緋色の帰還

 目が覚めた時、戦いは既に終わっていた。緋色は枕元で突っ伏しているディスクをただ見ていた。


「彼女、夜通し貴方に付きっきりでしたよ」


 びくっと緋色の肩が跳ねた。黒スーツをきっちり着こなし、堅苦しい印象の眼鏡がキラリと光る。黒鳩犬子。ヒーローではない彼女だが、あの戦場でも目立った外傷は無い。


「米軍兵士に尊い犠牲が何人か出ました。SECT:Hに死者は無し。ネームドを一体仕留めたにしては中々の戦果です」


 緋色は感情的になるのをぐっと堪えた。殉職した彼らとて覚悟を決めた戦士だ。代わりに緋色は枕元で突っ伏したままの少女に目を戻す。


「どうなった?」

「デビル・アビスの軍勢はネームドを一体失い撤退しました。途中参戦した人類戦士は四天王二体と交戦、最優先攻略対象共々取り逃がしています。データは十分に取れたので痛み分けといったところですか」


 痛み分け。本当にその表現は適切なのだろうか。緋色はグランドキャニオンの戦いを省みる。ここ一番で目立った戦果を上げていない。無様にデビルに敗北しただけだった。何の役にも立っていない。


「俺は、何も出来なかった……」

「生き残るだけでも立派な戦果です」


 人類戦士がいる。何があってもあの屈強な戦士がどうにかしてくれる。今回だって最悪の結末は回避出来た。しかし、と緋色は思ってしまう。


(たった一人に戦わせること……そんな戦況がいつまで続くのか)


 それは、口に出せば黒鳩には自惚れだと一蹴されるだろう。同じように戦場の最前線で拳を握り締める。そんな光景を思い浮かべるなどと。

 ノックの音が鳴る。どうぞ、と黒鳩は応じた。


「失礼する。SECT:H所属、スナイパーのエルだ。この度は貴公との交換留学で日本に滞在していた」


 緋色は気だる気に顔を向けた。まだ頭がぼうっとする。


「感謝する、日本の英雄よ。ステイツのために戦ってくれたこと、隊を、いや国を代表して礼を言う」


 堅苦しい言葉を聞いて緋色は反応に困った。彼にとってはデビルと戦うことは当然の義務であったが、やはり世界にとってはそうでは無かったみたいだ。ただでさえ、緋色は負けて途中離脱しただけなのに。

 だが、彼は理解していなかった。あの激戦区で将を引き付けていたことの意義を。それだけで指揮系統に乱れが生まれ、SECT:Hも堅実な戦略を取ることが出来た。


「そうだよ。緋色はすごいんだから」


 目を覚ましたディスクが寝ぼけ眼で緋色を見つめた。


「だから、大丈夫。そんな顔しないで?」


 そんなに、酷い顔をしていたのか。緋色は両の頬を打った。せめて、誰かが見ているところでは強がらなければ。


「ディスク、お前にも礼を言う。本当にありがとう」

「照れ臭いってば」


 気さくに会話する二人を緋色は見回した。

 

「私たち、友達になったの」


 にっこりと笑うディスク。国境を越えた友情が二人の間には感じられた。その暖かさだけが、緋色には救いに感じられた。







 即時帰国する、というのは寝耳に水だった。だが、それは当然のこと。ウォーパーツの適合者である緋色にはその肉体をも機密に指定されている。別の機関での検査は御法度だ。


「よぅ、緋色」


 もう歩けるまで回復した緋色を待っていたのはキャプテンデイヴ。後ろにはボロボロながら笑って並ぶSECT:Hの面々。見送りのようだった。


「俺を助けてくれたの……キャプテンだよな?」


 デイヴは首を縦に振った。


「緋色も俺たちを助けてくれた。アカツキの言うとやらを真っ当しただけだぜ、兄弟」


 デイヴが手を前に突き出す。緋色はそれに応じた。握手した右手から力強い脈動が伝わってくる。他の隊員とも一人一人握手を交わし、それが力となる。


「緋色、俺が話したことは世界の現状だ。だが、それは世界の一面でしかない。もっと世界を見ろ。そして見極めるんだ」

「お前ならうまくやれるさ。根拠はいらん。ただただ進め」


 レディが緋色の背を叩いた。随分と気に入られたようだ。緋色はむず痒さを押し込めて小さく笑った。


「じゃあ、行こっか」


 ディスクが手を引く。お互いに知らぬところで道を進めたのだろう。それが二人の間ではっきり感じられた。


「ありがとう、またな」


 笑って、緋色はデンバーを後にした。







 特別任務遂行二課。一週間ぶりに戻ってきた緋色をハートと司令が出迎えた。

 緋色はこれまでのように二人の顔を見れないでいた。ハートの柔和な笑みが途端に胡散臭く見えた。


「帰還致しました」

「御苦労。黒鳩、報告を」


 黒鳩はハートの後ろを付いて行く。デビル・アビスとの戦いは彼女に詳らかに報告していた。一連の戦いを彼女は報告するのだろう。今となればそのために彼女を派遣したのだろうとさえ勘ぐれた。


