作戦コード『フォーマット』
地下訓練場と聞いてディスクは真っ先に地下に軟禁されていた緋色の話を思い出した。事実、刃ですらこの場所には初めて来たらしい。だだっ広い直方体の白い部屋。まるでシェルターのように堅牢な壁、本当にシェルターなのかもしれない。
「誰も居ない?」
「いや、僕がいるよ。時間差で他のメンバーも集合する」
はっとして振り替えると柔和な笑みを浮かべたハートの姿があった。揺らぎながらも頑として立つその姿はいつもと少し雰囲気が違った。自然体に見えながら、彼も戦闘体勢なのだ。
「ここで、緋色が……?」
「だと思うよ。勝手な推測だけれど」
この殺風景な、白い箱の中で。赤髪の少年は十年間の研鑽を重ねてきた。戦うための筋肉、と刃は言った。新人研修での彼との戦いを思い出す。その底力に敗れた自分を思い出す。勝てないわけだ。彼の十年はただ戦いのためだけにあった。一体どんな心境なのだろうか、それは。妙な胸騒ぎがディスクを襲う。
「緋色は、どこ?」
「緋色はここには来ない。彼は別行動だ」
昨晩通信が入った。それは作戦コード『フォーマット』の命令下達。ディスクはそれに従ってここにいる。ハートも恐らくそうなのだろう。ここにこの二人がいることには何か意味がある。それでも、聞かないわけにはいかない。昨日の緋色との会話を思い出す。胸騒ぎが止まらない。
「どうして」
ハートは膝を落とす。片膝立ちになり、ディスクと目線を合わせた。そして、言うのだ。
「君と『円盤ザクセン・ネブラ』がこの作戦の要だからだ」
◇
輸送車両に揺られながら緋色は拳を強く握っていた。武骨な車両は窓も覆われていて、運転席とも連絡が取れない。自分が輸送対象な気分だった。もちろんそんなことは無い。彼の目の前には厳重に封された棺桶のような荷物が確として存在する。
(ショートもいねーし誰もいねーじゃねーかっ!! どうなってんだこれはよお!!?)
動揺を押さえ込むように拳を握り込む。左腕の腕時計を確認する。そろそろ海底トンネルを抜けて大陸に辿り着く頃だ。と、腕時計が震え出す。ビビる緋色が何かスイッチを押すと聞きなれた音が響く。
『よう、緋色。経過は順調か?』
「師匠っ!? え、どうして」
『ギアの通信機能を起動しただけだ。何だ、知らなかったのか?』
十年間通信するような相手がいなかった。初耳な事項に憤る前にこの状況を解読する手掛かりが見つかって安堵する。
「師匠、こりゃ一体全体どういうこった?」
『大陸地方に着いたか。国境線に辿り着く前にデビルとの接敵が予想される。準備しておけ』
「おぅ。で、輸送対象の対処方法なんだが」
『案ずるな、お前は陽動だよ。そこの荷物を使って迎撃に専念しろ』
通信が切れた。陽動。ならば目の前の棺桶擬きは『アンティキティラの天体図』では無かったのか。少し肩の荷が降りた気分だ。要するに襲ってきたデビルを撃退すればいい。緋色向けの任務だ。
(ショートがいねーのが気になるが……別の車両か?)
荷物を使え。
緋色は司令の言葉を思い出す。厳重に幾重にも封された荷物。まさか緋色にはこれが囮でしかないとは思わなかった。どうせ自分で開けるのならばこんなに厳重にしなくともいいのではないかと思う。どうせ外からは中の様子が分からないのだ。同時に、気付くはずもない。この厳重な縛りが、まさかパフォーマンスのためのものだとは。
それからどれくらいの時間が経ったか。安易に破壊するのも躊躇われて眺めるだけの緋色だったが、急に荷物が跳ね上がった。
「荷物というか、俺様だけどな!」
こもった女の声が響いた。棺桶擬きの中から、と気付くのと同時。それは木っ端微塵に弾け飛んだ。緋色は慌てて防御姿勢を取る。木片やら鉄片やらが飛び散り、そして、司令の言う『荷物』が立ち上がる。
「ヒーローコード『アカツキ』、参上仕ったぜ!!」
ベリーショートの黒髪を揺らして女は笑った。自信と確信が張り付いた表情。黙っていれば目鼻立ち整った美人なのだろうが、その言動と表情から獰猛な猛禽類が連想される。そして。
(くっ、人類戦士はおっぱいも人類戦士なのか――っ!!)
