新人研修(前)

 辿り着いたのはだだっ広い空間だった。大訓練室と銘打たれたコロッセウムのような空間。十人。待っていた彼らは特務二課の正規ヒーロー。ハートと刃を含めて十二人。今日から緋色とディスクも加わり十四人だ。加われば、の話だが。


「ひゃっはっは、今度の新人は若いなぁ」


 緑髪を逆立てたブルゾンの男が威圧的な視線を投げた。他にも値踏みするような視線が纏わりつく。


「こら、ギャング。を威圧してはいけない」

「うわぁ、流石ハートはえげつない」


 緋色は右手を首に当てて骨を鳴らす。手荒い歓迎、それが新人研修。状況が読み込めないディスクは一先ず放っておいてハートの言葉を待った。


「何をするのか大体予想がつくと思うけどね。ここで君たちの実力を見せて欲しい。二課の現役メンバーと戦ってどこまでやれるか、これから続けられるか、それを確かめる通過儀礼だ。存分に腕を振るうといい」

「対人戦……? デビル相手に戦うはずの俺らがそんなことして意味があるのか?」


 緋色は首を捻るが、ハートは無言のままだった。やるのだ。無言の気迫に当てられて緋色は不敵な笑みを浮かべる。彼だって伊達に鍛錬を積んできてはいない。腕っぷしには自信があった。


「いいさ、やってやる。俺ってば今までシミュレーターの相手ばかりだったからな。生身の相手にどこまでやれるか試してみてえってのはある」


 ようやく状況を飲み込めたディスクが臨戦態勢を整える。それを手で制しながらハートが口を開く。


「五分、心の準備と戦略の準備を与えよう。全員参加のバトルロワイヤル式だ。逃げ切ろうが何しようが最後に立っていた一人が勝ち。簡単だろ?」


 緋色はハートの姿を見た。ブレない重心、目の動き、声の抑揚。動きにくそうなスーツ姿も、よく観察すると伸縮性に富んだ特注品。強敵だ。緋色は拳を強く握った。


「そんなに力むことはないっスよ」


 小柄な黄色Tシャツの男が緋色の肩を叩く。緋色が余計に固まる。接近を察知出来なかった。もし戦いが始まっていたのならば今のは致命打だ。


「オイラはコード、はやぶさ。この試合は誰と組んでも誰を敵にしてもいい。柔軟な立ち振る舞いが大事っス」

「……今、勝者は一人って」


 ディスクが噛み付く。隼は意味ありげな苦笑を残すと去っていった。ハートも説明を終えた気らしく、大きく手を叩いた。今から五分だ。緋色はディスクに声をかける。


「お前、戦えんのか?」

「愚問。でなければここにいない」


 緋色は黒い腕時計の針を覗き込んで時間を確認する。


「お互い敵同士。緋色相手でも容赦しないよ」

「上等」


 振り返った先、ディスクの姿はもう無かった。







 小指、薬指、中指、示指、そして親指で押さえ固める。平の空気を絞り出し、気力を圧縮する。これが拳の作り方。残り一分。緋色は既に臨戦状態にあった。


(特務二課手練れのヒーロー、ね)


 四分間、緋色は周りを観察していた。ウォーパーツ。正体不明の異質物より生み出された現代兵器、というのが日本政府の受け売りだった。使い手を選び、適合率が高くなければ起動すら出来ない。ウォーパーツに選ばれた適合者こそがヒーロー足りうる。


(これ見よがしにそれっぽいやつを持っているのもいれば、隠し持っているやつもいるな。今までシミュレータ―相手でしか経験してないからどんな戦い方をするのか想像つかん)


 開始時の立ち位置は自由だ。この空間、まるでコロッセウムのような舞台の真ん中にはハートが自然体で柔和な笑みを浮かべている。その真っ正面で緋色は端っこの壁に背を付けていた。


「はい」


 ぱん、とハートが手を叩く。開始の合図だ。緋色の立ち位置、ここからなら背後からの急襲は無い。力強く地を蹴った緋色はハート目掛けて一直線に飛び出す。


「瞬歩。悪いが、実力示すんならトップを狙うしかありえない、ぜっ!?」


 背中を強打して緋色は転がり落ちた。完全な不意打ち。土煙を上げながら派手なヘッドスライディングを決める緋色だが、勢いが止まる頃には既に体制は立て直っている。


「おいおい、いきなりそれは調子よすぎるぜ」


 逆立った緑髪、ヒーローコードはギャング。声は右から。目視、距離は二十メートル程。あの位置からどうやって背中を攻撃したのか。周囲に浮かぶ石の球体に他ならない。


「『宝球コスタリカ』。俺の球が暴れたりねぇってよ」

「ウォーパーツの力、てか。流石に一筋縄には行かないか、バジル」

「バ、ジル……?」


 緑だからか。


「ぺーぺーが何様だゴラァ!! ヒーヒー言わせてやる!!」


 怒らせてしまった。腕を振るうギャングに合わせて石球が襲い掛かる。半身を開いてギリギリを回避する緋色が膝をついた。


(何だ? 躱したはずじゃ?)


