デビル・アビス
「緊急入電、この反応は……デビル・エッグです!!」
左オペレーターがらしくない声を上げた。直通連絡で司令に状況が次々と送り込まれていく。二課本拠地に重いサイレンが鳴り響いた。傍で構ってもらっていたディスクが我に返る。
「待って……アメリカがデビルに襲われている? そんな連絡私たちには……っ!」
「あなた方ヒーローは国外での活動を許可されていません」
「でも、緋色は……っ!」
抗議の目を向けるディスクに、左は取り合わない。交戦中。オペレーターは確かにそう言っていた。
「ステイツが襲われている! 状況はっ!?」
転がり込んできたのはエルだった。彼は米国の兵士。他人事ではない。
「激しいねー……状況は受信出来てるんでしょー?」
中田オペレーターが挑発的に見遣った。二人の間にはいつの間にかハートが立っていた。遅れて司令も到着する。
「最優先攻略対象……五年ぶり、か」
緊急召集されたヒーローたちが次々と転がり込んだ。それ程の事態。
「司令」
「迎撃には加わらない。無理に動いても死人が出るだけだ」
ハートは首肯した。
「でも! 緋色が!」
「分かっている」
ただ一人、ディスクだけが喚いていた。
(どうして……どうして皆何も言わないのっ!?)
二課のヒーローは、国を守護する英雄なのだ。国を
ディスクは分かっていた。頭では分かっていた。しかし、それでも感情は割り切れない。ノイズ塗れの計算式を組み立てる。
「だから……頼んだぞ」
「合点」
本部室の入り口。不敵に腕を組んで人類戦士は笑った。人類の代表者たる彼女に国境線はない。ディスクはきっと彼女を睨み付けた。
「……私も!」
「お前は駄目だ、ディスク。万が一があってはならない、自覚しろ」
「俺は行くぞ」
名乗りを上げたのはエルだ。彼には戦地に行く道理がある。誰も止めはしない。だが、人類戦士は人差し指を立てた。
「どうやって行く? ジェット機を日本が貸してやる義理はないぜ。そもそもアリゾナまでどれくらいかかると思ってるんだよ」
「貸すさ。同盟相手の願いだ。義理はある」
「……感謝する」
出鼻を挫かれて人類戦士が唇を尖らせた。
「俺様は別口で行かせてもらう。例のヤツだ。……あと、流石に戦力が足りねぇ」
予想外の要求に司令が眉を動かした。タイミングがタイミングなだけに冗談めいた意趣返しとも取れかねない。
「刃は動かせないだろ」
人類戦士はハートを意図的に視界から外して辺りを見回した。
「雑魚はいらない。そいつを連れて行く」
ポニーテールの少女。ディスクが決意に満ちた表情で前に進んだ。止めようとする司令を人類戦士が遮った。
「俺様が探らないとでも思ったか。どのみち修羅場を潜るんだ。場数を踏むにこしたことはない」
「死なすなよ」
「死んだらその程度ってことだぁよ」
用意されたのは大陸間弾道ミサイル。タクラマカン砂漠に飛んだのと同じ。ミサイルで米国アリゾナ州まで飛んでいく。ディスクの小柄な身体を人類戦士がすっぽりと覆い隠した。
「久しぶりに抱かせろよ」
耳元で囁かれてディスクがそっぽを向く。その反抗的な態度にぞくぞくするように女は口元を歪めた。
「エル、じゃあ向こうで」
「死ぬなよ、ディスク」
短い間で異国間の友情を築いた。二人は固い握手を交わす。
◇
「圧倒的な物量。押し潰されて昇天しちゃいなさいな」
デビル・エッグ。最優先攻略対象。その脅威は緋色も知っていた。体感していた。撒き散らすようにデビルを産み落としていく悪夢の権化。アレが戦場に現われた時、そこは極限の激戦区と成り果てる。
無尽蔵に溢れ出るデビルに押し潰されるか。逆に討滅出来ればそれだけで全ての戦況が引っ繰り返る。デビルの増殖を封じ込む、それだけで見出される活路がある。
「やらせねぇ!」
