第2話

 翌日から、あたしは塾が終わってからお母さんが帰ってくるまでの約1時間、『注文ちゅうもんおお料理店りょうりてん』で過ごすのが日課になった。

 はじめはおずおずと入っていたけど、もうすでに今日で4日目、すっかり常連ね!


「こんばんは」


 店内にはすでに多くのネコたちが料理を食べている。

 あたしは、いつのまにか指定席みたいになったカウンターに腰をおろし、リュックをイスの下へ置く。

 この時間、ウエイターを務める看板ネコのアルに、「いつもの!」と声をかけると、クリームソーダが運ばれてくる。

 本当ならこの時間はネコ用のものしか取り扱っていないけど、特別に出してくれているらしい。

 あたしは感謝を込めて、「いただきます」といってストローを口に含んだ。

 一口飲んだところで、1匹のネコが入ってきた。

 赤茶のトラ柄で大きめなネコだが、頭の位置だけ毛が薄い。

 あ、あのネコちゃんは……。

 その赤茶トラのネコは体をなめて毛並みを整えてからあたしの隣の席に腰掛ける。


「なんで人間がいるんだナァ?」


 あたしへの警戒は解かず、アルの方へ問いかける。


「ああ、ダイさん。この子は特別でして。まぁ、特に何かするわけじゃないですから」


 なだめるようにアルは言ったけど、そんなことは関係ないとばかりにダイと呼ばれたネコはまくしたてる。


「特別だって? こんなちんちくりんが? それにここはネコだけの場所のはずだろ! マタタビがまずくなるナァ!」


 な、なんかしゃべると不良みたいね!

 でも、このあたしにこんな態度とるなんてっ!


「むぅ! そんなこと言っていいの!? ダイ、私に見覚えは?」


 あたしの顔をじっくりと見るダイ。


「ニャッ!」


 何かに気づいたように声をあげたあと、目が泳ぎ始めた。

 カウンターに置かれた手からは汗がびっしりとしたたっていて、つやつやした材質のカウンターがテカテカと汗で光っている。


「も、もしかして、白井さん家の……」


あたしは笑顔でコクンとうなずいた。


「ランク下げて安いカリカリにするわよ」


 あたしにはここに来るという日課とは別に、近所のネコちゃんにご飯をあげるという日課があって、このダイはそこによく現れるノラネコだ。ついでにダイって名前もあたしが付けた名前ね。大きいからダイちゃん。

 ごはんのランクを下げるという言葉で全て通じたのか、ダイはうなずこうとする。


「わかればいいわよ。ついでにあたしはちんちくりんじゃないんだからね! こんなナイスバディをつかまえて!」

「…………」


 一瞬沈黙が流れた気がするけど、気にしないであたしは続けた。


「で、どう、わかったの!?」

「へ、へい! 白井さんとは知らず先ほどは失礼しました!」


 手のひらを返したように態度がいっぺんした。

 さて、怖くもなくなったところで改めてダイを見ると、頭のハゲはどうやらキズによってみたいだ。うっすらと赤いスジが見える。

 ケンカでもしたのかな?


「はぁ、いやいや、ほんとすみませんナァ」


 額をペチペチと叩きながら、謝る様はまるで中年のサラリーマンのようだ。

 話が一段落すると、ダイはアルにまたたび入りの水だけを頼んだ。


「ありゃ、ダイさん、今日はそれだけですかニャ?」


 アルが聞くと、ダイは頭を撫でながら、


「いやね、最近どうも食欲が出なくてねぇ、調子が悪いったらありゃしないナァ。この前もケンカで不覚をとっちまったナァ」


 どうやら頭のキズはそれでできたみたいだ。


「えっと、確かあの辺でダイと張り合えそうなのはゴンタくらいかな?」

「そうですナァ。それでもいままで一度も負けたことがなかったんですがナァ」

「なんで体調悪いのかな? なにか思い当たることは?」

「いや~、特には思いつかねぇですナァ~」


 そこで一旦会話が途切れると、ちょうどよく、またたび入りの水が置かれた。

 ダイは、はじめに1口飲んだだけですぐにコップを置いた。


「水、それしか飲まないの?」

「ん~、好物のはずなんですが、いまいち勧まないナァ」


 テーブルに置かれたまたたび水のコップをつんつんとつつく手にはいまだに汗をかいている。

 水をながめては毛づくろいをするダイを見かねて、


「ねぇ、ダイ。ここ暑い?」


 あたしは気になったことを率直に聞いてみた。


「にゃにゃ? ん~、ここは暑くはないかナァ。でも最近は暑さがかなり厳しくてだるいナァ」


 ネコが食欲なくして、だるくなることって何かあったっけ?

