緋色は強い

 扉を叩く音に微睡みかけていた意識が覚醒する。ノックの音だと気付いたディスクが反射的に部屋の扉を開けてしまう。緋色がいた。勢いよく扉を閉める。何か言っていた気がするが、気にする余裕は無かった。慌てて洗面所に飛び込んで身なりを整える。五分後、半ば息を切らしながらディスクが外に転がり出る。


「おま、たせ……っ」


 緋色は待ってくれていた。呆れたような苦々しいような微妙な表情を浮かべている。その様を見てディスクはむっと頬を膨らませた。


「いや、悪いな急かせちまって。女の子は準備が大変って聞くしな」

「何か用?」

「一緒に飯でもどうだ?」


 緋色の腕時計を見ると六時を少し回っていた。いつの間にそんな時間になったのか。それでも夕食には少し早い。だが、ディスクも男の子に食事に誘われて無下に断るつもりは無かった。


「うん、行く」







 気まずい沈黙だった。緋色は餃子定食、ディスクはオムライス(とバナナ)。両手を合わせるが、互いに会話が続かない。何を話したらいいのか分からない。


「あれから、どうだ……?」

「どうも」


 また沈黙が舞い降りる。難しい。緋色は後ろ頭をがしがし掻きながら背を反らせた。


「どうしたの?」

「いや、どんな会話したらいいんだろうなーて」

「お話したいの? ご飯じゃなくて?」


 緋色はがっくりと肩を落とした。人のことを言えたものではないが、この子はどこかズレている。


「えっと……何話そう、か」

「それを考えてるんだよ」


 二人して首を捻る。端から見れば異様な光景だろう。だが、二人とも真剣だった。


「そうだ。緋色って何でウォーパーツを使わないの? 今日の訓練だって結局最後まで使わなかったし」


 緋色が苦々しい表情を作る。目の前の天才には分からないだろう。適合率が低過ぎて発動すら満足に出来ない身の上など。


「俺の『ヒーローギア』は適合率が低過ぎるんだよ。精々三割かそこらだ。実戦じゃどうしようもない」


 お前と違ってな、という言葉は辛うじて飲み込んだ。


「どうして?」

「は?」


 ディスクが小首を傾げる。


「低出力でも緋色のギアは切り札足りうるよ。元々強い格闘戦の底上げ、ウォーパーツ使用によるデビルの物理耐性の突破。弱点があるとしたら発動に意識を持って行かれて攻撃が乱雑になること。あと、単純に消耗が激しいことかな。

 でも、あのギアパージは怖かった。解除とともに過剰エネルギーの無差別放射。初見であれに完全に対応しきる相手は少ないはず。その数値でこの結果は十分脅威足りうるよ」


 急に饒舌になったディスクに面食らいながらも、緋色はその言葉を反芻していた。一度には飲み込めない。何度も咀嚼しながら。


「そう、なのか?」

「うん、私の分析に間違いないよ」


 緋色のウォーパーツ。『勇者ブレイブ』から継がれただけの紛い物の適合者。そんな漠然とした劣等感が彼にはあった。だから、緋色はひたすらにひたむきに、己の肉体の強さを追い求めた。ウォーパーツ抜きでもヒーローとして一級品になれるように。その過程を少女は知らない。それでも、その道を進んできた彼を端的に表現する。



「緋色は、強い」



 飾り気の無い言葉が緋色の胸を打った。表情が抜け落ちた顔で緋色はディスクを見た。彼女はそんな少年に気付かない。


「使っていかなきゃ、馴染ませないと適合率は上がらない。すごい疲れると思うけど」

「体力には自信があるさ」


 緋色が笑った。表情が戻る。自然と食が進む。


「ショートは、逆に適合率が高いんだろう? 頼りにしてるぜ、相棒」

「私には、それしかないから」


 口元を綻ばせながらバナナジュースをストローから吸い上げていく。照れ隠しのつもりなのだろうか。糖分を多分に補給してディスクが再び口を開いた。


「私とネブラの適合率はほぼ頭打ち。緋色みたいに成長性はないの。ただ、その扱い方にはまだまだ幅が出来る。

 私の演算処理能力を底上げするか、経験値を稼いで自動演算出来るまで自動化するか。ショートカットキーをどれだけ組み込めるかで効率は大分上がる」


 微妙に早口でまくし立てる。満足げにオムライスを頬ばる彼女の中では何かが完結したらしい。


「おいおい、ショート。選択肢の幅は事欠かないぜ。お前、拳法を極めてみる気は無いか?」


 緋色は小皿に餃子を二つ取り分ける。彼はこの二日間のディスクの動きを思い出していた。

 自らは一歩も動かず、司令塔のようにネブラを操る姿。止まった的ほど狙いやすいものは無い。緋色に隼。ネブラが抜かれた彼女は無防備でしかなかった。


「……ユニーク」


 小皿に差し出された餃子を訝しげに眺める。確かに、ウォーパーツの操作を訓練するよりディスク自身が強くなる方が伸びしろが大きい。華奢なディスクが緋色のようになれるとは考えにくいが。


