デビル・ドラグ

「ちっ、場外満塁ホームランってことか」


 沸き立つ熱気に風景が歪む。見渡す限り岩場が続く。戦場復帰どころか、このまま遭難しかねない。小型の歯車を幾重にも纏いながら、緋色は機械音を聞く。


『ハロハロ、メーデーメーデー?』

「確かオペレーターの……田中さん?」

『中田だよー』


 音声は腕時計から。こんなところまで通信が届くのは流石の技術力である。ともあれ砂漠の中に渡りに船だ。何の目印も無く世界最大級の大砂漠を彷徨って無事で済むとも思えない。それに、いち早く戦線復帰しなければ。


『ヒーロー緋色のオーダーを想像。確かに主戦場からはそんなに離れてない。岩壁の向こうだけどねー』

「気が抜けるなー。でも御託並べてる場合じゃないだろ」

『行ってどうするの足手まとい』


 ぐっと緋色が言葉を詰まらせる。確かに『ヒーローギア』を纏ったところであの最前線で戦い抜くことは厳しいかもしれない。しかし、それでも行けなければヒーローの意味が無い。デビルを倒す、緋色の拳はそのためのものだ。それに、敵の将はわざわざ緋色を場外に飛ばしてまで排除した。一矢報いる線が無いわけでは無い。


『ま、そうかもしれないけどねー。それよりもさ、ヒーロー。デビル反応、すぐ近く』


 はっとして振り返った。確かに、いた。いつからいたのだろうか。ランスを携えた爬虫類のような顔つきをした人型のデビルがこちらを睨んでいる。不意打ちをするつもりは無いらしい。堂々と真っ正面に立つ。あれは武人の動きだ。


『……まずいね。アレはデータが無い、未知のデビルだ。逃げることを進めるよー』

「オーダー、デビル討伐の使命を実行する」

『さいですかー、言うと思ったよ』


 ランス使いのデビルと緋色が向き合った。ギアを展開し続けている緋色だが、不思議と疲労感を感じなかった。ドーパミンの過剰分泌でハイになっているか、それとも集中力が極限まで高まったか。馴染む適合率は悪くない。

 緋色は一歩前に踏み出した。腰を落とし、拳を握る。小指、薬指、中指、示指、空気を押し出すように。それらを親指で握り固める。デビルはランスを緋色に向けた。


「ヒーロー、緋色だ」

「名乗る名は無い。この得物にて語ろう」


 交錯。

 ランスの切っ先ど真ん中にギアを纏わせた拳を叩き込む。突きと突きとがぶつかり合い、弾き飛ばされて睨み合う。


(危ねぇ危ねぇ、ギアを纏った時は大振りになりやすいんだった)


 冷や汗を隠すように不敵に笑う。向こうが乗ってきたから良かったもの。緋色の真骨頂はウォーパーツに非ず。十年間の弛まぬ鍛錬こそにあり。


『ギア出力四十パーセント代を推移。累積データから鑑みても悪くない数値だよー』

「そんなことまで分かるのか」


 心強い。ランスの鋭い突きが緋色を狙う。防刃グローブに守られた左拳が弾いて軌道を逸らす。回る歯車は右腕に纏う。司令直伝のストレートナックル。


「むっ!?」

(引き戻しが速え!)


 ランスの柄に受け止められる。不可視の衝撃波がデビルの脇を駆け抜けていった。衝撃が逃がされている。追撃を叩きこもうとする緋色が急転換して下がった。あれは、何だ。デビルのランスが自壊して。


(いや、多節棍かっ!?)