 あたしの中にある全ネコ知識を引っ張り出し、考える。

 ここに来てからのダイの行動も思い出して……。


「もしかして、あれかも! わかったよ。体調不良の原因が!」

「い、いったい、何が原因なんだナァ?」


 ダイは身を乗り出すようにして聞いてくる。


「えっと、まず結論から言うと、ダイの症状は夏バテね!」

「ニャんと! それはネコもなるんですかニャ」


 アルは驚いた声を上げた。


「ふむ、確かに夏バテの主な症状は食欲がなくなることと動くのが大変になることがありますね」


 いつの間にか大将が話に加わっていた。


「ネコだと、さらに、すぐに息が切れたり、体をなめる回数が多くなったりかな」

「た、確かに最近多い気がするナァ!」

「ここに入ってからも何度も毛づくろいしてたもんね。あとは手から汗をかくのもそうだよ」


 あたしはテーブルについた汗を指差しながら大将の言葉に付け足した。


「で、夏バテには水を飲むのが一番だけど、食欲がないんだよね。水もあんまり飲めないみたいだし……」


 あたしの視線の先には先ほど頼んだまたたび水。

 2口ほどしか口をつけていなくて、ほとんどグラスから減ったように見えない。

 無理矢理にでも飲んでほしいけど、こればっかりは本人が頑張るしかないわよね。あたしはできるかぎり協力しよう!


「これからはご飯のときに水分の多いネコ缶とあとお水も置くようにするからちゃんと食べてね」

「し、白井さんとこの……」


 ダイは感動で涙を浮かべている。


「その気遣いだけで元気になった気がするナァ!」

「いやいやそんな急に元気にならないから、ちゃんとお水飲んでよね」


 ダイは大きくうなずく。

 そこで大将が口を開いた。


「理由はだいたいわかりました。そう難しくない注文ですね。今日はせっかく来てくれたんです。自分がちょっと腕をふるいますよ」


 大将は気合を入れるようにエプロンの紐を締め直し厨房に向かった。

 数分後、大将の声でアルも厨房に向かい、すぐに手に何かを持って戻ってきた。


「お待たせしましたニャ」


 コトリと丁寧にダイの前に置かれたお皿の中には、お店の照明を反射してキラキラと光る透明なスープと細かく割かれた鳥のささみが入っていた。


「鳥ささみのスープですニャ」


 続けて料理の説明を始めた。


「それはささみを煮詰めて鳥のダシをとったスープなんだニャ。ダイさんのためにアクをしっかり抜いて飲みやすくしてあるニャ」

「う~ん、でもまず食欲がないんだがナァ」


 ダイは恐る恐るといった感じで鼻先を近づけ匂いを嗅ぐ。

 くんくん。


「鳥の臭みもなくて、なんだか良い匂いがするナァ」


 そしてそのまま自然と舌が伸び、ぺろりと一舐め。


「う、うみゃいナァ! 澄んだ味っていうのかナァ。さっぱりしていて飲みやすいのが食欲のない今はうれしいナァ」


 ダイは味を確かめるように今度は大きく一舐め。

 しっかりとスープを楽しみ、ゴクンと飲み込む。


「飲みやすいだけじゃなくて、味がなさそうな透明でキラキラした見た目に反して、鳥の旨みがギュっとつまっていてダシの効いた濃厚な味わいだナァ! これならいくらでも入りそうだナァ!!」


 次にダイはスープの中に入っている鳥のささみに注意をむける。


「ちゃんとほぐされていて食べやすいのにも気配りを感じるナァ」


 そう言ってアグッとひと口、噛みついて食べる。


「うみゃぁぁぁ!」


 すごい声をあげながら、とてもおいしそうな顔をしている。

 あたしはどんな味なのか楽しみにダイの口が開くのを待つ。


「ダシに使われたささみだからどうせ味なんてないと思ってあなどったナァ! 長い時間煮込んでいるからスープの味が再び戻り、ささみの味を支えているナァ。サラサラだったスープがほろほろと柔らかいささみの食感を得て、スープに唯一足りない、食べたという満足感を補っているナァ!」


 さらに一口、もう一口と舌を伸ばして食べ、いつの間にか抱えるように前足を伸ばしガツガツと食べ始め、あっという間にお皿は空になってしまった。


「うまかったナァ……」


 満足そうにお腹をなでながら、口の周りを舐めた。


「これだけ食べられれば大丈夫そうね」


 あたしはしっかり食べるダイを見てホッとした。


「夏バテもここに来てれば大丈夫そうね!」

「ヘイだナァ!」


 ダイはすぐにおかわりをアルに注文していた。


 あたしはふと時計を見ると、そろそろ帰らなくちゃいけない時間だったことに気づき、


「じゃ、あたしは帰るね!」


 そう言って手を振ると、ダイはおかわりを食べる手を止めて、あたしに深々とおじぎをした。


「白井さん家の、どうもありがとうしたナァ」

「いやいや、あたし、たいしたことしてないよ」


 そんなあたしに、アルも頭を下げると、


「そんな事ないですニャ。ボクたちではダイさんが夏バテだとはわかりませんでしたニャ。

もしかしたらこの先に大きな事故が待っていたかもしれないのを回避できましたニャ。『注文の多い料理店』の店員としてお礼申し上げるニャ」


 あたしはなんだかこそばゆくなって頬をポリポリとかいた。


「白井様、またのご来店、心よりお待ちしてますニャ」

「うん。また来るね! あ、それと2人ともあたしのことは良子でいいよぉ」


 手を軽く振りながら、扉に手をかける。

 外の風景はいつもと変わらないのになんだか特別に感じる。

 満点の星空の下、あたしはすごくいい気分で『注文の多い料理店』から家路へとついた。


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