この頃のディスク

 うつ伏せに突っ伏した少女に冷たい視線が降り注ぐ。だらんと重たくなった腕を放りながらディスクが呻く。


「基礎錬成不足」


 端的な英語でエルは評した。ここ数日成り行きで二人で行動する機会が増えていた。米国特務機関の訓練は時間も内容もみっちりらしい。エルは各々勝手に鍛錬に励むヒーローたちに当惑していた。そして所在なさげに絡みやすい新人に付きまとっていた。


「……暇なの?」


 ディスクは流暢な英語で返した。エルが言葉に詰まった。ハートが組んだ錬成メニューに没頭するディスクは汗を拭いながら立ち上がる。筋力増量というよりは、より長く効率的に動ける身体作り。


「話には聞いていたが、ジャパンの秘密主義は相変わらずだな。呼んでおいて訓練内容は明かさないってどういうことだ」


 彼としてはトップのハートに着いて訓練を経験したかったに違いない。断られた際の次善の策は、臨界者として名を馳せる刃。この二人には問答無用で断られた。他のヒーローたちは受け入れはしたものの、あまりの居心地の悪さに絡みやすい新人に逃げてしまった。


「それは同情する」


 ディスクは身体を解すようにシャドーボクシングを始める。緋色の真似だった。エルが無言でスパーの相手を買って出て、数発合わせた後に足払いで転がした。


「新人というのは本当らしいな。頑張っている素人感がむしろ愛おしいぞ」


 唐突に愛を囁かれてディスクが頬を染めて俯く。エルとしては小粋な冗句を披露したつもりだが、真に受けられて反応に困る。


「本当も何も……本当だよ」

「どこか妙な風格があったからな。実は若作りのベテランではないかと疑っていた」

「そんな愉快な設定など求められていないっ」


 ディスクが臨界者であることは何故か外部には秘密にされている。彼女にはその理由に心当たりがあったし、その処置を取った司令の狙いも大方予想が付く。俯いたまま有耶無耶に誤魔化す。


「しかし、特務に来る前にも何か鍛錬はしていただろう?」

「え……いや?」


 こちらは思い当たる節が全くない。ネブラの起動実験を思い出したが、あれは脳波を測定したり薬でバイタルを整えたりするだけで鍛錬と呼べることは何も無かった。彼女の意識を変えたのは赤髪の少年だった。

 首を傾げるエルにディスクがさらに首を傾げる。


「優秀なコーチがいた」

「身体も出来上がっていない奴がすぐに成果など出るものか。やはりアレか? ウォーパーツの適合者は身体能力も上がっていくという眉唾ものの」


 そんな仮説があるのはディスクも知っていた。科学的根拠の無い原理不明の現象。ただ、ウォーパーツとの適合を果たすと身体能力が向上するというのは、ウォーパーツによるものなのか訓練によるものなのかは議論が分かれている。


「ウチのキャプテンも超人的な動きをするからな。臨界者ぐらいになると格が違うのかもしれない」


 そういえば、とディスクは思い出す。同じ臨界者である刃も身のこなしだけなら緋色を超えると少年は言っていた。そこに食らいついていける緋色が化け物じみているのか、刃の鍛錬が本物なのか。自分の現状を思い返すとこの仮説はやや怪しいのかも知れない。


「エルはどんなウォーパーツを使うの?」

「俺は適合者じゃない。ステイツでの適合者などほんの数人だぞ」


 と言いつつそれ以上は語らなかった。


「お前はどんなウォーパーツを使うんだ?」

「『円盤ザクセン・ネブラ』。超高密度情報集積体の円盤、ネブラを――――」


 こちらは早口で長々と語り始めた。







「おう、時間通りで結構だが……メリケン野郎も一緒か?」


 息巻く緑のブルゾンはギャング。ディスクは本日、実は口が悪いだけで面倒見が良いと最近分かってきたギャングに鍛錬の相手を頼んでいた。


「見学だ。可能なら一緒でもいい」


 エルが慣れない日本語で答えた。言語には明るくないようだ。


「いや、見てて。後で感想を聞きたい」


 断ったのはディスクだ。不機嫌に鼻を鳴らすエルに、彼女は下から見上げる。


「俯瞰した方が問題点も浮き彫りになりやすい。何より、エルの意見は参考になる」


 そうか、とエルは引き下がった。ギャングがその光景を苛ついた表情で睨み付けている。


「おらおらいいから始めるぞっ!!」


 『宝球コスタリカ』。三つの石球が浮かび上がった。打たれ弱いディスクが思い至ったのは見切りの技術。ハートとの特訓だけではなく、様々なアプローチからの修得を目指す。ネブラの制御に加えて自身の身のこなし、さらには敵勢力の攻撃をシミュレート出来れば多くの状況に対応出来るはずだ。


