適合率

「さて、もう大丈夫そうかな」


 顔の赤みも引いてきたディスクを見てハートが言う。ポニーテールの少女は少し残念そうに唇を尖らせた。


「ふふ、すっかりハートお兄ちゃんに懐いちゃったね。羨ましいなぁ」

「茶化さないでくれ。これから仕事の話をするんだから」


 黒スーツの優男が顔つきを変える。その精悍な表情をディスクはぼうっと眺めていた。二人の訝しげな視線を受けてぶんぶんと頭を振る。大事な話だ。集中しなければ。


「正直、君のことについては司令から何も聞かされていないんだ。緋色については事情はある程度聞いているけどね」


 緋色については。自分に勝った少年のことを思い出す。あの少年は、何か特別だった。何より、強かった。あれは弛まぬ鍛練の末に身に付けた本物の強さ。何があの少年をここまでさせたのか。少女には理解し難い。


「あの、私は風雲児さん……司令にスカウトされて。補欠メンバーでは無かったんだけどいきなり急に「待った」


 ハートが止める。


「僕らヒーローの素性は機密情報に該当する。迂闊に身の上話をしないでくれ」


 ディスクが顔を真っ赤にして泣きそうな表情を浮かべる。慌てて刃が間に入った。


「取り敢えず、質問されたことだけを答えて頂戴。ヒーローとしての基本情報が知りたいだけなの。だから、落ち着いて」


 こくりと小さく頷く。よろしい、とハートが仕切り直した。


「君のウォーパーツ、『円盤ザクセン・ネブラ』についてだ」

「『円盤ザクセン・ネブラ』は情報集積処理機構の制御装置です。背中の演算装置本体が制御者たるして情報を処理、変容させています。変容のアーキタイプは大きく分けて四つ。

 斬撃のアーキタイプであるネブラ・ソー、砲撃のアーキタイプであるネブラ・レーザー、防御のアーキタイプであるネブラ・シールド、反射のアーキタイプであるネブラ・ミラー。他のタイプの変容も可能ですが、脳への負担が甚大です。類型化させて演算項目を減らすことでようやく十の円盤を操ることが可能になります。

 それでも4×10パターンの攻撃タイプ、円盤の重ね掛けの強弱を含めれば4×10×10通りの変容パターンが生まれます。さらに十一番目のネブラ、通称の活用で対象の情報解析も可能です。詳細は機密事項に指定されていますが」


 急に饒舌になったディスクに唖然となる。色々と様子のおかしい子みたいだ。敬語はいい、とハートが求めると失敗を恥じて俯いてしまう。彼は後ろのに助けを求めたが、にこやかに拒否された。


「……で、だ。君のウォーパーツのスペックは良く分かった。問題はそれを君がどこまで扱えているのかということだ。知ってのとおり、生身の人間がフルスペックで扱えている例はかの人類戦士を除いて他にないからね」


 質問をするとちゃんと答えてくれる。淀みない口調で少女は言った。


「『円盤ザクセン・ネブラ』の適合実験が始まったのは半年ほど前。そこからの平均適合率は97.2%。フルスペックにはまだ……」

「だとは思ったけれど……臨界者、か。誇るといい。その適合率は恐らく人類戦士に次ぐ数値だ」

「たった半年であそこまで自在に操るのは才能故かしら。私が『天羽々斬』をここまで扱うのに幼少からの修行で二十年近くかけているし。適合率は90%代前半を推移……これでも焔と並んで二課では頭一つ抜けている数値なの」


 活殺自在の極み。その妙技はディスクも遠目ながら目撃していた。情報は分析済み。


(一子相伝、大道寺家の剣技と神器として奉られている『天羽々斬』。そんなことを言ったら処分されちゃうのかな)


 常人離れした情報処理能力、それはハッキングの腕にも生きていた。以前、腕試しとしてハッキングした二課のデータファイルの中にこの情報はあった。

 そんなディスクでも一定以上のセキュリティーの先へは踏み込めなかった。ハートと緋色。この二人についてはその存在すら触れられ無かった。最重要機密、というやつだ。


「それでも……緋色には勝てなかった」


 緋色は、強かった。ウォーパーツあってこその自分とは違い、彼は生身のままでも戦える。もし、そんな彼がウォーパーツを本気で扱ってきたら。きっとここまで渡り合えはしなかっただろう。