 左、背後。石球が二発。低い姿勢のままクラウチングスタートのように緋色が駆けだす。タネは分からない、今度は何とも無かった。とにかく速攻を駆ける、得体の知れない攻撃の前に沈めてやる。


「柱震コスタリカ!!」


 阻む石球が縦に連なる。盾であり、柱のように。緋色は勢いのまま掌底をぶつける。


「掌波」


 踏み込み、放つ。単純な暴力ではなく、インパクトを逸らすテクニック。石柱の表面ではなくその中心軸へと。崩壊する鉱物の固まりの向こう側でギャングの驚いた表情が覗いていた。


「にゃろ!? ソニックコスタリカ!!」


 砕ける石の破片が一斉に振動を始めた。咄嗟にガードを固める緋色は大口を開けた。鎌鼬が防御した腕を切り裂き、鼓膜に嫌な振動が伝わる。深く息を吐いて気圧差を慣らした緋色は、今度は膝を付かなかった。


「振動、ね。これは相性最悪だなぁ!」


 バックステップを続けて距離を空けながら。ギャングが石球を繰りながら距離を詰める。この闘技場全体までコスタリカの操作範囲は及ばないらしい。距離を取りながら、すれ違うハートに挑発的な視線を送る。気付かれて手を振られた。


(ふざけやがって。てか、ガンガンウォーパーツの力使ってるけどこれ対デビル兵器じゃなかったのか?)

「はっ、相性悪ければ逃げるのかぁ!? そんなんでヒーローやれるかよっ!」


 その疑問に付き合ってやる余裕は無い。コスタリカの移動速度は緋色より少し速い程度。十分目で追える。近くを通られないように拳で迎撃していく。


「んな逃げ腰だって追い詰められるだけだってぇの」


 反対側の壁に追い詰めて嬲り倒す。だからギャングは本気で緋色を攻撃しない。だからバックステップでの迎撃で対応し切れている。追い詰めた先の必勝パターンが見えているから。

 だが、緋色は見ていた。試合開始の直前まで、全体が見渡せる位置から二課のヒーローの立ち位置を確認していた。開始直後でも緋色やギャングのように激しく動いているヒーローもいるだろう。しかし、彼女は絶対にそんなタイプではない。バックステップで逃げているのではない。この状況を打開する目当てに後ろ向きに向かっているだけだ。


「よぉ、ショート。好調か?」

「何しに来たっ!」


 少し怒っている。緋色は苦笑を浮かべた。わざわざ緋色と正反対の位置を陣取っていたディスクからするといい迷惑だろう。


「お前にうってつけの相手を連れてきた。ポイント稼いじゃえよ」


 誰と組んでもいいし、誰と敵対してもいい。誰に押し付けてもいい。背中を押されたディスクが見たのは五つの石球が殺到する場面だった。


「ネブラ・ソー」


 『円盤ザクセン・ネブラ』。五つの円盤がコスタリカを両断する。似たようなウォーパーツ同士なら相殺出来ると踏んでいた緋色だが、これは予想以上だ。


(こいつ、強いのか……)


 三人。ディスクの近くに倒れているヒーローの数だ。ディスク本人は立ち位置から殆ど動いていない。近くに他のヒーローもいない。この短時間で三人も迎撃したのか。


「んだとぉ!?」


 ギャングにとっては完全な不意打ちだった。油断して近づき過ぎたのだ。緋色の瞬歩が拳の有効範囲まで距離を詰めていた。じゃらり、と鎖の音がする。両の拳をチェーンで巻いたギャングが息巻く。


「徒手空拳で戦えないと思ったかっ」


 その右拳を緋色は左手を跳ねさせて弾いた。


「重心が前により過ぎている。やり直しだな、バジル」


 右の掌底がギャングの左肩を射抜いた。バランスを崩すギャングの右腿を膝が弾き、左手でその顎を跳ね上げる。


「こいつがトリガーだ」


 そのまま左の裏拳。四点を抑えられ、ギャングは身体の自由を失っていた。緋色の拳が入る。


(動か、ねぇ……っ!)