「ほう、初見で見抜いたか」


 緋色のガードを叩く棍撃。筋肉を抜いて骨が軋みを上げる。堪らず下がる緋色に蛇のような変則的な動きで多節棍が襲い掛かる。気前のいい九節棍。緋色の身体に打ち身が増える。


「だが、深追いしすぎだぜ」


 両者の距離が開け、必然的に九節棍の動きがデビルから遠のく。緋色はそれを待っていた。回る歯車を拳に乗せて。撃ち出す一撃は『英雄の運命ヒーローギア』。


「ギア、ショット!!」

「――――っ」


 ヒット、デビルの右肩。九節棍の制御が甘くなる。緋色は棍の一部を掴み取り、そのまま引き寄せた。


「させん!」


 引き寄せられるデビルだが、ただやられるわけは無い。一度自壊したランスが再び組み直る。その勢いで投げ出されたのは緋色だ。空中で状況を把握する前に至近距離でデビルの拳が唸りを上げた。


「覇ぁ――――!!」

(こいつ、何て武芸達者な――!?)


 まともに腹部に食らい、緋色が転がる。ランスの突きを防塵グローブで受け止める。骨まで響く衝撃に顔を歪め。ランスが、自壊。九頭の打撃の嵐が緋色を滅多打ちにした。


「こんなものか、ヒーロー」

『緋色、撤退要求。逃げるんだ、ギアパージだ!』


 血塗れで転がる緋色の耳にオペレーター中田の声が響いた。トドメを刺しにデビルが動く。ランスによる駿速の突き。心臓穿つ必殺の一撃。緋色は揺らぐ意識の中で歯車に手を伸ばした。回り、動く運命の歯車。噛み合い、連なる希望の礎。



「吹っ飛べ――――ギアパージだぁぁ!!」



 歯車が弾け飛ぶ。真っ正面からの衝撃にランスが吹き飛んだ。デビルの表情が驚愕に歪む。ディスクの分析通りだった。初見で対応し切れない大技。緋色は、大地を踏み締めた。


『待て、オーダー緋色。退くんだ早く!!』

「ヤバい、走れない」


 腫れ上がった右足を、それでも体重を乗せて構えを取る。逃げるためではなく、立ち向かうために。身体は動きを覚えている。鍛錬が、研鑽が、そして分析が。彼を前に突き動かせた。

 その一発はトリガーだ。引いた先から何度も何度も繰り返してきたコンビネーションが溢れていく。コンボが決まる。ランスを手離したデビルは抗えない。最後の拳が、生身の拳がデビルに叩き込まれる。


「――――点拍子」







 始まる鼓動、高鳴る魂。

 命、響き渡るアマノソラ。

 生き抜くことを胸に抱いて。

 走れ、沸騰するこの魂。


「……仕事中にプライベート用携帯電話プラケ鳴らすなよあのオッサン。着メロうるせぇ……」


 沸き立ち蒸発していく紫色の池。そのど真ん中に人類戦士は立っていた。

 その姿ははたから見ると満身創痍。焼き爛れた右腕をだらんと垂れ下ろし、指先がピクピクと痙攣している。全身の切り傷から血が滲み出て、右目から落ちる血涙が止まらない。


「鋼鉄女を抜けたおかげで一手が打てたぜ」


 だが、彼女は人類戦士である。討滅したデビル・ネガブを足蹴にして凄惨に笑うその姿に負傷兵という言葉は似合わない。絶対者であり、戦場の覇者。戦線復帰したデビル・メイドに残り二体のデビルを守らせ、四天王自らが前に出てその猛攻を凌ぐ。


「よぉ、旦那。今日もこれぐらいで痛み分けと洒落込もうぜ?」

「……こちらは同志がやられてますがね。その分貴女を削れただけ良しとしましょう」


 暴風に攫われて三体のデビルが姿を消す。あれを辿れば偽物の目的である帰還地点の割り出しを行える。だが、人類戦士は追わない。最大戦力の殿しんがりに加え、本拠地には他の四天王も待ち受けているだろう。それに、そこにはいるはずなのだ。玉座に座す、あのデビルの王が。


「では、また今度、人類戦士」

「おぅ、また挑んで来い」


 幾度となく交わされた挨拶の後に、四天王デビル・パズズは姿を消す。人類戦士は尻ポケットから携帯電話(ガラケー、頑丈)を取り出す。


「取り込み中だって分かんねぇかな?」

『アカツキ、緋色はどうした?』


 向こうで戦ってるよ、と雑に返す。


『緋色が現在交戦しているデビルは未確認のデビルだ。脅威は未知数。速やかに援護に回れ』

「や・だ・ね」


 通信相手が黙った。


「ヒーローは甘えんな、だろ。初舞台を大一番で整えたのはそっちだろうが。俺様に託したんだ、俺様のやり方でやらせてもらうよ。あとアンタに命令指揮権は無い、その命令口調は止めろ」