「ディスク、君もメディカルチェックを受けておけ」

「はい、司令」


 素直に聞き入れた彼女は医務室に向かう。聞き分けが良い。そう思ってしまうのは認識が変わってしまったからか。


「流石、無事に戻って来たな」

「……何でだよ、師匠」


 それでも、彼は師匠と呼び続けた。まだ、聞かなければいけないことが残っている。見極めろ、あの大英雄はそう言った。


「軟禁状態を良いことに……俺に与える情報を選んでいたろ」

「その通りだ」


 司令は肯定した。緋色が聞きたいのはその先、理由であり動機だ。


「どのみち、お前は戦いの運命からは逃れられない。だから、死なないようにより強くする必要があった」


 与える情報を選んで。迷い無く真っ直ぐに鍛錬に打ち込めるように。事実、だから今の緋色があった。


「そんなの……洗脳と何が違う」


 緋色は、納得出来ない。彼の内に込み上げる感情は、裏切られたという気持ち。



、アンタは必死に戦ってくれたじゃないかっ!! 何だったんだよ! 何なんだよこれは――――っ!?」



 少年の言葉は悲壮に響く。信じていた価値観に裏切られた。何が正しいのか、正義とは何か。それを見失った。


「それが人としての迷いだよ。お前は人形ではなく、人として強くなって欲しかった」


 お前には決定的に信念が足りない。そう言われた。


「握った拳は相手をぶん殴るためのものだ。だから俺はまずそれを与えた。お前には力がある。何を為すためにも力がいる」


 戦う力を得るために。道を狭めた。最短で一直線に。それは死なないために戦う力。最後まで走り続けるための手段。


「意味なんてあったのか」

「意味はお前が作るんだよ」


 司令はサングラスを外した。力強い目線で彼は言う。


「言ったろ。どのみちお前は戦いからは逃れられない。人類戦士にすがるのも無駄だ。アレは決して万能じゃない。お前は、自分で選んで決めるんだ」


 託されたものはどこまでも重く。『英雄の運命ヒーローギア』を継いだことは何の因果なのか。彼は自ら道を切り開いていかなければならない。


「揺らぐな、思い出せ。お前は最初に何を思った。それが世界の真実だ」


 真っ赤に染まったあの背中を夢想する。そこが少年の始まりだった。迷いも矛盾も飲み込んで。そうやって前に進んでいるヒーローの姿も知っている。


「まだ……納得出来ないよ」

「しなくていい。だから人は足掻いて戦う」


 その大きな手が緋色の赤髪に乗せられる。むすっとした表情のまま緋色は黙りこくる、司令は疎く、そして緋色は理解していなかった。

 育ての親同然の相手に裏切られた、そんな漠然とした不安が少年を包んでいたことに。







「互いにうまく拾ったな」


 時は遡り、デビル軍の撤退を確認した人類戦士とキャプテンデイヴは大地に座り込んでいた。激戦区だった。何せ四天王二体と攻防を交わしたのだ。


「俺はともかく、お前は守りに入ったままだったろ。敵が引いてくれて助かったよ」


 恐るべきはデビル・ヘルムの操る氷の魔眼。決まれば即死の攻撃を人類戦士は何度も受けきった。未だ底知れない不死身の戦士。


「だから引いてくれたんだよ。これ以上踏み込んできたら向こうも誰か討ち死にしていたはずだ」


 慢心無く、純然な事実といった風に人類戦士は言った。彼女も氷の女帝と実際にやりあうのは初だった。そして、手の内を知れたのならば対策は立てられる。彼女にとっては決して悪い戦果ではない。


「っても、今回はガチで居てくれて助かった、デイヴ」


 攻略されていた可能性があった。不死身の戦士が討ち取られる危険もあった。デイヴのサポートあってこその結果。


「ステイツの戦い何だから俺が一番身体を張るべきだろうに。ああ、そうだ。緋色もそれなりに戦果を上げたみたいだぞ」


 ほう、と人類戦士が目を輝かせる。相当に入れ込んでいるな、とデイヴは苦笑した。


「なぁ、アカツキ。お前は何で緋色にそこまで拘るんだ?」


 彼女が呆けた顔を浮かべる。経験上、あれは素の表情だ。それだけこの質問に動揺している。


「あの『ヒーローギア』の担い手。確かに戦力的にも政治的にもキーマンと呼べる」

「だろ? アイツはこれからの時代の中心人物になる」

「本当にそう思ってんのか?」


 取り繕うとしているのがバレバレだ。一度崩れると途端に彼女は分かり易くなる。


「俺は緋色を買ってるぞ。まだまだ未熟だが、心の芯に熱いものを抱えている。そういう奴は強いんだ」

「心の芯、ね……」


 左胸に手を当てる。脈打つ『英雄魂ヒーローハート』の鼓動を感じる。緋色にも、鼓動があったのだ。


「気付いてるか? お前さんが緋色の保護者面しているってのを。彼に何があるんだ?」


 人類戦士としてでは無く、彼女個人として。そうなる理由があった。彼女が緋色をどう思っているのか。大切な弟分に。



「あたしは――アイツが可哀想だと思ったんだ」



 そうか、と。デイヴは話を切り上げて立ち上がった。深く踏み込むべきではないと判断した。それに、そろそろ回収部隊が到着する頃だろう。


「込み入った事情がある。皇国絡みだ」


 言い訳するように付け足す。デイヴは黙って手を差し出した。これまで人類のためにその身を賭してきた女。そんな彼女の見方が少し変わった。


「アカツキも人の身だ。誰にだって事情がある。恥じるなよ」


 手を掴み、それでも目を背ける。黙り込んだ彼女にデイヴは笑いかけた。


「良い店を紹介してやる。夜になると景色が輝くんだ。派手に乾杯と行こうぜ?」

「くくっ……歯の浮くような口説き文句だな、色男」

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