司令塔のマム、軍略の女

「入りなさい」


 凛と芯の通った声が扉越しに届いた。ノックの響かせ方に自信のある焔がにやりとほくそ笑む。微妙に手が震えているのは緊張からだろうが、緋色の側からは見えていない。


「失礼します!!」


 応接室の中は異様な威圧感に満ちていた。汗だくで震えている司令、車椅子の上で背筋を正す高見元帥。一課のヒーローは別室にいるらしい。出来るだけ大人しくくつろいでいて欲しいものである。むしろ涼しい顔で座っているのは人類戦士とハート。この二人の間に冷たい火花が散っている気がするが、気にする余裕は無い。


「よろしければどうぞ」

「ありがとう」


 元帥がコーヒーを受け取る。そこそこ値が張るものを選んだはずだが、一口付けて僅かに顔をしかめられた。コーヒー愛好家にコーヒーでもてなすのは避けた方がいい。焔は心の備忘録に書き付けておく。


「人類戦士も」


 手で制された。代わりに緋色を手招きして傲岸不遜の笑みを浮かべる。


「俺様は甘党だ」

(だから何だよ……)


 呼ばれた緋色は嬉しそうにコーヒーを持ってくる。スティックの砂糖とシロップを全乗せした甘党仕様を生み出す。高見元帥のこめかみに青筋が走った気がするがきっと気のせいだ。焔は苛立ち塗れにハートにコーヒーを押しつけた。一息で飲み干された。今度は焔のこめかみに青筋が立つ。


「失礼しました」


 緋色が残ったコーヒーを司令の前に置くと、二人は早々に退室する。気持ち声の音量が下がっていた。


「待ちなさい」


 しかし逃げられなかった。元帥のよく通る声に動きが止まる。


「ヒーローコード、緋色。貴方に話があります。ヒーローコード、焔。貴方は退室するように」


 来た。焔は緋色の背中を押した。ハートが席を立ち、緋色に着席を促す。焔は一度緋色に笑いかけて、静かに退室した。







「ヒーローコード、緋色です。お話とは一体何でありましょうか」


 堂々と受け答えをする彼の姿を見て元帥が僅かに口角をあげた。根っからの軍人気質の彼女にとっては緋色の性格は好印象だろう。並ぶ人類戦士も口元を綻ばせる。ハートがさり気なく緋色の背後に回った。


「噂は聞いています。『ヒーローギア』の担い手として修練に励んでいるようですね」

「はい。ヒーローとして当然の心構えです」


 ほう、と元帥が嘆息する。


「ヒーローとして、ですか。貴方の戦い、その信条に私は興味があります」


 一見穏やかに、しかし、相対する緋色は確かに感じた。鋭い刀身。鼻先に突きつけられているような感覚。ひたすら鋭利で、容赦なく。人類戦士すら従える将校の威圧感に身を竦ませる。


「緋色、迷うな。お前の答えを俺様も聞きたい」


 人類戦士がにやりと笑った。ハートも後ろから肩を叩く。震えを気力で止めた司令が静かに頷いた。


「アカツキは貴方のことをお気に入りのようですね。人を惹き付ける魅力はある、ということですか」


 『ヒーローギア』の担い手としてではなく。それは緋色個人としての力。緋色は真っ直ぐに前を見据える。


「俺は『ヒーロー』になる、なります。強くて、圧倒的で、全ての人類を救う存在になります」


 それは、どうしようもなく理想論で。果てしなく、実現不可能な。緋色にだってそれくらい分かっていた。

 しかし、でなければ始まらない。掲げなければ何も進まない。焦がれた背中に追い付くために。そして並ぶために。


「……似たような言葉を、十年前に聞いた気がしますね」

「私もです、元帥」


 一課と二課のトップが人類戦士に視線を当てる。彼女は笑いを噛み殺しながら目を逸らした。


「では――――何故?」


 鋭い視線が緋色を穿つ。


「貴方の境遇は把握しています。『勇者ブレイブ』に憧れ、人類戦士に憧れ。それは十年の軟禁生活で叩き込まれた固定観念ではありませんか?」

「だとしても、それは俺の気持ちです。自分の道は自分で決めます」


 ヒーローであることを、その道は既に決定付けられたもの。他にも選択肢はあったはずだ。この十年間を別に過ごせば別の自分になれたかもしれない。だが、そんなことはただの戯言だ。緋色の頭に他の選択肢などそもそも無いのだ。


「これは自分の気持ちであり、自分の道です」


 緋色は言い切った。


「二課司令殿。教育はしっかりと行き届いているみたいですね」

「全てはコイツ自身で成した結果です。私はその選択肢を用意したに過ぎません」


 そいつは俺様も保証する、と人類戦士は口を挟んだ。ハートは何も言わない。提示された道を愚直に進み、ただただ修練を重ねて一つの形にした。それは紛れもなく緋色自身が生み出した強さである。


「アカツキ。今の答えに貴女なら何点をつけますか?」

「90点」

「……貴女はどうも彼に甘いようですね」

「マムが厳しすぎんだよっ」


 人類戦士が苦笑する。だが、二人の見解は共通する。満点ではなく、それは足りないものがあるということだ。緋色に足りないもの。目の前の女傑二人はそれをはっきりと見抜いている。


