五日目、不穏
デンバーのダウンタウン、夜のラリマ-スクエア。訓練上がりの緋色はレディと二人、カフェでくつろいでいた。自然と気合いが入る。
「山の麓って言うから田舎かと思ったけど、案外栄えてるな」
「デンバーは若者の街だ。雄大な自然の中、洒落たダウンタウンが良い按配だろう」
(按配って……やっぱりこの人日本育ちだろ)
僅かに頬に朱を差すレディは上機嫌だった。デンバーはビールの街でもある。とろんとした目つきで見つめられて緋色は心拍数を上げた。
「日本は厳戒体制だったらしいな。ずっと引きこもりで気も滅入るだろう」
「そうっすねぇ」
しみじみと緋色は呟く。彼はかれこれ十年も引きこもっているが、それについては口に出せない。一方で、久しぶりに満喫する外の世界にはしゃぐ気持ちも大きかった。何だかんだで緋色も年頃だ。遊びたい盛りでもある。
「二課はどうだ?」
聞かれて緋色は言葉に詰まった。彼には外部に言えないことが多すぎる。
「皆良くしてくれますよ。誰がどう言おうが二課が俺の居場所です」
そうか、とレディが嘆息する。それでも少し嬉しそうに口角を上げるのを緋色は見逃さなかった。普段は鉄面皮の鬼教官ぶりを遺憾なく発揮していたが、アルコールが入って少しガードが緩んでいた。今の答えに少しは喜んでくれていたことが緋色には堪らなく嬉しい。照れを隠すように緋色は視線を上げた。聳え立つのは雄大なロッキー山脈。
「そういえば、SECT:Hは何でここに本拠地を?」
「何だぁ探りかぁ?」
自分を棚に上げておいてレディが息巻いた。緋色は少し身を引きながら苦笑いを浮かべる。刃といい、人類戦士といい、レディといい。酒で人が変わるお姉さんがどうも多い。緋色はアルコールに対する興味を高めた。
「よし、お前の根性に免じて答えてやる。といっても公然の情報ではあるがな」
得意気にレディが言った。意外にも彼女は持ち上げると乗ってくる。緋色はその扱いを早くも修得していた。
「理由は二つ。まずは単純にここがステイツの中心地だからだ。有事はヘリで移動するから直線距離でど真ん中が適当だろう。第二に訓練強度。ここは標高千六百メートル超だ。酸素濃度もその分低くて錬成にはもってこいだ」
「それで消耗が普段より激しかったのか……」
アスリートが行う山岳トレーニングのようなものだ。自他ともに体力馬鹿と認める緋色がこうも訓練の度にへろへろになるわけだ。
「いや、お前はよくやってるよ。特務に中で我々と同じメニューをこなして着いていける奴などほとんど居なかったからな。大変だろ?」
緋色が頷きながらふと思い浮かべたのはハートの姿だった。あの未だに底知れない優男からすると涼しい顔でこなしてしまうのかもしれない。
「それでも来て良かったと思いますよ。色んな経験を得ました」
初日のキャプテンデイヴの言葉が浮かび上がる。緋色が拳を握る理由。あの真っ赤な背中を目指して。
「お前は可愛いなぁ。素直で愚直でとても好感が持てる」
レディが手を伸ばし、緋色の頭をがしがし撫でた。酔っている。気付けばもう一杯グラスに注がれていた。アルコールに弱いのに酒は大好きらしい。緋色は役得に甘えて大人しく撫でられた。くすぐったくてどうにも心地良かった。
「……一ついいですか」「言え」
レディは椅子を動かして緋色の隣に移動した。珍しく沈んだ顔をする緋色に何か感じ取ったのだろう。甘えるついでに、少し本気で甘えてしまう。
「人類が手を合わせてデビルに立ち向かう。そんなずっと信じてた世界が実は偽物だった。俺は……身内同士の戦争のために強くなったんじゃない。ただ、人を守るために」
「我々も同じだ」
レディは言った。迷いの無い力強い響きだった。緋色の頭に手が添えられる。
「我らはステイツを守るために戦う。国は、人だ。より多くの人が安全に暮らせるように外敵から国を守るのが軍人の職務である」
外敵。それはもちろんデビルはそうなのだろう。しかし、それ以上に。歴史上その相手は同じ人間であったはずだ。