「一口寄越せよ」


 あ、と開かれた口に餃子が投げ込まれる。緋色は器用に箸でオムライスを一口かっさらっていった。むっとした表情のディスクだが餃子の味が気に入ったらしい。もう一つ口に放り込む。


「一度やってみたかったんだよな、こういうの」


 へへ、と緋色が笑う。この十年間、同年代の友人もおらず暑苦しいおっさんとだけ過ごしてきた。十年という時間を燃やし尽くして糧としてきた。それが緋色の強さ。彼が道だ。

 緋色は強い。天才情報少女からの確かな分析は少年に活路を見せた。間違っていなかった。無駄ではなかった。これからはその十年間を取り戻すことだって出来るのだ。


「強くなろうぜ、二人で」

「うん、頑張ろう」


 二人は顔を見合わせて笑った。







「ヒィィロォォギアアァァァアア――――!!!!」


「狙いは絞らせない。私も前に出る!」







 訓練場のど真ん中で伸びている二人をハートが真顔で見下ろしている。あちゃー、と額に手を当てるのは刃だ。隼がぽつりと呟く。


「何で悪化してるッスか。逆にこっちの調子が狂いっ放しッスよ」

「うんむ……」


 緋色が無理矢理発動させたウォーパーツは隙だらけで隼に蛸蹴りにされた。やたら動くディスクはネブラの操作がおざなりになって円盤がただの背景と化した。互いに互いの動きを阻害し合い、無駄に体力を消費して仲良くノックアウトされた。


「ディスクはともかく、緋色まであっさり潰されるとはね……」


 ハートが頭を抱えた。場を和ませようと刃がからかう様に茶々を入れた。


「緋色のこと、買ってるんだね。ディスクちゃんも動き次第で狙いは悪くないと思うけど」

「ん? ……ああ、そうかもね」


 ハートが煮え切らない態度を取る。訓練時の彼がこんな態度を取るのは珍しい。何か彼なりに思うところがあったのかもしれない。


「でも、君たちも今日はどうしちゃったの? 油断? 慢心?」


 刃が隼・コックのバディに睨みを利かす。隼が目に見えて焦り出す。


「い、いや、違うッスよ姐さん!! 何かコックの動きがおかしかったッス!!」

「お、俺なのか……?」


 今日の訓練、緋色・ディスクの悪い意味での番狂わせに動揺したか、二人の連携もガタガタだった。互いに何とか繕っていたが、歴戦の剣士の目は誤魔化せない。目の据わった刃が異様な圧を放つ。


「どうしちゃったッスか、コック!? これじゃあ昨日の緋色たちと大して変わらなかったッスよ?」

「うんむ、スマン……」

「何か、あったッスか?」


 大丈夫だ、とコックは言う。相変わらずの無表情で読めないが、それでも付き合いの長い隼はどこか違和感を覚えていた。何か起きたとして、それをうまく表に出せる程器用な相方では無いことは分かっている。


「刃、今日はちょっと上がらせてもらうッス。私闘リンチがあるならばオイラ一人だけで」

「よろしい。二人のコンディションを調整することが訓練内容よ」


 刃が二人の背中を叩いた。もういつもの顔に戻っている。隼は安堵の息を吐いた。


「コック、今日も焼魚定食お願いね。ちゃんと戻ってきなさい」

「うんむ、承知した」


 残されたのは緋色とディスク。そろそろ意識を取り戻して欲しいところだ。刀の柄に手を掛けながら刃が近付く。


「待て、まだ起こすな」


 刃は柄から手を離した。ハートは解除されて腕時計に戻った『英雄の運命ヒーローギア』に触れる。呼吸を変えると、その手に小さな歯車が浮かび上がった。


「ハート、これって……?」

「やはり、そういうことか。これは司令に謀られたね」


 中空に溶けて消えた歯車が力の余韻を残す。ハートは何かに気付いたようだったが、刃は追及しなかった。ハートが自分に黙っているのは何か理由があるから。刃は軽々と緋色とディスクを抱え上げると小さく笑った。


「解散しよっか。ディスクちゃんは一応医務室に連れて行くね」

「緋色は僕が持つよ。部屋に放り込んで置く」

「ねぇ、ハート」

「ラストトリガー、だ。それが猶予だよ」


 君は優しいね、と。ハートは柔和な笑みを浮かべながら彼女の頭を撫でた。



「この二人に即席の相棒バディは無理だ。だったら、残念ながら話は早く済んでしまうんだよ」







 夜、食堂で刃は一人で座っていた。向こうで緋色とディスクが何か話しながら笑顔で食事をしている。訓練の結果は散々だったが、刃はそれを良い兆候と捉えていた。互いに影響を与え合い、一緒に強くなる。そんな理想的な相棒バディになるだろうと。