タンクトップとホットパンツが身体のラインを浮き彫りにしていた。密閉空間で暑かったのか、胸元をぱたぱたしている。抜群のスタイルに女性免疫のない緋色は釘付けになる。
『ほう、気付いたか緋色』
「師匠っ!?」
件の人類戦士は狭いところに押し込まれて固まった身体を解していた。ストレッチが目に毒だ。タンクトップの裾から覗くバキバキの腹筋も流石は人類戦士だ。
「これはっ」
『そこに気付くとは流石だな、我が弟子よ。人類戦士は胸も尻も筋肉も人類戦士ってわけだ』
「うっせえオッサン」
『ヒーローギア』が蹴りで弾かれた。衝撃でスイッチでも押されたか通信は途切れていた。緋色は身構えるまで辿り着けない。気が抜けていたとはいえ、完全に防御圏を抜かれた蹴りだった。
「お前さんが緋色だな。話は聞いてるぜ」
「俺を……? いや、そんな場合じゃないんだろ、人類戦士」
「アカツキと呼べ」
アカツキが豪快に笑う。素早い突きが緋色の目前で止まった。緋色は反射的に構えるが、その間に膝を突かれて尻餅をついた。受け身すら取れなかった。
「まあ座れ。今回の作戦、お前は囮であると同時にこのアカツキの視察対象なんだよ」
理解が追い付かない。知らず視線が胸にいくが、軽く顎を蹴り上げられて顔を見させられる。
「じゃあ、ネタバレの時間だ」
◇
緋色を除く特務二課のヒーローが全員集合していた。全員、だ。
柔和な笑みを浮かべるハート。『天羽々斬り』の柄に手を添える刃。肩に大槍を担いで辺りを見回す焔。苛ついた表情でハートとディスクを睨むギャング。無表情で仁王立ちするコック。冷や汗を拭う隼。不敵な笑みを浮かべるカード。そして、名前を知らないヒーローたち。
「これより、作戦コード『フォーマット』を始動する」
ハートの宣言に全員の視線が始まる。ハートと刃以外に作戦の全容を知る者はいない。ディスクもつい今しがた聞かされたばかりなのだ。この場にいるヒーロー十五人、彼らはこのシェルターに幽閉されていた。扉は開かない、シェルターを破壊出来るヒーローも極数人しかいない。そんな密閉空間。
「始動ってどういうことなんだ、ハート」
ギャングがドスを利かせた声でハートを睨み付ける。その疑問は尤もだった。この有事に最前線の戦力となるべきヒーローを幽閉するとは。
「いつもと同じ、デビルの殲滅だよ。ディスク、始めてくれ」
ディスクは深く呼吸を生らした。後には退けず、先も無い。それでもハートの威圧は収まらない。この場にヒーローを有無を言わさず黙らせる威圧感。
ディスクは『円盤ザクセン・ネブラ』を起動させる。十全。十のネブラが彼女を護るように飛び回る。そして、十の奥、奥の手が姿を見せる。機械的な白い腕。十一番目のネブラが震え出す。ディスクが送った信号は――情報解析。
「お、お、おおぉ――――!!」
飛び出したのはうまく表情の作れない不器用な料理人。コックの『豪腕デリー』が華奢な少女を砕き散ろうと伸びる。鬼神の如き表情、その豹変ぶりに
「やはり、お前もそうだったか」
豪腕の間を抜き、その顔面を鷲掴む。その巨体が大地に叩きつけられ、衝撃にシェルターが揺れる前にその首がねじ切られる。
「ハート……どういう、ことッスか…………」
コックの死体は、屍肉とはならなかった。艶のある陶器。まるで人形のように、形ある無機物のように、無惨に砕け散った。ヒーローたちが息を飲む。反応は大きく別れた。純粋に戸惑う者、警戒する者、そして逃げ場を失い攻撃に出る者。
「シェルター内、無機生命体反応八体」
「刃、動け」