「緋色は君と正反対のタイプだ」


 相棒バディだから教えておくよ、とハートは前置きする。緋色は自分のことを好んで話すタイプでは無かったから。


「適合率31.2%。それが彼の最大適合率、と聞いている。その代わり、彼はウォーパーツ無しでも戦えるように鍛えられている……デビル相手には非効率的ではあるんだけどね」

「その適合率でどうやってウォーパーツの起動を……」


 ハートが肩を竦めた。刃も首を振る。

 ヒーローがウォーパーツを扱う際には、その適合率を以てして能力を発揮する。そして、起動に要する適合率は概ね70%という試算が出ていた。それ以下では起動出来たとしても心身への負担が大きい。ディスクが知る限りでは過去に適合率50%を下回って起動させた例は無かったはず。


「彼のウォーパーツ自体が特殊なのか、それとも数値自体が嘘なのか」

「緋色の経歴についてはディスクちゃん同様さっぱりだしね」


 それでも本人の特殊性は考慮から外した。低い適合率でもウォーパーツを起動出来る特殊な体質であるのならば、新人研修でここまでの苦戦は見せなかっただろうし、そもそも武術の鍛錬の意味が無い。


身一つ312、というわけかな」

「ああ、そう捉えたか。僕は未必312、つまり実現への曖昧な可能性を示唆していると考えていたけどね。安定しない、というのが答えなんじゃないかと考えている」


 二人とも緋色の潔白を信じちゃいなかった。


「へー、二人とも駄洒落がうまいのね」


 黙って聞いているだけだった刃が抜けたことを言う。そんなズレた突っ込みをする彼女に二人揃って顔を歪めた。







「よぉ、身体は大丈夫そうだな」


 食堂入口で待ち伏せられた。ディスクは露骨に不機嫌そうな顔を作る。付き添っていた刃がめっと人差し指を立てる。


「こら、相棒バディ何だからちゃんと仲良くしないと」

撫子なでこも一緒だったか。ショートと飯食うつもりだったけど、一緒にどうだ?」


 緋色の声が少し上ずる。ディスクが一層不機嫌になった。


「んー、二人の邪魔するのは「私も、刃と一緒がいい」……じゃあご一緒しようか」


 苦笑いの刃と対照的に緋色はガッツポーズを掲げていた。ディスクの半開きな目がどこか不穏だ。


「お腹空いた」「うん、行こうか」


 女性陣二人は既に仲が良さそうだった。そういえば二課の女性ヒーローはディスクが来るまで刃一人のみだった。今まで肩身が狭かったのかもしれない。


「こういう食堂とかって俺初めてなんだけどどうすんだ?」

「私、知ってる。半券を買っておばちゃんに渡すの」


 二人して食券機を探してきょろきょろする。その様が何だか仲の良い兄妹みたいに見えて刃はつい吹き出してしまった。


「「?」」

「ごめんなさい。ここのはヒーロー専用の食堂だから直接注文すればいいの。珍しいメニューを食べたかったら前もって言わないとだけど」


 ヒーロー専用の食堂。流石は日本の平和を託されているだけあって、扱いが豪華だ。緋色だけでは無くディスクまでもが目を輝かせている。


「俺、カレーな!」

「ハンバーグ食べたい。あと、バナナ」

「舌もお子様か……というかどんな組み合わせだよ」

「バナナは完全食。低カロリーながら摂取エネルギーが多く、食物繊維も豊富で何より糖分が十全。緋色と違って頭脳重労働の私には糖分の補給は生命線。バ ナ ナ は 完 全 食」

