その頃のディスク

 蹴りの体勢になって早十分。それまでピクリとも動かなかった隼がその足を下ろした。蹴り技主体の彼は不安定な一本立ちの時間が圧倒的に長い。それでも体幹を維持出来るように彼独自の訓練法だった。


「……こんなの見てて楽しいッスか?」


 汗だくの隼が後ろを振り返る。見た目の地味さにそぐわぬキツさだった。


「うん」


 体育座りのままディスクが頷く。米国からの交換留学生は今夜にも到着するらしい。それから共同訓練を行うらしく、ディスクはイメージトレーニングを重ねていた。


「構成と分析の同時進行。別メモリ処理の特訓中」


 隼は聞き流した。この少女は時たまよく分からないことを口走る。


「隼はもう大丈夫なの?」


 聞き流す準備をしていた態度が崩れる。ディスクが何を言いたいのかが分かってしまったからだ。


「……大丈夫ッスよ。よくあること」


 気のない声で答える。相棒バディを失い、補充も効かない。それがどんな危機的状況か緋色やディスクは認識していない。司令やハートがそう立ち回ったから。隼にはその狙いは読めなかったが、藪蛇は避けたかった。

 それよりも。長年共に戦ってきた仲間を失った喪失感が胸を打つ。今まで仲間は何人も死んできた。それでも、隼は未だ慣れない。


「無理しないでね」


 ざわりと皮膚が逆立った。無理は、している。無理をしなければ戦えない。命のやり取り。


「無理でもしないと戦えないッスよ」

「なのに隼はヒーローになったの?」


 仲間が死んだ。仲間が死んだ。仲間が死んだ。明日は我が身。そんな怯えを振り払って戦う猛者こそがヒーロー。


「ウォーパーツの適合者と判定されたから連れて来られただけッスよ。ディスクもそうッスよね」

「うん、そうだった」


 ある日『韋駄天』の適合者と判定された。だから隼はここにいる。その前はどうだったか。それは機密保持として詮索を禁じられている。


「オイラは無理して頑張って戦うしかない」


 隼の鋭い蹴りが空気を割った。ディスクはその動きを見きれなかった。眼前に出されたつま先に目が寄る。


「でも、頑張れるのはすごいこと。だから私も頑張る」


 何を言っているのかよく分からなくて隼は苦笑した。だが、何か慰められているのは感じ取れた。


「やれることをただやるだけ。弱いオイラにはそれだけしか出来ない」


 不器用ながら愚直に進む相棒バディを思い出す。あんな風になれたのなら、と心のどこかで思っていた。

 ディスクが立ち上がった。


「……どこ行くッスか?」

「私も頑張る、前に進む」


 隼は黙って手を振る。引きずりながらも前に。そんな彼の姿を焼き付けてディスクは歩き出す。







「流石飲み込みが速いね。何が君をそこまで駆り立てる?」


 仰向けに倒れながらディスクが荒い息を吐いた。五分の一百本組手、長い戦いの果てにようやく一本を掠らせた。初めて、本当に初めての手応え。ディスクは荒い息のまま笑っていた。


「やっぱり体力は足りていないか。よほどクリティカルに打ち込まないと非効率だね」


 非力、一言で締め括った人類戦士の言葉を思い出す。ディスクはすっと立ち上がった。緋色は何度だって立ち上がっていた。ならば自分だって。


「立ち上がりをもう少し速くしてみようか」


 言われた意味が理解出来ないうちに、ディスクは天井を見上げていた。綺麗に足払いを決められていた。頭を打たなかったのは日々の成果だったか。そう考えて右袖をちょこんと掴まれていることに気付いた。離されると後頭部が床に落ちた。


「寝転んだ状態は無防備な体勢だ。狙いが無ければ迂闊に続けてはいけない」


 ディスクは素早く立ち上がる。肩を押さえられて再び転がる。立ち上がろうと顔を上げた先に掌底が添えられた。ここから攻められたら抵抗出来ない。ディスクの額に冷や汗が浮かんだ。


「時間だ。今日はここまで」


 ディスクからふっと力が抜けた。崩れ落ちる彼女をハートが起き上がらせ、自分の足で歩かせる。米国からの交換留学生はもう空港に着いた頃だろう。気怠い身体を引き摺ってディスクは歩き出した。







「SECT:H所属、エル。一週間の期間よろしく頼む」


 挨拶は日本語だった。歳は緋色より少し上か、隼に近いかもしれない。若い兵士だった。鋭い目を二課一堂に向ける。スナイパー、ということは聞いていた。


「こちらこそ。部屋を用意しています。今日はもうお休みになって下さい」

「感謝する」


 ハートがにこやかに笑った。

 ふとエルが足を止めた。辺りを見回し、視線が止まる。ディスクと目が合った。


「若いな」

「うちの新人です」


 ハートが視線を遮った。数秒間、エルとハートの睨み合いが続く。


「特務は皆、ウォーパーツの適合者だったか」

「彼女も立派な英雄ですよ」

「私、戦えます」


 むっとした顔でディスクが言う。侮られていると感じた。


「そうか」


 エルは一言だけ呟いた。無愛想で何を考えているのか分からない。彼はハートに連れられて引き上げていく。


「……私、そんなに弱そうかな」

「実際若いからな。兵隊から見れば珍しいだろーよ」


 ギャングが投げやりに言う。そういえば彼は軍属だと言っていた。ヒーローとは考え方が違うのかもしれない。そこまで考えてディスクはようやく気付いた。


(防衛省直下……私たちも、軍人なんだ)

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