『緋色は今後の趨勢を担う重要戦力だ。ここで万が一があってはならない』

「甘々だな、オッサン。ボロボロになるまで戦った健気な女を気遣ってくれてもいいんだぜ?」


 ふざけている場合ではない、と怒られた。人類戦士が肩を竦める。


「確かに、緋色は強いよ。もっともっと強くなる。俺様の一個下くらいまではいけるだろうな。けどな、強いだけじゃ戦えねぇぞ。戦えなきゃ、ヒーローじゃない」


 『ヒーローハート』の心臓が脈を打つ。傷が次々と塞がっていき、右腕も息を吹き返していく。魂脈打つ超回復。人類戦士には幾らでも戦えるタフネスと覚悟がある。


「アイツを第二の『勇者ブレイブ』にでもするつもりか? やだね。俺様は緋色を人類戦士に叩き上げる」


 電話の相手が何かを言っていたが、人類戦士はもう取り合わない。電源をオフにすると、左耳に仕込んである通信機にスイッチを入れた。


「敵勢力居場所は?」

『正面から二時の方向、約1.2キロ、岩壁先。行きなさい、人類戦士』

「イエスマム」


 人類戦士が駆け出した。だが、その表情はやや暗い。



(ちっ、少しは褒めろってんだよおっさん……)






「完全に決まったと思ったんだがな……」

「人間の拳など知れている」


 決め技を食らって悠々と立ち上がるデビルに緋色は冷や汗をかく。デビルの物理耐性。ウォーパーツを解除した緋色には逃走が最善手だ。だが、足を負傷した身。後ろに振り返って走るよりも、前に進んだ方が速い。幸い、向こうも武器を手離している。


「無手にて挑むか、ヒーロー」


 踏み込みの激痛を押し殺す。見た目に反して動けないまでの傷では無い。倒れ込むような前傾姿勢。デビルに掌底が伸び、その姿が掻き消える。瞬歩。


「後ろか」「龍骨頂!!」


 肩から背中にかけた当身、鉄山靠てつざんこう。片腕で防がれたそれは、しかし片腕を釘付けに出来た。緋色はもう一歩前に、超至近距離。


「烈掌波ぁ!!」


 足から腰、腰から肩、肩から拳。放つ拳の勢いそのままを相手に押し付ける。もう片方の腕でガードされるが、強引に押し込んでいく。


「ほう」


 その全エネルギーを身体に受け、デビルは緋色を投げ飛ばす。空中で体勢を整えた緋色が足から着地する。激痛に身体が怯んだ。デビルの拳は目の前に。抱え込むように拳を絡めとり、関節を折ろうとするがビクともしない。


(ギアが無いと無理かよ!?)


 地面に叩き付けられ、肺の空気が吐き出された。嘔吐えずく緋色相手にデビルは攻撃の手を緩めない。同じ日に二度『ヒーローギア』を纏えるか。身体は動く。動いてくれる。今もデビルの打撃を凌ぎ続けている。ならば心はどうか。応えてくれるか。


「余所見か、余裕だな」


 しまった、という思考が既に遅い。黒い腕時計に注意が向かって、デビルの連撃から意識が逸れた。ガードが弾かれる。よほどの功夫を積んでいるのか、デビルのくせに体術のレベルも相当高い。油断出来る相手では決して無かった。


「楽しかったよ、ヒーロー」

(こんな、こんなとこで終わるのか……?)