「お、おう……そんなムキになるなよ」


 後ろを振り返ると刃が笑いを噛み殺していた。意外にも表情豊かである。


「奥のカウンターで注文出来るからね。飲み物は何がいい?」

「バナナジュース」

「烏龍茶……バナナ、ジュース……?」

「バ ナ ナ は 完 全 「うん、分かった。席取っとくから」


 感謝の言葉を伝えながら二人が走り出していく。はしゃぐ二人を微笑ましく感じながらも刃はドリンクバーへと足を向けた。


「すげー! 料理長がロボットだあ!!」

「これは、アンドロイド? ここまでの技術力とは ……」


 見るもの全てが新鮮で刺激的。十年前からの初期メンバーである刃にはこの初々しい反応が何よりの刺激だった。手近な席に腰を落ち着けると、色黒の大柄な男がトレーを持ってくる。ヒーローコード、コック。彼は二課に所属するまで料理人だったらしい。こうして厨房に立つ方が気持ちが落ち着くとのことだ。


「珍しいな、刃。最近は一人で食事を取ることが増えてきたが」

「うん、ちょっとね。例の新人に捕まっちゃった」


 おどけて小さく笑う。コックは無表情のまま焼き魚の定食を置いた。表情の変化が分かりづらいのはいつものことだ。ありがとう、と刃は礼を言う。


「今日は、飲むのか?」

「ううん。未成年の前だからね……というか時々しか飲まないでしょ。私は酒乱じゃあーりませんー」


 むくれる刃にコックは小さく鼻を鳴らした。彼なりの冗句だった。刃は烏龍茶とバナナジュースを向いの席二つの前に置く。自分の席には湯飲みに入った緑茶。厨房に戻っていくコックの背中を目で追っていると、騒がしい声が耳に入った。先輩風を吹かしているギャングと緋色が言い争っている。半目のままトレーを運んでくるディスクの口元が少し緩んでいた。


「あれだけ動いた後に元気だね」


 席に着いた緋色をからかうと彼がちょっと慌てた。何があったのか気にはなったが、ポニーテールの少女が手を合わせてこちらを見ていたので詮索は止めた。両手を合わせて、いただきます。

 カレーライスとハンバーグ。年齢の割には子供染みていた。そんなことを本人に言うと気を悪くしてしまうかもしれないけど。食事中、会話はぴたりと止んだ。今まで会話を振っていた刃が無言のまま食していたから。彼女は食事中にはあまり話さない。


「緋色、強いね。驚いた」


 ディスクが口を開いた。実力はほぼ拮抗していたが、それだけに最後の一撃の差は大きい。緋色は最後まで真っ直ぐ突き進んだが、ディスクは最後まで撃ち切れなかった。


「まぁ、鍛えてるからな」


 腕を出し、軽く手を握る。力を込めるまでも無く、引き締められた筋肉が浮かび上がる。


「そういう意味じゃ……でもすごい」


 ディスクが人差し指で突いてくる。その仕草に照れが入ったか、緋色が目を背ける。刃がにやにやしながらこちらを見ていた。


「何か付き合いたてのカップルぽい」


 慌てて指を引っ込めるディスクの顔が真っ赤だ。緋色も首筋に手を当てて照れ隠す。一足早く完食した刃は緋色の背後に回る。


「それにしても本当にすごい筋肉。私、筋肉好きなの。筋肉フェチ。ちょっと触らせて」


 言いながら触っていく。緋色が呼吸を変えた。伸筋に勁を発する練気の呼吸。全身の筋肉に気を送り込み、さっきとは比べものにならない程に筋肉が隆起する。力強く拳を締め、どこかしたり顔で刃を見つめる。分かり易い男だった。


分析完了アナライズ。これが人体の神秘」


 物珍しかったのかディスクもぺたぺたと触り始める。刃の絹のような手の平の感触を皮膚細胞で感じ取りながら緋色は満ち足りた表情を浮かべた。


「本当に、戦うための筋肉って感じね。司令よりもハートの筋肉に近いかも。伸縮ある堅さが素敵」

「ハート? そんなに鍛えている感じには見えなかったけど」

「彼、脱ぐとすごいの」


 ごくり、とディスクが生唾を飲む。何でお前が食いつくんだ、という緋色の視線も通じない。そんな三人の筋肉談義は、食堂で騒いでいることを見かねたギャングが怒鳴り込んでくるまで続いた。

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