 二発、三発。身体を浮かされて抜け出せない。まるで格闘ゲームの様にコンボを決める緋色の口角が跳ね上がった。両の掌底が力を溜める。


「トドメ、四拍子!」


 押し出された空気が舞った。風圧を周囲に撒き散らしながらの一撃は吹き飛ばされたギャングの意識を刈り取っていた。


「助かったぜ、相棒バディ


 ディスクはネブラを構えていた。右に一枚、左に一枚、そして頭上にもう一枚。警戒され、脅威ある敵と認識されてしまった。右のネブラを放つディスクの一手前に緋色は姿勢を低くして飛び出す。回転ノコギリのような凶器は頭上すれすれを通り抜けた。


「硬波!」


 左の裏拳が鋭い蹴りを受け止めていた。緋色の蹴りではない。そのままいけばディスクの脇腹に決まっていた。


「……何で?」

「貸し借り無しさ。あと、油断も無しな」


 蹴りの反動でバク宙し、着地したのは黄色いTシャツの小柄な男。重心を落とすが、拳を握りはしない。膝は柔らかく構えていて、緋色は険しい顔を浮かべた。


(蹴り技主体か。初めてだな)

「よくオイラの攻撃を防いだッスね」

「あれだけ派手だとな。空気を押しのけるからその動きでバレバレだぜ、ゴンス」

「ゴン……え、何て?」


 戸惑う男に緋色は防御の構えを取った。迂闊に攻めるより、格闘主体ならば受けきれる。そんな緋色の背後からネブラの刃が飛び出してくる。


「おっとっと」


 躱された。いや、それよりも今の加速は。緋色の瞬歩よりも速い。防御をすり抜けて右肩に強烈な蹴りが入った。硬波。筋肉を瞬時に緊張させて鎧のように固める。ダメージは軽減したが、目で追えなかった。


分析完了アナライズ。ウォーパーツ『韋駄天』。速攻、俊足」


 ウォーパーツ。それならば納得か。緋色は冷静にふり返った。答えはさっき自分で言っていたではないか。


「双竜掌波!」


 大気の機微。その動きを纏って蹴りは来る。目で追えなくとも攻撃が分かれば対処は可能。飛び蹴りを真っ正面からねじ伏せた。


「瞬歩」


 追撃。空中でバランスを崩している内に片をつける。が、隆起する大地に阻まれる。


「隼、無事か」

「助かったッス、相棒バディ


 隼と対照的に大柄な男が並ぶ。腕に巻きつく螺旋リングがウォーパーツか。隆起した大地を蹴り、緋色は距離を取った。その背中に嫌な感触が灯る。


「緋色、降参して」


 密着しそうな程接近してきたディスクの声。ネブラ・ソーが背中に突き付けられていた。勝者は一人。緋色を厄介な相手と見なしてここで仕留める気か。


「残念、ショート。もっと身長があれば首を狙えたのにな。二センチあればでっかいのをぶっ放せるぜ」


 脇腹からちょうど二センチ先に構えられている掌底。この超近距離では自慢の『円盤ザクセン・ネブラ』も功を奏さない。硬化した背中を切り裂くよりも緋色の一撃のほうがずっと速い。ディスクは刃を引いた。


相棒バディ同士で喧嘩ッスか? よくないッスよね、コック」

「うんぬ。相棒バディとは唯一背中を預け合う仲だからな。その背中を刺そうなどとは問題外だ」


 コックの丸太のような腕が大地を撃つ。隆起した岩壁が二人を取り囲み、鉄壁の要塞と化す。『韋駄天』による速攻が通じなかった時点で彼らの戦略は切り替わっていた。


「おおっと、こちらもウチの相棒バディが世話になったなぁ!」


 ヒーローコード、ほむら。ギャングの相棒バディ、突出し過ぎた相方の実力は信頼していたのだがまさかの結果に驚きが隠せない。炎を纏った槍がネブラの盾とぶつかり合う。緋色は振り返らなかった。逆に前に出る。



「隙在り」



 背筋がぞわりとした。緋色は自分の足を蹴って転がるように姿勢を伏せた。この鈴が鳴るような声は、刃。コックが隼を地面に叩き付ける。


「活殺自在、『天羽々斬り』――――唯閃」


 刃渡りより明らかに広い攻撃範囲。緋色が躱せたのは完全に唯の勘だった。同じく斬撃を潜り抜けていた隼は無事だが、大柄なコックは相棒バディを逃がしたままの姿勢で固まっていた。きっかり三秒。その巨体が崩れ落ち、ダウンしていた。


「コック!?」

「縮地」


 ソニックの懐に和装の女が。緋色は全力で背後に飛び、壁際まで逃げる。視線が一方向であればまだ対処し易い。


「柄当、御免」


 居合の動作で隼の腹部に柄をぶつける。たったそれだけの動きで隼の身体が崩れ落ちた。あれは、緋色も使っていた遠当ての技術。打点と力場の集中をずらす技術。その技術で隼の体内に柄当の衝撃を移し、最低の力で最大の衝撃を生んだ。神経の機微を感じ易い拳ではなく、刀でやってのけるとは。ウォーパーツを抜きにしても相当な達人である。


「さて、緋色。お手合わせ願いましょうか」

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