十五分の八。ヒーローの側にネブラが浮かぶ。それ以外はデビルが成り代わった偽物。唯閃とともに抜かれた『天羽々斬り』が猛威を振るう。ディスクは、優しかった刃の豹変に指を止めてしまった。それは般若の如き鬼の表情。仇敵を屠る復讐鬼の表層。根深い怨磋が木霊する。
「殺戮刃鬼――――鬼斬」
腕が飛び、足が飛び、首が飛ぶ。鬼の刃にデビルが次々と狩り尽くされる。砕け散った陶器の破片があちらこちらで跳ね回る。『円盤ザクセン・ネブラ』はもう機能停止していた。少女の目は優男の手に塞がれている。見なくていい、殺戮の首謀者はそう言った。
「ハート、貴方は平気なの?」
「優しいね。でも、心配はいらない。僕にとってはよくあることだ」
普段と同じトーンでそう言われ、ディスクは目を閉じた。その手に阻まれるのではなく、自らの意志で見るのを止めた。彼女は、心の中で名前を呼ぶ。
(どこにいるの――――緋色)
◇
「――とまあこれが『フォーマット』の全容ってこった」
特務二課に入り込んだデビルの殲滅。ヒーローに成り代わり、巣喰い続けた奴らはいつから行動していたのかは分からない。結果的に多くのヒーローが犠牲になってしまった。
「ショートのやつが作戦の要、か」
「だな。あの優男も当たりはつけてたようだが、確実な手を打てる『円盤ザクセン・ネブラ』の適合者が現れたのは渡りに舟ってとこか」
優男というのはハートのことか。忌々しげな顔をするアカツキに、緋色は突っ込まないようにする。藪蛇になりそうだ。
「俺は、その作戦に参加しなくて良かったのか?」
「お前は白だよ。何せあのおっさんが囲ってたんだ。もしデビルだったら二課はゲームオーバーさ」
人類戦士からも一目置かれている二課司令とは何者なのか。
「それに、今は絶賛作戦行動中だぜ?」
緋色が呆ける。作戦は今し方完遂したはずだ。そういう話では無かったか。アカツキはちっちっちっと指を振る。
「デビルがただ紛れ込んでいるだけってのは甘いぜ? 奴らは内通者としてヒーローに成りすましてんだ。『アンティキティラの天体図』のことは筒抜けよ」
アイアムアンティキティラ、とおどけながら人類戦士はけらけら笑う。揺れる胸を凝視しながら緋色は一つ疑問に思う。ならば、自分は一体何なのだ。疑問を口にする前にアカツキが大口を開けた。異様な雰囲気に流石の緋色もビビる。
「お前はこの作戦のもう一つの本命だよ」
これは緋色がデビルと対面するための作戦。彼が敵と合まみえるための試験。
「だからこの作戦は先延ばしにされた。ネブラの起動実験が成功した時点で『フォーマット』は発動出来る」
それでも、急いだのだ。緋色の
「『ヒーローギア』にはそれだけの価値がある。このアカツキが直接出向く程に」
だが、そうまでして優先されたこの状況とは。アカツキは緋色を強く抱き締める。柔らかく、堅く、そして何より熱かった。燃えるような魂の鼓動が英雄の運命を包み込む。
「天体図はさ、実はとっくの昔に破壊されちまってんだ。けど、ここにはそれ以上の切り札がある」
爆発音。衝撃。
輸送車が木っ端微塵に砕け散った。周りに走る車は無かった。ゴツい黒塗りの車が一騎走っていただけ。嫌でも目立つ。
輸送車ごと爆破された緋色は、それでも無傷だった。血濡れの人類戦士が屹立する。車両ごと爆破されたくらいでどうなる器ではない。
「緋色、お前は俺様の弟分だ。これから見るのは地獄なんかじゃない、現実だ。一番最初に俺様の見ている景色を見るんだ。
これがお前の――戦いの
取り囲むデビルの姿が目に入った。そこに雑魚などいなかった。全員デビルコード持ち、通称『名持ちのデビル』だ。だからこそと、人類戦士は戦場に馳せ参じる。
緋色は。
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