「ヒーローコード、緋色。貴方、自分の本名は?」

「知ってます」

「そうですか。その上で聞きましょう」


 ハートの手が緋色の肩に置かれる。緋色は充満する威圧感に息をのんだ。人類戦士が不敵な笑みを浮かべている。乾いた眼球で真横を盗み見ると、司令の額に珠の汗が浮かんでいた。



「特務一課に来るつもりはありませんか? 我々には貴方を第二の人類戦士とする腹案があります」



 決して楽な道では無いだろう。人類戦士に至る道は苛烈極める。だが、その茨道でも緋色ならば踏破しうる。その確信が今のやり取りではっきりしたのだ。特別任務遂行一課司令と人類戦士。彼女らの力強い視線を緋色は受ける。熱烈なラブコール。断る道理は無い。だが。


――――緋色は、強い


 特務二課がどうなるか。そんなことを緋色が気にする意味は無い。司令がそこはうまくやるだろうし、何よりハートや刃がいる。緋色は彼らが一課に劣っているとは思えなかった。

 だが、あの少女は。緋色の相棒バディは。緋色は考える。彼女のことを。天才でありながら、一人にしておく危うさがある。それに。緋色は確かに彼女の言葉に。


相棒バディも、ディスクも一緒であれば」

「それは出来ません。一課はバディ制度を採っていませんからね。貴方一人の問題です」

「ならお断りします」


 元帥は表情を変えなかった。代わりに人類戦士が不快感を露にする。分かりやすい。


「組んでつるんで。それが一体何の力になりますか?」

「俺はあいつと一緒に強くなる。そう決めたんです」


 何か言おうとした人類戦士を元帥が手で制する。その表情は堅く律されていて読めなかったが、緋色は自分の選択が間違いだったとは微塵も感じていない。


「よろしい。その言葉を嘘にしないように精進を重ねなさい」

「はい」


 ハートの手が緋色から離れた。どんな意図があったのかは不明だったが、一つの壁を乗り越えたことを緋色は実感した。


「二課司令殿も、今のままやり方を変えるつもりはありませんか?」

「それはありません」


 少年を導いた大男が毅然と言う。今この瞬間、司令の震えが止まっていた。


「支え合い、守り合う力。私はそれこそが真の強さだと信じております。ヒーローという武力ではなく、人類の戦う意志を」

「相変わらず強情ですね」

「恐縮であります」


 不満気にぶーぶー喚く人類戦士を視線で一喝し、話は終わりだと緋色に告げる。そこでふと思い出したかのように、それもわざとらしく、口を開いた。


「ああ、そうだ。米国からの交換留学の話が来ていたでしょう? 一課から出す予定でしたが、彼に行かせなさい」

「……了解しました」


 当たり前のように隣の部署の人事に口を出す。


「緋色、狭い世界には限りがあります。これから世界を見て、経験して、多岐多様の選択肢を見つけなさい。その中で本物を選び取る意志こそが、貴方に必要な強さです。次に会うとき、どれだけ成長しているか期待していますよ」

「はい!」







 緋色が退室したあと、数分ほど沈黙が降りた。不貞腐れたままの人類戦士、何かを考え込んだまま動かない高見元帥、その様子をじっと伺う司令、状況を冷静に分析するハート。やがて元帥が静かに口を開いた。


「良い子ですね。それによく育てられている」

「光栄至極です」

「で、他のヒーローはどうでしょう?」


 元帥の目付きが変わった。これも意図してやっていることだとしたら末恐ろしい。


「と、言いますと……」

「実力、ですよ。頭数が半減したというならば、個々の実力を伸ばしておくしかないでしょうが。二課のヒーローは少しは強くなっているのですか?」

「はい、もちろんです」


 司令がハートを見た。二秒そのまま硬直し、仕方なくハートは口を開いた。


「論より証拠です。実際に模擬戦でもした方が分かりやすいでしょう。セッティングはすぐ済みますよ」


 ヒーローとして、いつでも出撃出来る準備は整えてある。ハートは言外にそう告げる。


「良い部下をお持ちですね」


 怖い笑顔だ。ハートは既に後ろ手で腕時計に仕込まれた通信機のスイッチを押していた。通信先はオペレータールーム。手際の良いあの二人ならばもう動き出しているだろう。


「こちらはイチを出します。スタンダードに強さを測るのならば彼が適任です。実力は抜きん出ていますが、二人がかりならば食らいつくことは可能でしょう」


 相棒バディで来い、と。二課の戦いを見せてみろ、と。逆境に陥ってもしっかりと立ち上がれるか。それはヒーローに求められる資質。


「承知致しました。それではすぐに「ヒーローの召集及び会場の確保、完了しました」……準備致しました」

「良い部下を、お持ちですね」

「案内します、元帥」


 人類戦士は無言で車椅子を押す。向かう先はコロッセウムのような広々とした訓練場。新人研修の舞台だった。

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