 あの十年間はこの一瞬で泡と消える。デビルの構えは貫手。強靱な肉体から放たれる鋭利な手刀。緋色の肉体を容易く貫き、命を絶つだろう。せめてもの抵抗として、緋色は最後の一瞬まで目を開けていた。

 だから、見えた。岩壁の頂上。生々しい傷跡を未だ残しながら獰猛に笑う人類戦士の笑顔が。強く、強靱な、圧倒的ヒーローの立ち姿。思い出す。あの真っ赤な背中を。そして思い出す。映像の中で見た人類戦士の戦いを。


「見せてみろ、お前の死ぬ気」


 人類戦士は言った。

 抱いた気持ちに嘘は無い。憧れも、希求も、諦念も、その全てを飲み込んだ。緋色は拳を握る。貫手が肉体に触れる。皮を抜き、肉を裂き、骨まで達する。その間も緋色は叫んだ。人類戦士は言うだろう。心臓が弾けたって拳は握れる、と。



「ヒー、ロー――――……ギアァァアアアアアアア!!!!」



 歯車は回り出す。噛み合い、繋がり、紡がれるは英雄譚。デビルの身体が弾かれた。胸の傷に厭わず、緋色は前に駆け出す。拳を握り放つには、近付かなければならない。ギアの纏った拳は、爆発的な推進力でデビルに突き刺さった。


「ギア・インパクト!!」


 全身が震える。全力の右ストレートは、一発でデビルをノックアウトした。その出力の凄まじさに緋色自身も大の字になってぶっ倒れる。


『へい、ヒーロー。大金星だねー』


 オペレーターの声を聞いて、緋色がにやりと口角を上げる。周囲に浮かぶ歯車を操作して自分の身体を起き上がらせた。もしかして、と感じて足と胸の傷に意識を集中させる。傷が幾分かマシになったのを感じる。今まで適合率の低さからウォーパーツとまともに向き合っていなかったきらいもあるが、ここから展望が見えてきた。


『緋色、トドメは確実に刺すんだ』

「了解」


 ふらつく身体を前に進める。白目を剥いたまま倒れるデビルに向かい、歯車を向ける。ネブラ・ソーの見様見真似の回転鋸。これで首を落とすつもりだった。


「まだだ」


 カッとデビルの目が見開かれる。黒い波動に緋色と歯車は薙ぎ倒された。岩肌に叩き付けられながら、緋色は目の前の光景に絶句する。デビルの肉体が膨張し、変化していく。鋭い爪、堅固な鱗、巨大な翼。象られるのは一体のドラゴンの姿。怪物の咆哮が鼓膜を揺らす。


『あれは……真化デビライズ?』

「要するに第二形態ってこった。必殺技の奴のが多いけどな」


 岩壁から飛び降りた人類戦士が緋色を助け起こす。荷が重いか、と挑発的な笑みを浮かべる。緋色は小さく首を振った。あのデビルは敵だとしても、その武人としての立ち振る舞いを緋色は正直嫌いになれなかった。だからこそ、自らの手で決着を付けたい。


「ちなみに、さ。未確認デビルの第一発見者は、そのネームを決定する権利があるんだ。古い決まりだけど今も有効だろ」


 緋色は目の前のドラゴンを見上げる。武人の戦いぶりを思い出す。緋色は自らの拳法を龍拳と称していた。戦いの中で、それでも滾った血を想い、その名を口にする。



「ドラゴニール――――デビル・ドラグだ」



 デビル・ドラグの龍爪が通り過ぎる。緋色が見据えた宿敵の攻撃は、人類戦士を串刺しにし、岩壁の中にめり込ませた。デビル・ドラグの顎が大きく膨らむ。ドラゴンは、火を吐くものだ。緋色は慌ててギアで防御態勢を取った。

 その瞬間、誰一人考えもしなかっただろう。絶体絶命の緋色に、ミサイルの支援攻撃が降り注ぐことは。そして、その中から飛び降りてくるヒーローの姿を。


「ヒーロー、ディスク。落ちて、参上」


 「推して」だ、という突っ込みを忘れて緋色は見つめていた。ドラグニールに強烈な一撃を見舞った後、そのミサイルから現われた少女のことを。ポニーテールを翻しながら青ざめた顔でふらつく相棒の姿を。


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