「うんむ、待たせた。今日は新人と一緒でなくていいのか? そんなに徹底して気配を消されるから気付くのに時間がかかったぞ」

「うん、邪魔したくないから」


 両手を合わせて刃が箸を取った。伸びた背筋と和装が妙に噛み合って絵になる。二口、三口と続ける刃を見て、コックも厨房に戻ろうとする。


「待って。今日は飲む。辛目のがいい」

「うんむ、待て」


 食堂が騒がしい。緋色とディスクと、何故かギャングが。何か言い争っているように見えるが、仲が良いようで何よりだ。二人とも特務二課に馴染めるか心配していたが、この分ならば問題無いだろう。


「注ぐぞ」

「……ありがとう。私、コックのご飯好きだよ。おいしいもん」


 コックが目を伏せる。あれは照れ隠しの仕草だ。以前隼に教えてもらった。猪口の横に置かれた和らぎ水を速攻で飲み干すと、今度はコックの眉間に皺が寄った。北海道の地酒の大瓶を手に固まっている姿を見て刃がけらけら笑う。


「……飲んできたのか?」

「ちーがーいーますー。私は絡み酒なんてしーません」


 何度か付き合わされているコックは大瓶を置いて一度水を汲みに行った。何事かあったのか。ありがとう、と刃は頭を下げた。勝手に飲み始めているとばかり思ったが、そうでは無かった。無言のまま猪口に注ぐ。ありがとう、と刃はもう一度言った。


「……付き合うか?」

「ごめん、今日は一人で。潰れてたら目立たないところに投げといて」


 返事に困る。特務二課の頼れるナンバーツーがいつになく弱気だった。しかし、彼女と何度か酒を酌み交わしたことのあるコックは知っていた。何もかもが化け物染みているハートとは違い、刃は繊細な一人の女性なのだと。


(うんぬ、こんな時にハートは何をやっておるのだ……)


 そんな不満を抱いてふと食堂の隅に目を動かすと、いた。柔和な笑みを浮かべた黒スーツの男がラーメンを啜っていた。スーツで何てことを。というより食堂で彼を見たのは初めてな気がする。向こうもこちらに気付いたのか、何やら申し訳なさそうな表情で手を立てていた。気にするな、と首を振る。彼がいるのならば刃は任せて大丈夫だ。







「それ以上は明日に差し障る」


 顔を真っ赤にして机にうつ伏せになっている刃が顔を上げる。その手には猪口と酒瓶ががっちりと握られていた。執念すら感じる。


「んふふ、ハートが来てくれたー」


 刃は酒に弱い訳では無かったが、酔うとすぐに顔に出てしまうタイプだった。それで人類戦士の玩具にされたことを思い出して、ハートは彼にしては珍しく顔を歪めた。


「何よぅそんな顔して」

「明日の予定を思い出すんだ。今からこんなに飲んで何の予行のつもりだい?」

「私はダメな女じゃありませーん」


 ダメだ。


「ハートだってこんなアラサーのおばさんより若い子の方がいいんでしょー? やーいろr「その話は止めようか」


 不名誉なレッテルを貼られる前に会話をぶったぎる。握り締められた猪口と酒瓶をむしり取り、なみなみと注がれた和らぎ水を握らせる。少し溢れた。


「ほら、第一君だってまだ二十代だろうが。まだまだ若い盛りさ」


 刃の頭をポンポンと叩く。むくれた顔で刃は「子ども扱いしないで下さい」と抗議した。ハートは苦笑した。そのまま覚束ない動きで厨房に立つコックを指差す。


「どうした?」

「トリガーゼロ」


 なるほど、と彼は言う。ちびちびと水を口に運ぶ彼女の頭を無造作に撫でる。刃がくすぐったそうに頭を揺らした。


「辛い役を強いる。これも僕の能力不足と甘さが招いた結果だ。反省しなければね」


 いつものように柔和な笑みを張り付けながらハートは言った。


「ハートのせいじゃない。デビルどものせい。私のせい。ごめんなさい」

「気にするな。僕ら二人の失態だ。だから確実に取り戻す」


 だから安心しろ、とハートは刃の額に手を乗せる。ひんやりとした感触が心地好い。刃は伏し目がちに小さく笑った。


「さて、僕は司令に用がある。君も明日には復帰するように。正念場だ」


 立ち去ろうとしたハートの袖を刃ががっちりと掴んでいた。机に身を乗り出して、全身乗り上げての行動。ハートが助け起こす。


「もう少し、居て」

「そんなんだから十年経っても子ども扱いなんだよ、お嬢様」

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