祭りの後

「うむ、よく頑張ったな二人とも」


 ハートと刃に引き連れられ医務室に向かう途中だった。相変わらずダークグレーのスーツをだらしなく着崩す司令が待ち伏せていた。ハートにおぶられているディスクを除く三人は敬礼をする。司令は返礼を返した。


「司令、拝見しましたよ貴方の虎の子を」

「そうか。お前の目から見てどうだ」

「素地はしっかりしていますね。これから実践を積んでいけば順調に成長するでしょう」


 司令が満足気に頷いた。


「それでは、僕らはディスクを医務室まで連れていきますので。今日は大入り満員で室長先生も大喜びじゃないですか?」

「緋色は大丈夫でしょ? 男の子だもんね」


 軽口を叩きながら二人が廊下の角に消えていく。二人残されて緋色は壁を背にしてへたりこんだ。年上の大和撫子にいいとこ見せようと虚勢を張っていたが、相手が暑苦しいおっさんに変わってその必要は無くなったのだ。


「どうだ、緋色。ここがお前が一緒に戦っていく場所だぞ」


 楽勝っす、と緋色はやる気の無い声で答えた。消耗が激しい。新人研修の過激さだけでは無かった。適合率が低いウォーパーツを無理矢理起動したことで肉体と精神が蝕まれていた。


「拳一つで戦ってやると息巻いてきたお前だが、これで分かったろう。ウォーパーツ抜きではこの先生き残れない。気合いと根性だけではヒーローは務まらん」


 司令の言っていることは尤もだった。長年の戦いの末、デビル相手には通常兵器の効果が薄いことは分かっている。その強靭な肉体を効果的に破壊せしめるのは、謎の力に満ちたウォーパーツだけ。


「流石は師匠の部隊。一筋縄ではいかなそうだ。刃には今のままでは勝てないし、ハートは生身でやりあっても厳しいだろうな」

「あの二人は二課設立当初からの主要メンバーだからな。年季が違う」


 緋色の隣に司令が座り込んだ。ぼそりと疑問を口にする。


「……対人の模擬戦なんて意味があったのか? 俺たちが戦うのはデビル相手だろ」

「デビル・マオウや四天王、主要なデビルは人型が多い。人間相手に戦い慣れることは無駄じゃない」

「そういうことにしといてやるよ。てか、思いっ切りウォーパーツ振り回していたけど大丈夫なのか?」

「何だお前気付かなかったのか。適合者は多かれ少なかれウォーパーツに対する耐性があるんだよ。戦っていて感じなかったのか?」


 初耳だ、と緋色は足を投げ出した。緋色は新人研修の戦いを思い出す。確かに思っていた程に負傷は無かった。緋色は黒い腕時計を見つめる。一体何なのだろう、この兵器は。


「で、ショート……ディスクは、何者なんだ? あれだけウォーパーツを使いこなしてただの適合者ってことはねぇだろ?」

「ただの、ね」


 司令が含みを持たせた笑みを浮かべる。


「あの子自身は本当にただのスカウトだよ。ハートのような特殊な経歴を持つわけでも、刃のような特異な血筋でも、ましてやお前のように特別なウォーパーツを持つわけでも無い」


 だが、と司令は一拍置く。ハートや刃のことも気にはなったが、緋色は聞き流した。どうせ詳しいことまでは教えてくれないだろう。ヒーローの機密保持というやつだ。


「あの子は掛け値抜きの天才だ。スーパーコンピュータ並の情報処理能力を持つ天才児。加えて、ウォーパーツの適合率も常に100%に近い数値を叩き出している。恐らく人類史上初めてだ、これほどまでの才能の持ち主は」


 天才。才能。緋色は下唇を噛んだ。この十年間、緋色は血も滲むような鍛練を続けてきた。『ヒーローギア』との適合率は思うような数値が出ず、十年間の鍛練でようやく起動できるようになっただけ。自在に操るなど夢のまた夢。