緋色が大地を蹴った。アビスの呆けた顔が頭上に浮かんだ。瞬間急加速、瞬歩。女王の土手っ腹を打ち抜く掌波。剥き出しの岩肌にその身が投げ出される。
「ウォーパーツ抜き、で……!」
その左手に不気味な程真っ白い雷光が練り固まる。もはやレーザー。しかし、直線軌道の光線は体裁きだけで回避される。
「舐めるなっ!!」
両の腕ががしっと開かれ、雷が大地を焼く。だが、緋色はもう彼女の側面まで届いている。脇腹と横顔。ジャブで怯ませて懐に。
「――龍王双波」
物理耐性を持つデビルに生身の拳は効果が薄い。緋色は防刃グローブを強く引いた。それでも攻撃は届く。将を失えば指揮系統は瓦解し、それは決定的な一手となる。
(消耗の激しいギアは決め技だ――ただでさえ一度飛ばしている)
アビスと相対する直前、それは不発に終わった。もう一度試す前に出来るだけ追い詰めておきたい。
「勝てる――そういう顔をしているわね」
女デビルの背から黒い翼が広がった。放たれるのは指向性を持った雷撃。狙いは読みやすい。緋色は足裁きだけで回避する。
「気に入らない」
接近は警戒されていた。翼が防壁として拳を阻む。全方位の雷撃。緋色は距離を取った。
「下、等、生、物、が」
音がゆっくりと耳に入る。
(え――何、で っ……!)
吐息がかかる程近く。アビスは急加速で緋色の懐に潜り込んだ。掌底の構え。緋色は大地を揺らす。
「地龍」「こんなんだっけ?」
全身沸き立つ衝撃に緋色は怖気だった。地面を揺らして辛うじてクリーンヒットを防いだ。だが、これは。
(発勁――っ!?)
緋色の攻撃を受けてから動きがまるで違う。今も翼を畳み、接近戦を仕掛けてくる。雷撃とのコンビネーションに緋色が押され始めた。
「学習してんのか……?」
「アビスちゃん、天才だからねん♪」
ディスクのような分析して対策を取るタイプとはまた違う。戦いを通して急速に成長し、貪欲に相手の技術を飲み込んでいく。さながら、渦巻く深淵のように。弾き飛ばされた緋色が岩肌を滑る。
「あたしには野望があるの」
優位に立って機嫌を良くしたか。はしゃぐように喋り始めるアビスを、緋色はそのままにしておく。『ヒーローギア』の発動に万全で臨みたい。時間を稼がせてくれるのならば好都合だ。
「あたしはこの宇宙の支配者になる。それで綺麗なもの、美しいものをみーんなあたしのものにしちゃうの」
言っちゃった♪ 言っちゃった♪
とアビスが跳ねる。彼女はデンバーの街並を気に入っていた。あれは自分のものにしたいという欲求の発露だったのだ。戦場を市街地にしなかった理由も予測がつく。
「人類は醜い。だからいらない。美しくないものは滅ぼしちゃうの」
美しくない。そう端的に評されて緋色が顔を歪める。
「あら、気に障ったかしらん? 無益な争いを幾千年も続けているらしい進歩の無い奴らに美学は感じないわよぅ」
緋色は反論出来ない。キャプテンデイヴとの会話を思い出す。人の歴史は戦争の歴史。人は沢山の人を殺し、そして殺されてきた。
そこに、果たして正義はあるのか。美しさはあるのか。答えは出ない。それでも、レディは言ったのだ。保留でもいい、と。急いで答えを出す必要は無いと。
(必要なのは、拳を握って前に進むこと)
「あたしは違う。絶対的支配で醜いものを根絶する。美しい調和のためには、人類も幾らか残してあげようかしらん」
「それは最後まで勝ち残った奴の言葉だ」
世界を知らない挑戦者。そういう意味では緋色とデビル・アビスは似通っていたかもしれない。だが、だからと言って和解は有り得ない。緋色は、ここでこのデビルは討滅するべきだと思った。それは直感であり、確信。
「回れ、『ヒーローギア』!!」
歯車が回りだす。噛み合い紡ぎ出す英雄の運命。緋色が吠えた。浮かぶ歯車を背に、緋色は渓谷の大地を蹴った。デビル・アビスは余裕の笑みで迎え撃つ。