「お前は、何になりたいんだ」
「ヒーローに、なる」
ウォーパーツの担い手としてのヒーローではない。あの真っ赤な背中、そして、力強く拳を握る人類戦士の姿。緋色は、いつだって。
「ならば励め。我らも道半ばだ。決め打つ必要はどこにも無い。お前はまだ若いんだ」
「…………?」
「人を守りたいと、お前は自分で言ったじゃないか」
レディはやんわりと微笑んだ。
「悩むより動け。前に進むことが力になる。お前は真面目だから難しく考えすぎなんだ。今は結論なんて先送りで良い」
「そんなんで、いいのかよ」
「然るべき時に然るべき状態で立っていられれば十二分だ。そのための日々の訓練だ、励め」
力強く吐かれる言葉に緋色は納得させられてしまった。問題を先送りにしたに過ぎないはずが、何かを解決したような気になってしまう。人はきっとこうして矛盾を乗り越えて前に進むのだろう。先に行かなければ未来には辿り着けない。
「いつかちゃんとお前の目指すところに辿り着ければいい。背伸びはするな」
「……はい」
緋色はカフェラテを飲み干した。目尻を下げた視線にぷいと目を背ける。そういう反応が女心をくすぐるのだと彼は気付いていない。
◇
数分か。十数分か。とにかくしばらくそうしていた。二人は無言で隣り合う。
「あぁれ? いちゃいちゃはもういいの?」
突然の野次にレディが勢い良く立ち上がった。顔が若干赤いのはアルコールだけのせいでは無いだろう。冷やかしの声にきっと目を向けると隣席の少女が小さく笑っていた。
黒くゆったりとしたドレス。つば広の帽子で顔を隠したその姿はどことなく風格が漂っていた。まるで深窓の令嬢、そんな印象だ。
「あら、ごめんなさい。邪魔したかしら。日本語通じるわよねん?」
「……いや、こちらこそ済まない」
「ああ、俺たち日本人だから大丈夫ですよ」
「私はステイツ育ちだが」
まだ言うか。少女は華麗な動きで椅子から立ち上がる。ドレスの裾を軽く持ち上げて小さく頭を下げた。
「良い街ね。気に入っちゃったわ」
「それは嬉しい。この街は我々の自慢だ」
レディが笑みを浮かべる。作った表情だ。緋色は直感で見抜いていた。
「貴女は観光で?」
「ええ。色々見て回ったわ」
少女が帽子の奥で緋色を見つめる。いまいち歳が分からないが、女性に見つめられて悪い気はしない。
「俺も、この景色が好きですよ。大きな山の中で活気ある街を築いていく。何というか、そんな人間の底力を感じます」
「うんうん、私たち気が合うかも」
帽子のつばを押し上げて少女が口元を見せた。小さくてふっくらした唇。それが可憐に笑いかける。
「またどこかで会えたらいいね」
「ああ、是非とも楽しんでくれ」
優雅に去って行く少女に緋色が見とれる。レディはむすっとした顔で緋色の腕を引っ張った。バチリ、と静電気の音が鳴った。少女は反射的に手を引っ込めるがすぐにまたドアノブを掴んだ。
「ああいう子が好みか?」
「いや、そういうわけでは――――……」
◇
「んっふっふー、ちょろあまねん」
暗がりの中、少女が帽子を脱ぎ捨てた。その帽子をナイスキャッチしたのは、背景に不自然極まりない――――案山子の姿。一本足でぴょんぴょん跳ねながら彼(?)は少女の後を追う。
「くーちゃん、皆は待機させてるわね? こっちに出現したら一気に畳み掛けるわよ」
案山子に抱えられるように少女が空を飛んだ。夜空とはいえ街の光でまだまだ明るい。その姿は普通ならばかなり目立つはずだった。だが、誰一人その存在に気付かない。光がねじ曲がったかのように少女の姿が隠されていた。ただ不自然に宙に浮かぶ紫電の光を誰一人疑問には思わないだろう。
「さぁて、アビスちゃんの初舞台――――華々しく咲かせてやるわぁ!」
ダウンタウンの夜空に悪魔が跳ねた。
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