「お願いします!」


 ディスクが半身の姿勢を取る。密かに真似ていた龍拳はハートから向いていないとばっさりだった。ギャングが右腕を真っ直ぐに伸ばす。


「おう、しっかりな」


 その腕を右に振るった。コスタリカが円軌道で左から右に襲いかかる。ディスクから見たら左からの攻撃。姿勢を崩さず一歩下がる。ギャングが腕をそのまま上に上げた。ディスクが前に出た。

 振り下ろし。真上からの攻撃にディスクは右に飛ぶ。ギャングは左腕を突き出した。直線軌道の石球をディスクは身を開いて回避した。その背面から最初に躱したコスタリカが直撃する。


「どうせ俺の腕と連動させてるんだ。目で全部捉えようとせずに動きを予想しろ」


 ギャングの横に漂うコスタリカは一つ。ウォーパーツ抜き。今の生身のディスクならばそれで十分という判断。目に見えない振動も使わない。丁寧な新人目線のメニューだった。

 動く石球は二つ。調子が上がればギャングももう一つ使うつもりだったが、そうはならなかった。たっぷり一時間。荒い息を上げるディスクは、それでも何度打たれようが立ち上がってきた。


「今日はここまでだ。俺は帰るぞ」

「うん、ありがとう、ギャング」


 ディスクはにっこりと笑った。ギャングは吐息を漏らしてそのデコを人差し指で突いた。


「あぅう」

「今日はもう休んどけよ。無理してもつまんねぇからよ」


 まだハートとの夜の秘密特訓が残っている。ディスクは曖昧に笑って誤魔化した。







「頑張る、ディスク」


 日本語で話しかけられてディスクが振り返った。助詞が足りてない。ディスクはちょっと考えて英語で返した。


「何?」

「真摯な姿勢を感じる。一回一回しっかり考えながら動いていたな。疲れただろう。……そんなに俺の日本語が駄目だったか?」


 ディスクは頷いた。エルは無言のまま肩を落とす。


「……未熟と言って悪かった」


 来て二日目のことだった。エルはディスクを見て端的にそう評していた。どこか感じるものが無いでも無かったが、その実力を横で見ていて未熟さを感じていた。ディスクはディスクでハートからの命令で実力を隠していたというのもあるが。


「別に。実際まだまだだよ」


 それでも、ディスクは自分の至らなさに痛感していた。人類戦士との戦いで、彼女は緋色の足を引っ張ってばかりだった。これでは緋色に並べない。そして、を止められない。


「何がお前を駆り立てる? 何故そこまで焦っている?」


 エルの問いにディスクは口を閉じた。焦っている。その言葉にディスクは動きを止めた。彼女には自覚が無かった。前のめりになる危うさを自分のものとして考えていなかった。


「……焦ってる?」

「というか、必死だ」


 前のめりになりすぎると、普通の人はそのまま倒れてしまう。だが、そのまま前に進めてしまう人間もいる。ディスクにはその心当たりがあった。


「うん、そうかも。追い付きたい人がいるの。隣に立ちたい人、前に立ちはだかりたい人。でも気を付けるね。私は潰れるわけにはいかないから」

「そうか、深くは聞くまい。目を見れば分かる」


 お前にはお前の戦いがある、と。エルは右手をディスクに差し出した。ディスクは惚けた顔をしながらエルを見上げた。精悍な顔つきの青年が真っ直ぐディスクを見据えていた。その風格が、彼がどれほどの修羅場を経験してきたのかを物語る。


「ジャパンにも誇り高い戦士がいるのだな。これからもよろしく頼む」

「ヒーロー、だよ。一緒に頑張ろうね」


 ディスクが彼の手を力強く掴んだ。二人は見つめ合い、無邪気な笑みを浮かべた。

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