「なぁに?」
身体を潜り込ませて翼を伸ばす。勢い良く広がるそれは鋭利な凶器。緋色は身を返して回避行動を取る。追撃のアビスに振ってくるのは小型な歯車。雷に迎撃され、それでも一瞬目を逸らさせた。
「速い――っ!」
背面。女王が振り返るがもう遅い。緋色の渾身の右ストレートが放たれる。
「ギア・インパクト!!」
瞬く雷撃が世界を塗り潰す。これは、カウンターだ。緋色の一撃が入る前に事前に張っていた電磁障壁が牙を剥いた。
「なぁぁんちゃって♪ 秘宝の一撃は脅威だけど、来る攻撃が分かっていれば対処出来ちゃう。あたしって天才だから」
デビル・アビス。深淵の女王。
彼女の周りに不自然なほど明るく光る球体が複数浮かんだ。紫電纏うそれらは接近戦主体の緋色には厄介極まりないだろう。それ以上に、痺れる肉体を引き摺りながら彼はウォーパーツの発動を維持するのに精一杯だった。
「……ふふん」
その光景を見て女王は微笑んだ。一目瞭然だ。赤髪のヒーローはもう満身創痍。
「残念ね。坊やがやられたって言うからどんな奴かと思ったら……半端は不快よ」
だって醜いもの、と。嘲笑を浮かべながら女王の右腕が帯電し始める。トドメを刺す気だ。大技が来る。緋色は気力と活力を振り絞った。こんなところで終わるわけにはいかない。
「集えよヒーローソードォォオオオ!!!!」
歯車が象るのは幅広の大剣。生成しながら振り上げる緋色に雷球が殺到する。避けられない。まともに食らった緋色が煙を上げながらダウンした。ウォーパーツが解除される。デビル・アビスの高笑いが響いた。
(ちっくしょおおお――――!!!!)
雷雲渦巻く空模様。莫大な電子の循環を抱え込み、女王が屹立する。自然界の雷を凌駕する破滅の雷。今は彼女の支配下にあり物理法則から隔絶されているが、それは間もなく解き放たれる。
「終焉よ――――ラグナロク」
暗雲が、吹き飛んだ。溢れる光が天地を満たす。アビスはまだ右腕を振り下ろしていない。唖然とした表情で空を見た。直後、衝撃音。巨大な質量が落下した衝撃。
「何、が――――ぁ……っ」
デビル・アビスの右手が弾け飛んでいた。電子の濁流が霧散していく。
そして、緋色にはこの衝撃音に覚えがあった。あれはタクラマカン砂漠の時と同じだ。増援到着。それも、この上なく頼りになる、まるでここぞとばかりのヒーローのような。
「ぎぃゃああああぁぁぁああ――――!!!!」
アビスの悲鳴が。ドクドクと鮮血を垂れ流しながら砕けた右手を振り回す。デビルにも血が流れている。人類戦士の言葉は本当だった。
「これ、これって、秘宝の……っ!?」
ウォーパーツによる遠距離射撃。緋色は荒い息を吐きながら立ち上がった。今ならば隙だらけ。緋色は拳を握り前に進む。
「冗談じゃない! 何なの! 下等生物風情がどいつもこいつも! このアビス様の踏み台になってればいいのにぃぃいいい!!!!」
激昂したアビスが翼を広げる。取った行動は、逃走。喚きながら逃げ出す女王だが、緋色に追う程の余力は無い。それでも、緋色は足を前に出す。
(そうだ、俺はデビルを倒すんだ。そのために、だから……っ!!)
◇
「義理は果たしたぜ、アカツキ」
『碧門銃イガリマ』による超遠距離射撃を終えて走り出す。デイヴィッド=ガンマン、ステイツの大英雄。頭部を撃ち抜いても放たれた攻撃は緋色を消し飛ばしただろう。攻撃の起点となっている右手を潰すしか少年は救えなかった。
そして、狙撃に二度目は無い。回避か、最悪手痛い反撃を食らう。デイヴは深追いよりも最優先攻略対象の討滅を優先した。どちらにせよ、あのデビルはしばらくまともに戦えない。
「さぁて、ここから正念場だ。頑張れよ、俺」
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