出発の日

 出発当日、緋色の見送りに二課の面々が立っていた。今まで外出許可を取ったことの無かった緋色にとっては、この上なく新鮮な景色。


「気を付けてね」


 刃が笑いかける。緋色はやや固い笑顔を返した。隼とスパーをし、ギャングと睨み合い、焔と握手する。


「緋色、分かっているだろうけど、米国保有の戦力を確認するんだよ」

「技術を盗んで強くなってこい」


 ハートと司令。特務二課を牽引する二人もエールを送る。未だ厳戒態勢ではあるが、このところはすっかりデビルの襲撃も久しくなっていた。警戒レベルを通常まで引き下げる進言は本省に渡っている。日米交換留学に備えての配慮もあった。研修先が厳戒態勢を維持していたらたまったものではないだろう。


「またね、緋色」

「ああ。皆、行ってくるぜ」


 今度は力強い笑みを見せた。米国からどんな兵士が来るのかは気になるところ。だが、緋色は直接見ることはない。これから慣れ親しんだ日本を発つのだから。


「待て待て緋色。お前一人で行く気か?」


 良い感じの出発を引き留めるのはダークグレーのスーツをだらしなく着崩した大男。グラサンで目元を隠しながら、口だけで不敵な笑みを浮かべる。


「何だよ、師匠」

「お前言葉は分かるにしても、一人で出入国手続きやら搭乗手続きとか出来るのか?」


 緋色が言葉に詰まる。


「しっかりしていてもお前は箱入りだし未成年だ。一人で行かせるものか」

「はぁ?」


 箱入り、というフレーズに緋色は不機嫌を露わにする。密かに彼が最も嫌がる表現だった。


「紹介しよう。黒鳩女史だ」


 しかし、その機嫌も大逆転。現われた女性はきっちりとスーツを着こなした長身の女性だ。有り体に言ってしまえば、美人だ。緋色が喜びそうなタイプだった。


「黒鳩犬子と申します。渡米におけるヒーロー緋色のサポート業務に就きます。何卒お見知りおきを」


 生真面目そうな印象の眼鏡がきらりと光る。緋色は何となく抗えずに視線をやや下げる。


「ほう、気付いたか緋色」

「師匠っ!?」


 タイトなスーツのラインから推し量れる真実。成熟した女性のラインを感じて緋色が司令に目を向ける。司令は無言で頷いた。言葉を交わさずとも、通じる想いというものはある。


(これはっ)

(そこに気付くとは流石だな、我が弟子よ。俺がお前の好みに合わせて選定眼を見開いた)


 厳しくもどこか身内には甘そうなお姉さん。包容力のある女性は緋色の理想とする女性像だった。


「黒鳩、万事抜かり無きよう」

「了解、ハート」


 小声で交わされた会話は耳に入らない。素晴らしい出発になる。期待に胸を膨らませて緋色は旅立った。







 成田国際空港。


「緋色、あんまりうろうろしないで下さい」

「悪い、初めてだったもんで」


 見るもの全てが新しい。周りを埋め尽くす人、人、人。十年の軟禁生活を経た緋色にとっては、これだけでも刺激的だった。その無邪気さに黒鳩も強く言えないでいる。彼女は緋色の境遇についてである程度は知っていた。


「それでも、はしゃぎ過ぎです」

「ごめんなさい」


 緋色はしょんぼりと肩を落とした。演技である。本当は優しく叱られて少し喜んでいる。彼のはしゃぎっぷりは、空港の売り場で購入したTシャツを即着用していることから明らかだ。「NEW YORK」と大きくプリントされたTシャツ。そういうのは現地で購入から意味があるのだ、という言葉を聡明な黒鳩女史は黙っていた。


「でもこのシャツ中々イカしませんかっ!」


 愛想笑いで流した。


「いいから搭乗手続きに行きますよ。イミグレーションの手続きもありますから」


 眼鏡を光らせて黒鳩女史は几帳面に腕時計を覗いた。出発時刻までまだ一時間半もある。緋色は大人しく従った。

 几帳面で規律に厳しい委員長タイプ。学校に通ったことの無い緋色にとっては、図鑑の中にあるようなキャラクターだった。ふっくらとした尻を凝視しながら後に続く。


「当該国際空港は我が国の玄関ですからね。自動化ゲートを導入して手続きの簡略化を図っています。逆流出来ないのではぐれないで下さい」

「はい!」


 妙なむず痒さがある。緋色は奇妙な感覚にドギマギしながら頷いた。頭の中に司令のめっさいい笑顔が思い浮かんだ。人類戦士や刃やディスクとは違った女性像。女に免疫の無い緋色は未知との遭遇に胸弾ませていた。


(胸だけじゃなくて尻もいいっていう師匠の言葉は本当だったんだ……っ!)


 また一つ、男として成長した緋色である。







(飛んだああああぁぁぁああ――!!!!)


 緋色が心中で絶叫する。あれだけ大きな鉄の塊が飛翔した。ちょっとしたスペクタルである。


「デンバーまで一晩かかりますからね。のんびりしていて下さい」


 アイマスクを装着した黒鳩女史に緋色は慌てて返事をした。束の間の無重力が恐ろしい。タクラマカン砂漠でフリーフォールした時よりも。


「デンバー……どこだ?」


 即効で眠りに落ちた隣のお姉さんの胸を凝視しながら、緋色は頭の中で米国地図を展開する。あった。地理的には真ん中、コロラド州だ。


(ロッキー山脈の麓だったか……どこだ?)


 自分のTシャツに目を落とす。アメリカと言えばニューヨークという独特な固定観念を持つ緋色は実感していなかった。アメリカ合衆国は広大である。


(ひょっとしてニューヨークには行かないのかな)


 直線距離で四千キロは離れている。到着後の予定をイマイチ把握出来ていない緋色は、ニューヨークへの滞在予定があるのか分からない。心なしか、肩を落とした緋色は呟く。


「ニューヨーク、ひょっとして行かないのかな……」


 自分のTシャツをつまみながら。







 割と快適な空の旅を十時間。朝日とともに独特なフォルムのデンバー空港が緋色を出迎えた。ロッキー山脈を模しているらしい。緋色は既にニューヨークを忘れてはしゃいでいた。

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