誘われたらしい。最近やけに付きまとわれる。
「ここは……武蔵境だっけ?」
「ああ、昔はがっつり付近の学生の溜まり場になっていたらしいぜ?」
それは吉祥寺である。同じ武蔵野には違いないが。
「緋色……そのTシャツ着てきたんだ」
「……敢えて突っ込まなかったんだがなぁ」
首を傾げる緋色が袖を通しているのは、「リヒテンシュタイン」と大きなロゴが踊る赤Tシャツ。デンバーからの帰りに空港で吟味していたものだ。
「いいだろ」
服を摘まみ上げて笑う緋色に二人は口を噤んだ。少年が楽しそうで何よりである。特務機関に所属しているヒーローたちには、決して少なくない給料が支給されている。偶にしかない休みに羽目を外すにはうってつけだ。
「ギャングは一緒じゃなかったの?」
この二人も仲の良い
「……ああ、あいつはなぁ、外出がなぁ……後で本人にでも聞いてくれ」
答えてくれればだけれど、と気になる締め方をされた。何か事情がありそうだ。
「なあなあシャイン、アレなんだ?」
緋色は背の高い建物を指差した。複合型のアミューズメント施設。雄大な自然と同居したデンバーの街並と、雑然と人と建物が入り交じる武蔵野の街。違いは明白で緋色はどこか浮かれていた。
「ボウリング、行きたい」
「……地面を掘るのか?」
大喜びで地質を分析するディスクの姿が頭に浮かんだ。あまり違和感がない。どころか様になってすらいる。同じ光景を思い浮かべたのか焔も吹き出した。
「違う違う、百聞は一見にしかずだ。やってみるといい」
そう言って二人の背中を押した焔は施設内に踏み込んだ。
◇
「緋色、へたくそ……ふふ、へたくそ」
「うるせえなぁ! 初めてだから仕方が無いだろぉ!!」
出口付近で二人が言い争う。顔を真っ赤にしてムキになる緋色の姿はどこか新鮮だ。焔は面白がって火を注ぐ。
「にしてもガーター連発とはなぁ……終いにゃあバンパーの出番ってな」
「あれ、初めて、見た……っ」
小刻みに震えるディスク。頬を染めながらやや下から斜め下へと視線を往復させ続ける少年を見て少女はさらに笑った。
「ごめん……でも、ああごめんって!」
ディスクもいつもとキャラが違う。いつもと違う空気に羽目を外したか。年頃の二人の反応を見て焔が口角を上げた。
「ほら、悪かったって! 詫びにファーストフードを奢ってやる。食堂での健康食がアホらしくなるほどの脂っぽいやつな」
食欲の湧かないことを言う。緋色の反応もイマイチだ。だが、焔には見える。目の色変えてギトギトしたポテトやバーガーに食らいつく赤髪の姿が。いつぞやに聞いた外食などしたことないという衝撃的な発言。あれが真実ならば旨味の暴力が放つインパクトは測り知れないだろう。
「しっかしすごい人だな」
色々なものから目を逸らせるために緋色は話題を変えた。デンバーの時も同じことを感じたが、狭い中でひしめき合っている光景を見ると思いもひとしおだ。
「こんなんでビビってたら新首都でぶっ倒れるぞ」
デビル・マオウの襲撃により衰退の道へと進んだ旧首都東京。あまりにも速やかな首都移転には誰がどう見ても裏がある。それについて知るところのないではない緋色はそれを表に出さずに嘆息した。どうにも人の多さに慣れていない。
「こわい?」
ディスクが覗き込んでくる。もうからかうような表情では無かった。緋色はぐるりと辺りを見回した。
「かも、な」
もっと大勢居たら本当にぶっ倒れてしまうかもしれない。デンバーでも似たような感覚があったが、端的に指摘されて初めて自覚した。
「でも、これが、俺たちが守っている景色なんだよな」
人を救ったことがあるか。その質問には答えられなかった。デビルを倒して国を守る。それが人間個人個人を救うことに結び付けられない。
「そう思ったか、お前は」
「シャイン?」
焔は声をひそめた。
「お前らが加わってから明らかに国防軍との共同作戦が激減した。そして、民間人との接触も極力排除されている。ここまで来ると性質の悪い洗脳ってもんだ」
それは、日米交換留学に緋色を出したことと繋がらない。あれを経て緋色の意識は変革に向かった。一課の命令か司令の思惑か。少なくとも一辺倒の洗脳に留まらないことを緋色は理解していた。
「お前らは何だ? どこにそんな戦略的価値がある?」
ディスクは小首を傾げていた。彼女ではない。緋色は自分の境遇を思い浮かべた。『
「知らねえ。師匠にでも聞いてくれよ」
焔は今度はディスクを見た。今度は反対側に小首を曲げる。実は何か知っているのではないかと疑う動きだ。
「ま、いいか」
どこに監視の目があるか分からない本拠地内ではしにくい会話だったが、焔は深く拘らなかった。踏み込みすぎない方がいい領分というのもある。それに。
「お前らはお前らだ。やりたいようにやったらいいさ」
にやりと笑う。自由な奴が強い。彼はそう言っていた。案外この外出も彼なりの狙いがあったのかもしれない。緋色とディスク、新人二人がどういう奴か。
「とにかく飯だ飯。何食べたい?」
「私、カフェに行きたい」「何かウマいもん教えてくれよ」
意見が纏まらない。焔はスマートフォンを操作して適当に幾つかの店を見繕う。三人でここがいいあそこがいい、と。こんなぐだぐだも、新鮮みがあって楽しいものだった。
◇
(やばい、やばいやばいやばい)
言い得ぬ焦燥感か緋色を急き立てる。これまでも危機はあった。タクラマカン砂漠、グランドキャニオン。それでもここまでの焦燥感は無かった。先の見えない恐怖に心臓が鷲掴みされる。それを表に出さないよう苦心しながら緋色はがむしゃらに足を進める。
(はぐれた…………っ!)
人混み(そんなに多くない)に飲み込まれて気付いたら二人の姿を見失っていた。無論、土地勘は全くない。非常事態だった。
(どこだ、どこだ、どこだ)
とにかく合流を。足を進める。その行為が迷子を一層悪化させる。走り出す。右に曲がった。居ない。速度を上げる。どこにも居ない。やがて足を止めて呆然と立ち尽くす。
「もし――――そこのお方」
低めの良く通るハスキーボイスだった。最初緋色は自分が声を掛けられていることに気付かなかった。もう人混みと呼べるほど人は居なかったが、それでも緋色にとっては決して少なくない数なのだから。
「その文字は我が故国、フュアシュテントゥーム=リヒテンシュタインではないかい? いやあ奇遇だよ。こんなところで目にするのが故国の名とはね」
ドイツ語圏。金髪碧眼、典型的な西欧人の風貌だ。背はディスクと同じくらい低い。金髪のツインテールを振りながら少女は口を開く。
「ん? 日本語がおかしかったかな?」
「いや、大丈夫、通じてる」
外見は少女だが歳が読めない。
「ちょっと困ってるのが僕なんだ。少し助けてくれないか?」
人助け。体感的には初めての経験。キャプテンデイヴに問われたことを思い出す。人を助けたことがあるか。これから助けるのだ。緋色は力強く頷いた。
「実は道に迷っていてな。案内を頼めるか?」
無理難題だった。
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