「腐るな、緋色。今日お前は勝った。この十年間は確実にお前の血肉になっている」


 司令の大きな手が緋色の赤髪のがしがし撫でる。いいようにされながら、緋色は呟くように言った。


「強かった。才能だけであそこまでやれるものなのか」


 司令の手が止まる。


「才能とは、力だ。だが、力と強さはまた別のものだぞ。お前があの子を強かったと思うのならば、あの子にもあったんだろうよ。力を強さに変える何かが、な」

「それは「うむ、本人から直接聞け。相棒バディだろうがお前らは」


 立ち上がり、緋色を引っ張り上げる。その力強さに緋色は堪らずよろめいたが、もうへたりこまなかった。


「お前はようやくスタートラインに立ったばかりなんだ。今日の訓練で課題が見つかったならば克服して見せろ。お前はもっと強くなれる。この俺が保証する」

「押忍!」


 一人で立って歩かなければ。背筋を伸ばして緋色は歩き出す。その姿を見つめながら、司令は緋色に聞こえないほど小さな声で呟いた。


「お前は、死んでくれるなよ」







 医務室のベッドの上で、ディスクは目を覚ました。額に当たるひんやりとした感触。それは、ハートの手だった。


「ん、起きたかな」


 びくりとディスクの頭が跳ねた。寝顔を見られた。頬をほんのりと赤く染めながら身体に掛かっていたタオルを口元に抱き寄せる。


「……あの、私は」

「最後の奥の手、あの後に君は気絶したんだよ。勝負は緋色の勝ち。惜しかったね」


 落ち込むようにディスクが項垂れる。心配になったのかハートが覗き込むと、ぷいと首を逸らされる。耳まで真っ赤だ。


「あんまり……見ないで下さい」

「ごめんごめん」


 ディスクが立ち上がろうとしてハートが手で制する。まだ寝ていないとダメだよ、と。どうやら軽い発熱があるようだった。『円盤ザクセン・ネブラ』の十全を操るには莫大な演算処理回路が必要となる。それを個人の頭脳で行っているのだ。その負担は計り知れない。


「その消耗の激しさは今後の課題だね。君はもう少しウォーパーツに頼らない戦い方を身に付けた方がいい。緋色のようにね」


 優しく語りかけるハートにディスクは小さく頷いた。ハートの手が赤みを帯びた彼女の額に乗せられる。体温自体が低いのだろう。ひんやりと冷たい。何より、どこか安心する。ディスクは甘えるように頭を預けた。


「あー、ハートが新人ちゃんを口説いてるー」


 悪戯っぽい含み笑いを浮かべて現れたのは刃だ。ディスクの頭が再び跳ねた。ぶんぶんと真っ赤な頭を振り、タオルをぎゅっと抱き寄せる。


「ほら、ディスクちゃん。ちゃんと水分補給ね」


 スポーツドリンクの入ったペットボトル。刃は蓋を外してからディスクに手渡す。そう言えば物凄く喉が乾いた、と彼女は気付いた。口を着けてペットボトルを大きく傾ける。


「ダメダメ、一気に飲んじゃ。少しずつ口に含むように飲むの」


 言うとおりにする。ちびちびと口に含んでいると、心なしか活力が戻ってきた気がする。


「バイタル安定。大丈夫そうねん♪」


 ぶふぅ、とスポーツドリンクを吹き出した。少量だったため大惨事は免れた。というか、大惨事は目の前にいた。

 ピンクのナース服に身を包んだその人。角刈りの頭に青髭が残る濃い顔。濃い目の化粧にしなを作る仕草。


「あらん♪ 大丈夫?」


 野太い声だった。全然大丈夫では無い。ディスクは率直にそう思った。大丈夫では無いのはそこのアンタだ。


「室長先生、お疲れさまです」


 ハートが頭を下げる。大丈夫では無いのはこの組織なのかもしれない。ショックで寝込んでしまいそうだ。


「元から軽傷だし、意識が覚醒したなら大丈夫よん♪ 後は任せた♪」


 新人研修。お祭りのような一大イベントではあるが、とにかく怪我人が大量に発生する。室長は別の患者に駆け寄って行った。小さく悲鳴が聞こえた。出来るだけ穏便に気絶させようとしていたディスクだが、何人か怪我を負わせてしまってもいた。彼らには本当に申し訳ないと思う。







『はーん、なるほどね』


 通信機から女の声が響いた。自信に満ちた力強い声だった。司令はサングラスを外して目蓋を揉む。過去の事件で目に傷を負った彼は度入りのサングラスを着用していた。


「珍しくお前から連絡してくると思ったら……『勇者ブレイブ』の跡取りがそんなに気になるか」

『まーな』


 新人研修の映像記録。特務二課の機密情報に規定されているはずだが、司令はそれを通信先の女に流していた。


『良く鍛えられてんじゃねぇか。緋色って言ったか。実践抜きにここまで育ったったぁ俺様も驚きだぜ』

「俺が鍛えたからな」

『アンタの手柄じゃねぇだろ。頑張ったコイツの成果だよ』

「相変わらず、手厳しいな」


 情報スパイは重罪である。場合によっては極刑すらありうる。しかし、この行動が明るみに出たところで、処分が下ることは無い。


「作戦コード『フォーマット』、手回しは完了した。作戦発動が急務なのは理解しているが、緋色とその相方を戦場に立たせるのはまだ早すぎる」

『このために一年早く投入したのにな。皮肉なもんだぜ。難航が予想されていた欧州との交渉がすんなり行ったってとこか』

「そんなとこだ」


 その理由は通信の相手にあった。息を吸うように超法規的措置を繰り返し、息を吐くようにデビルを殲滅していくこの女は。


『コチラの調子はもう出来上がってるぜ。発動時期が決まったら連絡寄越しな』

「了解した、アカツキ」


 ヒーローコード、アカツキ。人類戦士その人なのだから。彼女こそが人類の頂点。国を越えた人類という種の代表者。人類守護のためには、この『英雄魂ヒーローハート』が必要不可欠なのだから。

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